Kinema DENBEY since January 1. 2007

☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

浮草日記

2008年05月16日 15時41分54秒 | 邦画1951~1960年

 ◇浮草日記(1955年 日本 109分)

 監督/山本薩夫 音楽/大木正夫

 出演/津島恵子 菅原謙二 東野英治郎 花沢徳衛 中谷一郎 小沢昭一 仲代達矢 岩崎加根子

 

 ◇真山美保『市川馬五郎一座顛末記』

 江幡高志に髪がある!

 ぼくの知ってるかぎり、江幡さんに髪の毛があるなんて、一度も見たことなかったから、いやまあ、ちょっと驚いたけど、それだけ若い頃だってことだよね。

 でも、仲代達矢の端役ばかりか、懐かしい顔の揃った映画で、

「え!あの役者がこの…」

 と、仰天できる。

 一座が移動をかさねて炭坑町へ場面が転じ、涙ながらの客寄せや組合をアカと罵りながらも打解てゆく件りは、さすがに山本薩夫。

 瑞々しい映像ではあるんだけど、ただまあ、昔の映画だから。

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近世名勝負物語 花の講道館

2008年05月01日 14時57分17秒 | 邦画1951~1960年

 ◇近世名勝負物語 花の講道館(1963年 大映 84分)

 監督/森一生 音楽/大久保徳次郎

 出演/長谷川一夫 山本富士子 菅井一郎 田崎潤 木暮実千代

 

 ◇山本富士子デビュー

 森一生の手堅い演出で、この監督はもっと認められていい。

 田崎潤は、新東宝の役者さんだったんだね。長谷川一夫のお腹の出た脂肪質の肉体は柔道をするにはちょっとばかり減滅だが、倉敷らしき運河や機関車などの映像は貴重だとおもうな。

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炎上

2008年03月31日 12時01分03秒 | 邦画1951~1960年

 ◎炎上(1958年 日本 99分)

 監督/市川崑 音楽/黛敏郎

 出演/市川雷蔵 仲代達矢 中村鴈治郎 北林谷栄 新珠三千代 中村玉緒 浜村純

 

 ◎追悼市川崑その5

 打楽器に拘る音楽が良好。驟閣の小ささは気になるけど、美術も見事。撮影は言うことなし。美を汚されたものへの葬送となる海岸の荼毘と、堕した美を葬る炎もまた見事。

 惜しむらくは、官能美への憧憬が物足りない事くらいだけど、それは、ないものねだりというものだろね。

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日本橋

2008年03月18日 12時14分17秒 | 邦画1951~1960年

 ◇日本橋(1956年 日本 111分)

 監督/市川崑 音楽/宅孝二

 出演/淡島千景 山本富士子 若尾文子 品川隆二 船越英二 沢村貞子 川口浩 浦辺粂子

 

 ◇追悼市川崑その4

 様式美の発露は見られるし、男と女の如何ともし難い業の哀しさもよくわかる。

 でも、もうすこし、鏡花らしい妖しさが欲しかったなと。

 あ、品川隆二の二枚目時代は貴重だ。

 ただ、セットはいかにも往時の代物で、こればかりは仕方ない。ただ、市電の走りっぷりは、頑張ってる。なんというか、市電がなくなり、東京の風景は変わり、日本橋ももう観る影すらない。でもさ、変わり果てたのは風景だけではないんだよね、たぶん。

 だって、いまの時代に『日本橋』のような男と女の修羅場と合縁は見られないもんね。

 ああ、それと、これは市川崑とは関係ないんだけど、映画化されたのは溝口健二の方が先で、1929年のサイレント映画だ。ところが、このフィルムはフィルムセンターにもなく、幻の作品なってる。う~む、観てみたいぞ。

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処刑の部屋

2008年03月16日 11時48分26秒 | 邦画1951~1960年

 ◇処刑の部屋(1956年 日本 96分)

 監督/市川崑 音楽/宅孝二

 出演/川口浩 若尾文子 宮口精二 中条静夫 川崎敬三 中村伸郎

 

