帰国して3日間寝ていた
全ての撮影が終わった途端に気が抜けて
どっと疲れが出てくるのは 毎度のお約束だが
今回の体調の崩れはキツかった
ウズベキスタンに行っていたのは
日本代表チーム取材のためです
いろんな方の力添えのおかげで
なんとか完遂できました
個人的にいちばんの成功は
無理をしてでも自転車を持って行ったこと
撮影機材だけで手一杯なので 自転車はかなり邪魔だし
「Dさん乗りたいだけでしょ」ぐらいに思われていたと思う
だがこれが現地での取材にどれだけ役に立ったか計り知れない
裸の付き合い という言葉があるけれど
一緒に走るということは まさにそれ
トレインの後ろにひょっこり付いていくと
先頭交代した選手たちが隣にきて走ってくれる
今回のレースや体調の話などはもちろん
こないだのレースの話や 以前いたチームの話
そして他人には絶対言えない「ここだけの話」まで
とにかく選手たちといろんな話ができた
トレインの最後尾は 内緒話にはうってつけなのだ(笑)
代表選手のトレインにくっついて行けるだけの
脚を鍛えておいたことを 何度も何度も感謝した
ちなみに パチモノ・ハッチンソン(以下 パッチンソンと呼ぶことにする)のタイヤは
意外にも素晴らしかった
何も言われなければ GP4000Sだと勘違いしてしまうぐらい
グリップも転がりも良かったです(笑)
ツールド東北以来
久しぶりに別府選手にもお会いした
開口一番
「もちろん覚えてますよ。相変わらず乗れてますよね」
と言ってくれた
別府選手としっかり話したのは初めてだったが
こんなにピュアでオチャメな人とは知らなかった
また大好きな選手が増えてしまった(笑)
オンエアは7月ごろです
どうぞお楽しみに
帰国日
みんな出発前はゆっくり休みたいというので
これはチャンス! と走りに行った
湖の対岸に見える あの村へ行ってみよう
ウズベクの人々はよく歩く
10km先まで平気で家族と歩いて行く
道はどこまで上って行くのだろうか
ロケ車両のドライバーによれば
この道はいずれボコボコ道になるという
今の段階ですでにボコボコなんですが…
ロケ初日に雨&うんこまみれで走った道
こんな景色だったんだ…
確かに 進むほどボコボコになってきた
そしてアスファルトが砂利にまぎれて
見えなくなった(笑)
砂利道
急勾配
まだなんとか走れる
カーブを曲がったら
壮大な景色だった
天山山脈へと連なって行く山々
標高は3000mを超える
首都タシケントの水瓶のはずだが
乾季を前に この水量…
川にかかる橋には 必ず番小屋(軍の詰所)が付いてる
橋は軍事施設なので かつては撮影禁止だった
ロケをしていたら 突然軍隊に取り囲まれ
何かと思ったら カメラを向けていた数キロ先に橋があった
テープは没収 運が悪けりゃ そのまま身柄を拘束
…なんて話を 昔はよく聞いた
今は番小屋には誰もいない
時代は変わったのだ
ただし 軍隊はいないが
ある意味もっと厄介なものがいた
そう 写真に写っているワンちゃんだ
こういう場所にいる犬は 絶対吠えて追いかけてくるんだよなあ
と思ってたら 案の定「ガルルルル…」とこちらを見ている(笑)
何食わぬ顔をして 通り過ぎようとしたら
飛びかかって来おった(汗)
飛ばそうにも 穴ぼこだらけで
飛ばせない
右脚のすぐそばを
ワウワウガルガル言いながら ワンちゃんが併走する
右脚に鼻息を感じる
なんとかこの犬を切り離したい
私はとっさに 水の入ったボトルを取り出し
犬に向かって噴射した
犬はキャンキャン鳴いて 逃げて行った…
ふう これから坂道だってのに
心臓バクバクだ
ウズベクでは 子供が働く姿をよく見かける
ウズベク人の平均月収は200米ドルほどだそうだ
都市部の銀行員で500ドル
村の農家ともなると100ドルもないと言っていた
湖の対岸の村に着いた
店が3軒も並んでいた
ここまで16kmの道のりに1時間半かかってしまった
道がボコボコ過ぎるのだ
しかし パッチンソンがこの路面に耐えているのが奇跡だ(笑)
店は 世界の田舎に必ずある
小さなデパート
衣料品から食料品までなんでもある
コーラを買ったら4000スム(50円)だった
全部は飲めなかったので
話しかけて来た少年に 日本から持って来た補給食と一緒にあげた
おっちゃんが話しかけてくる
必ず聞くのは「その自転車いくら?」
1万ドルだと言ったら 信じてもらえなかった
村を出て でこぼこ道を25km
ついにこの時がやって来た
そう パッチンソンがパンクしたのだ
車両ドライバーに連絡すれば迎えに来てもらえるが
ホテルからここまで1時間はかかる
なんとか自力で車をゲットしたい
1kmほど歩くと 穴を掘ってるおっちゃんたちがいた
「ズドラストビーチェ」(ロシア語のこんにちは)と挨拶し
あとはジェスチャー
「パンクした!」「アベニューホテルまで」「車で連れてってくれ!」
すぐに通じて おっちゃんたちが立ち上がり
自転車を見に来た
eTapのボタンを押したがるので
ギヤを変えたらたいそう喜んでくれた
ヘルメットの軽さに驚くおっちゃん
せっかくなので自転車も持ってもらった(笑)
全くわからない言葉で聞いてくるので
とりあえず「ヤポンニャ」(日本人だ)と返しておいた
持ってる物について聞かれても「ヤポンニャ」
ヘルメットも自転車も 全部日本製ということにしておいた(笑)
ひとしきり盛り上がったあと
3人のおっちゃんが一斉に電話をかけだした
どうやら車を呼んでくれているらしい
それぞれ5人ぐらいにかけてくれた
ウズベク語とロシア語のちゃんぽんで
何を言ってるのか全くわからない
渋い顔して電話をかけ直すので
断られたのだと分かる
すると突然 2人が電話をやめて他の1人を見た
どうやら車が確保できたみたいだ
こっちを見て
「タクシー!今くるぜ!」という仕草が
得意げだ
待つこと20分
意外と立派な車両が到着した
フロントガラスはベキベキに割れているが(笑)
ホイールを外して 車体をトランクへ
これでなんとか帰れそうだ
私はおっちゃんたちに お礼に金を渡そうと思った
他にお礼のしようもないし
日雇い労働をするおっちゃんたちは
月に百ドルも稼げないに違いない
お金を渡せば喜ぶだろうと思ったのだ
ところが おっちゃんたちは
出した金を「アー?」と見たあと
全員が同時に「いらないいらない」という仕草をした
そして
「スパシーバ」(ロシア語のありがとう)
と言って胸に手を当て
ウンウンと頷いた
「ありがとうの一言で十分さ」
返す言葉もなかった
この国の人は貧しい
しかし 心は豊かだ
少なくとも私よりは
そんなことを思い出しながら
5月の連休の涼風を
布団の中で感じている
もうすぐまた 滅茶苦茶なスケジュールの仕事が始まる…