自転車ひとり旅★

自転車大好きなTVディレクター日記。

気持ちひとつ、という話。

2011年01月31日 13時53分23秒 | おしごと日記
本棚ができました!
釘やネジは使わず、ほぞで組んだ木材をワイヤーと金具で固定することで、
見た目もスッキリ、異素材の同居が面白い棚になりました。

うちの家具はぜんぶ私の手作りなのですが、
家具作りなんて誰に習った訳でもなく、
ただ金がないから自分で作るようになり、
それがいつしか、売り物になるくらいの家具を作れるようになりました。


家具作りもそうですが、
無理なことに当たった時に「無理ではない」と思う事は、
すべてを変えると思うのです。

私は今、楽しい事ばかりしていると、よく言うけれど、
実を言えば、楽しくない事のなかから「楽しい」部分を必死に見つけ出して、
無理して心のテンションをあげて、突っ走っているだけなんです。
たとえば、完売しても1円も儲からないDVDを作るのだって、
会社員として冷静に考えれば、何のうま味も面白みもない。
でも、この映像は、かたちにしておく義務がある。
しておかなかったら、後悔するにちがいない。
これを実現するためには、私が決して躊躇しないことが絶対条件だ。
だから進行中は楽しい部分だけを見て「楽しい!」と思わなければ
こういう無理な事は決して実現しない。


では私が「楽しい!」というのはウソなのかというと、
それはウソではないんですよ。
私が「楽しい」気分で突っ走って、
それに巻き込まれた人が「楽しかった!」と言ってくれたら、
こんどは私が本当に楽しくなるから!

あれやこれや。

2011年01月29日 16時53分08秒 | 世界の街道をゆく
きょうも朝から「街道」の編集。
1か月ぶりのジョカトーレでの出勤は、なんだかドキドキ。
編集しながら、新番組で私と一緒に旅してくれる出演者をあれこれ考え。
午後は狂言DVDのデザインの打合せ。
そしてまた編集室にこもる。

同時にいろいろ考えなくちゃいけないので、
いつも頭の中はぐちゃぐちゃ。

でも楽しい。
だって、ぜんぶ自分のやりたいことばかりだから!

狂言のDVDは、なんとか進めてます。
なんとか、と言うのは、
できるだけ安い価格で売るために、儲けなしで作ろうとしているからです。
よくぞうちの上司はGOサインを出してくれたなあ。
経が岬近くの交差点でちゃんと停まっておいたお陰かな☆
(??な人は茂山宗彦氏のブログを読んでね!)

世界の街道をゆく パーティー。

2011年01月28日 22時03分44秒 | 世界の街道をゆく
今宵は「世界の街道をゆく」のパーティーがありました。
スポンサーであるキャノンのみなさんを、
テレ朝、電通、テレコムスタッフの3社でおもてなしするというイベント。
パーティーなので、何年ぶりかのネクタイをしめて参加と相成りました。
(クローゼットから服を探すのに朝までかかった…)


会の途中、番組テーマ曲を作った篠原信彦さんのバンド生演奏にのせて、
これまで撮った写真をスライドショーしたのですが、
これが最高に素敵だった!
10分で、世界をぐるっと観た気分。

この番組のディレクターは私を含めて2人なので、
けっこう重要なポジションでして。
もう名刺交換の嵐。
でも、意外にもそれは営業的なものではなく、嬉しい時間でした。
だって、これだけ多くの人がひとつの目標に向かって集うなか、
その希望と期待を実現する前線に、私がいることを感じたから。

編集開始&次の仕事もカンボジア?

2011年01月27日 17時39分34秒 | 世界の街道をゆく
編集室にこもる日々が始まりました。
しかし今回は、今までにも増して撮った映像を見るのが楽しいので、
あっという間に終わりそうです。

そして編集しながら、
もう次の番組の仕込みを進めているのですが、
なんと!
カンボジアにもう一度行けるかも!
しかも、旅人はあっとビックリな狂言関係者!?
面白いことになって来てるのですが、
またポシャると何ですので、
詳細はまた後でね…。

軽トラ旅。

2011年01月26日 14時14分57秒 | おしごと日記
さて、寒い国に帰ってまいりました。
編集が始まるまでの時間を使って、
溜まっていた仕事をやっつけなくちゃいけません。

そこでまずは、軽トラックを借りて栃木県まで、
自宅の本棚用に加工しておいた木材を引き取りにやって来た。

この人生初の軽トラ体験が、楽しくて仕方ない!
なんだかボディはペラペラだし、
久々に扱うミッションはガコンガコンと、
なかなかシビアな操作が要求される。

坂道発進なんて、もうスリル満点★
後ろの車が車間距離なしに停まったりすると、
「ぬおお~何てことしやがる!」と
軽トラの中でひとり、叫んだり。

なんだかダンボール箱に乗って旅している気分。

…でも、運び終わったあとはゲッソリだったりして。。

アンコール・ワットへ。

2011年01月25日 03時22分30秒 | 世界の街道をゆく
荘厳な夢の跡だ。

ようやく辿り着いたアンコール・ワットの壮大さは、
この国の豊かさをつぶさに見て来た我々には
十分理解することができた。
この豊かな大地だからこそ生まれた、強大な王国の跡。