 ◇追悼市川崑その3。

 佳境からラストのリズミカルなドラムと、血の海から路地へ這いずる川口浩の苦悶の対比は、いやもう、出色の出来映えだ。

 メインタイトルのカットバックも良好。

 でもそこにいたるまでの中身は、様式美はあまり感じられず、気弱な大学生の勘違い根性譚に終始してる。

 なんでだろうとおもうんだけど、石原慎太郎の原作を読んでないから想像するしかないものの、もしかしたら、物語の構成そのものが、市川崑の様式と合ってなかったのかもしれないね。

 ちなみに、助監督は増村保造。

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野火

2008年02月26日 20時53分42秒 | 邦画1951~1960年

 ◎野火(1959年 日本 105分)

 監督/市川崑 音楽/芥川也寸志

 出演/船越英二 ミッキー・カーチス 滝沢修 稲葉義男 佐野浅夫 中條静夫 浜村純

 

 ◎追悼市川崑その2

 カニバリズムを映像化するのはいつも大変で、思い出されるのは『ひかりごけ』と『アンデスの聖餐』だ。どっちも古いけど、この作品は舞台にもなるような展開だったわ。

 船越英二が仲代達矢に見えてくるのはなんでなんだろう?

 ま、なにより、芥川也寸志の音楽が好い。

 でも、泥に顔を突っ込んで死ぬところなんぞ、監督も監督なら、役者も役者で、見事な演出に根性で応えることができる時代ってのは、いいよね。

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ビルマの竪琴

2008年02月19日 13時26分37秒 | 邦画1951~1960年

 ☆ビルマの竪琴(1956年 日本 116分)

 監督/市川崑 音楽/伊福部昭

 出演/安井昌二 三國連太郎 浜村純 内藤武敏 西村晃 三橋達也 北林谷栄 伊藤雄之助

 

 ☆追悼市川崑

 原作が読まれなくなっても、映画だけは見続けられる典型的な作品かもしれない。それだけでなく、昭和31年のビルマを撮影しているだけでも、映像的な価値は十二分にある。

 ただ、リメイク版もそうなんだけど、独白者の視点になっていないのがなんとも妙な感じだ。

 ところで、ビルマは現在でいうミャンマーのことだけど、アウンサン・スーチーは、その演説ではちゃんと「ビルマ」っていってる。だから、ぼくもスーチー女史にならって「ビルマ」と呼んでる。

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波の塔

2007年12月20日 11時20分59秒 | 邦画1951~1960年

 ◇波の塔(1960年 日本 99分)

 監督/中村登 音楽/鏑木創

 出演/有馬稲子 津川雅彦 岸田今日子 桑野みゆき 沢村貞子 西村晃 佐藤慶

 

 ◇深大寺

 清張初のメロドラマだとおもうんだけど。

 不倫を情感こめて描くとこうなるのね的な悲劇に向わざるを得ない設定が、なんとも昭和35年。

 日暮里か西日暮里の駅近くの待合旅館で、機関車の蒸気が聞こえる中の別れの演出は、まあ、なんというのか、客車と客車ががっしゃんがっしゃんと何度も連結したり離れたり、それが男女の睦事に見立てられてるのは想像つくけど、ちょっとばかり直接的すぎないかしら。

 ちなみに、津川雅彦は46年後に夫役を演じてる。

 なんかね~時の流れを感じちゃうよね。

 メロウな有馬稲子がなんとも生々しいわ。

 ただ、男と女の抜き差しならない関係ってのは、得体が知れないね。不倫してたときはあれほど離れがたいとおもっているのに、それが成就できるとおもったとき、女は富士山の樹海に身を投じていくっていうのは、いったいどういう踏ん切りのつけ方なんだろ?