さて、この撮影をもって、今回の旅はおしまいです。
なんだか濃イィ旅だったなあ。
出会った人々が素敵すぎて、
毎夜のように泣きたくなってたもん。

そして旅を続けるうちに、
色んなものに感謝するクセがついてしまった。
食べ物にありついた時、お寺に詣ったとき、人に何かしてもらった時、などなど。
今日も、思わず、朝日に手を合わせたりして。

さあ、日本に帰ったら、この番組の編集も含めて、
色んな仕事が手ぐすね引いて待ってるようです。
中でも気になるのが、
茂山家にチェックをお願いしてある狂言DVDのこと…。
もっぴー、ちゃんと観てくれたかなあ??

お月さま。

2011年01月23日 23時40分53秒 | 世界の街道をゆく
カンボジアの農村には、ほとんど電気がないのです。
家にはたいてい、小さなバッテリーランプひとつきり。

夜はまさに闇。
月明かりが煌煌と力強く感じられます。
闇があまりに美しいので、シャッターを切ったけど、
伝わるかなあ??

旅が始まったころ、細かった月は、
だいぶ太ってしまいました。
もうすぐ今回の旅の終わり、アンコールワットです。

カンボジア食事情。

2011年01月23日 12時07分43秒 | 世界の街道をゆく
海外に行くと、日本食を恋しがる方も多いですが、
あたしゃそんな旅情ないことはいたしません。
もちろん毎食カンボジア料理です。

基本的に米とオカズ、そしてスープのセット。
オカズは野菜(空心菜とかブロッコリー)の魚醤とニンニク炒め、
たまに鶏をシメてもらうと肉入りに。

スープは川魚と野菜、そこに歯応えのよい海苔が入ってたりします。
川魚はよく泥抜きしてあるので、まるで臭くありません。


もちろん、生水は禁物ですから、
火の通ったもの以外は絶対口にしません。
取り皿、箸はすべてアルコールティッシュで消毒し、
生水に触れた可能性があるフルーツや生野菜は食べません。


村に行くと、子どもたちが木の実を差し出してくれるのですが、
間違いなくお腹を壊すので、
食べてあげられないのがツライところ。
強靭な胃腸の持主がうらやましい。

リナちゃんのシルク。

2011年01月22日 00時50分53秒 | 世界の街道をゆく
街道沿いにたたずむ、スカーフ売りの少女から、
シルクスカーフを買った。

少女とは、その後別な場所でも出会うことになって、
いつしか「リナちゃん」と呼ぶようになった。
(たしか宮内カメラマンが命名したような…)
英語を話す聡明なリナちゃんは、ブンティさんのヨメにどうかということになり、
ブンティさんが割と本気になっていたけど、けっきょく振られてしまった。

スカーフは、毎日頭に巻いて愛用しています。
…しかし、毎朝頭に巻き付けるたびに、
振られた瞬間のブンティさんの顔が思い浮かぶ(笑)。

旅する4人。

2011年01月21日 18時51分05秒 | 世界の街道をゆく
今回のチーム。
右から、
写真家のHARUKIさん
(いっつも集合時間を聞かず、居なくなって大騒ぎを引き起こす)
動画の宮内さん
(お風呂でコケて唇がタラコになってます)
撮影助手の堀越
(トイレがない国なのでいつも大変そう)
そしてワタシ。
(予想通りに進まないことばかりで、いつも目を白黒させてる)

一週間も過ぎると、みんなのぺースが分かって来るので、
気遣いせずに旅できるようになって来ました。
そしてやはり、大地に生きる人々の姿は、絵になるんだなあ。

記念写真!

2011年01月18日 01時51分26秒 | 世界の街道をゆく
カンボジアの田舎旅が続いてます。
雨水で身体を洗うような日もあったりしながら。


さて今日は、ロケ中には滅多に撮らない
記念写真を撮ることになりました。

カンボジアのこどもたちは、みんな笑顔を絶やしません。
もうこちらが「スオスダイ(こんちは)!」と言っただけで、
村にサーカスが来たかのような大騒ぎ。

貧しさなんて、子どもたちの興味の対象外で、ただ
「生きてる」ということだけが喜びであるかのように、生きている。

もしも何年か後に、私がこの国に来ることがあって、
そしてこの村に来ることがあるのなら、
成長したこの子たちにもう一度会いたいと思って、
珍しくこうして記念写真。
気がつけば、カメラマンのHARUKIさんもこっそり混ざってたりして。

ブンティさん。

2011年01月14日 23時15分09秒 | 世界の街道をゆく
恒例のスタッフおもしろ紹介がやってまいりました!

おもしろ、と書いておきながら、
この人を面白く紹介できる自信はありません。
だって、我々の苦労なんてどうでも良いと思えるほどの
人生を送って来た人だから。

コーディネーターの朝野文定(あさのふみただ)さん。
日本人の名前ですが、顔を見ればお分かりの通り、
本名を「コン・ブンティ」という歴としたカンボジア人です。

この日本名には、悲しすぎる過去が込められていました。


カンボジアのポル・ポト虐殺政権時代、
知識階級は「粛正」の名の下に次々と殺されて行った。
彼の祖父がジャーナリストであった関係で、
彼の一家にも危機がやって来た。
一家のうち、祖父、祖母、そして
当時10歳の少年だったブンティさんの3人は、
はるかベトナムへの国境脱出を試みた。

しかし、あと少しで国境というところで、
ポル・ポト派にあえなく捕まってしまったのだ。

脱出を失敗した人々が、目の前で次々と首を切り落とされていく。
それは恐怖と絶望の光景だった。
いよいよ次はブンティさんの祖父の番というその時。
ブンティさんの祖父は、一か八かの賭けに出た。
どうせ殺されるなら兵士に体当たりを食らわし、
居並ぶ人々のだれか1人でも生き延びる可能性を切り開こうと考えた。
突然のことに慌てる兵士たちを見た周りの人々も、ブンティさんも、
それに乗じて反乱し、
銃声と叫び声のなか、森の中へと脱兎の如く逃げ込んだ。

なんとか逃げ延びた3人は森の中に息を潜めたのちに国境を越え、
ベトナムへの脱出を果たした。
そして「朝野文定」と名乗り、
一心不乱に勉強をし、東京理科大学の大学院まで修了した。

…………

いま彼は、祖国のことを多くの人に知ってもらいたいと、
コーディネーターやツアーガイドの仕事をしている。
「人々の心をつなぐことに生涯を捧げたい、そのためにはヨメももらわない」
と爽やかに語るが、
そこにだけはちょっとウソが入っているみたいだ。
だって、私に向かって「Dさんモテるでしょう、モテるでしょう」と言ってばかりだし、
若い女性を見るたびにどう答えて良いかわからないオヤジギャグを連発し、
こりゃモテないだろうなあ、と思わざるを得ないから…。

昼下がり、村の熱狂。

2011年01月12日 22時07分01秒 | 世界の街道をゆく
午後3時くらいだろうか。
赤土の街道を走っていると、小さな屋台をみつけた。
どうやら、サトウキビを絞ったジュースを売る屋台らしい。
せっせとサトウキビの準備をしているのを見ていると、
若者たちがすぐそばの空き地へ集まって来た。

何が始まるのかと思えば、
なんとバレーボール!
一年中暑いこの国では(ただいま真冬で気温30度)、
仕事にならない午後は、ハンモックにゆられるか、
こうしてバレーボールをするのだという。

さあ、上着を脱ぎ捨て、ズボンの裾をめくりあげ、
真剣勝負がはじまった。

茶色い身体に汗が光って、
勝負にかける真剣な顔、弾ける笑顔。
気がつけば、村人総出で彼らをとりかこみ、応援やヤジを飛ばし始めた。
村の小さな空き地は、すさまじい熱気につつまれた。

やがてプレーが終わると、
みんなしてサトウキビジュースの屋台に群がっていく。
おばさんは忙しくサトウキビを絞り上げる。

サトウキビのジュースは黄金色。
笑顔の若者たちは、一気にジュースを飲み干して行った。

若者たちは、我々にジュースをごちそうするという。
想像以上の青い甘さに、私が「!?」という顔をしたら、
みんながどっと笑って喜んだ。

今日は、そんな撮影をしました。

たいへんな初日…。

2011年01月10日 00時12分20秒 | 世界の街道をゆく
いよいよ撮影初日を迎えました。
しかし、今日は全員ブルーな気分からのスタートになっちゃった。

それはなぜか?
機材の一部とスタッフのバッグがロストバゲージとなり、
いまだに行方不明だからです…。

ロケの機材は、必要最小限の装備で来ていますので、
ひとつ無くなると大変なんですよ。
特に今回は肝心の三脚がどこかへ行ってしまったので、
まずは代わりの三脚を探し求める所からのスタートと相成りました。


ブルーだからと言って、内容の薄い番組をつくる訳にはいきません。
なんとか三脚を買って、いざ撮影開始!
とても貧しい国ですから、
みんなどんな表情で暮らしているかと思っていましたが、
とんでもなかった。
子どもから老人まで、
吸い込まれそうな瞳で、屈託のない微笑みを投げかけて来ます。

それは、我々の心のブルーを、爽快な風で吹き払ってくれるかのようでした。


彼らの明るさはどこから来るのか?
そんなことを探る旅になりそうです。