 このあたりが現実と違って物語なんだよな。

 ちなみに、1978年に現役で大学を受験したとき、ぼくはこの映画のような待合旅館に宿を取り、入試を受けた。

 木造二階建ての和風旅館だったんだけど、二階のぼくの客室に行くまでに、赤い欄干のついた小さな太鼓橋があった。部屋の入り口には小さな軒があって、格子戸を開けて小さな玄関があり、障子を開けた先に四畳半の座敷があった。これまた小さな床の間があって、窓を開けると駅の遠景が見えた。

 谷中の墓地が裏手にあったから、駅の裏側の丘の上の宿だったような気がする。朝食がついてて、帳場の奥にある座敷で食べた。何泊かしたとおもうんだけど、駅前はなんともさびれた雰囲気で、おのぼりさんの僕は満足に食堂も見つけられなかった。

 映画が作られてから18年後のことなんだけど、津川雅彦と有馬稲子の密会した待合は、たぶん、あんな雰囲気だったんだろうなぁ。

 それと、ぼくが初めて調布に行ったのは、それから4年後のことだ。深大寺がふたりの出会いの場なんだけど、ぼくが深大寺に初めていったのはさらに数年経った1985年あたりだ。映画の撮影が行われてから25年後の深大寺は、現在とほとんど変わっていない。

 たぶん、映画が撮られてすぐに凄まじい勢いで都市化したんだろね。

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日本誕生

2007年08月28日 15時23分16秒 | 邦画1951~1960年

 ◇日本誕生(1959年 日本 181分)

 英題/The Three Treasures

 監督/稲垣浩 脚本/八住利雄 菊島隆三

 撮影/山田一夫  有川貞昌 美術/伊藤熹朔 植田寛

 作画/向山宏 特殊技術/渡辺明 井上泰幸

 特撮監督/円谷英二 音楽/伊福部昭

 出演/三船敏郎 原節子 上原美佐 香川京子 司葉子 田中絹代 水野久美

 

 ◇東宝1000本記念超大作

 日本映画界において、剣ひとつでヤマタノオロチと戦えるのは、やっぱり三船敏郎しかいない。

 ていうだけでなく、東宝オールスターの記紀神話なんて、もう後にも先にもこれっきりな作品なんで、まあ、なんといったらいいのか、東宝ファンが「1000本なんだね~」といって愉しめばそれでいいのかなと。おおらかで、ほがらかで、ほんっとに明朗健全な東宝映画だ。たまには、こういう日本人の良心みたいな映画もいいものだ。

 ちなみに、この映画は2005年12月3日(土)に、稲垣浩の生誕100年を待ってニュープリント版が作られ、リバイバル上映されたんだけど、どうせならもう10年待ってデジタルリマスターにしてほしかった。

 ま、この映画については、こんなもんにしとこ。

 あ、ところで、映画の中で香川京子が演じているのは美夜受姫っていうんだけど、尾張国造乎止与命の娘にして、建稲種命の妹らしく、関連しているのは熱田神宮だ。

 辞書によれば、こんな感じだ。

「日本武尊は東征の帰途、媛を娶って草薙剣を預けた。尊の死後、媛はこの剣をまつって社を建て、熱田神宮の起源をなしたという」

 で、知多半島に阿久比町宮津という在所がある。美夜受も宮津も音は同じだ。付近には日本武尊の伝説もある。となると、もしかしたら宮津は記紀神話でいうミヤヅかもしれない。興味ぶかいのは、この宮津に、知多半島では唯一の前方後円墳があることだ。そんなに大きなものじゃないけど、二子塚古墳という。

 美夜受姫の墓だったりしたら、愉しいね。

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秋日和

2007年07月17日 19時43分07秒 | 邦画1951~1960年

 ◇秋日和(1960年 日本 128分)

 監督/小津安二郎 音楽/斎藤高順

 出演/原節子 司葉子 岩下志麻 笠智衆 中村伸郎 佐分利信 沢村貞子 岡田茉莉子

 

 ◇母と娘

 小津にしてはめずらしい父と娘ではなく母と娘なんだけど、そうか、でも原節子と司葉子になる時代なんだね。なんだか、時代ってこういうふうに感じちゃうものなのかもしれないね。岩下志麻が小津作品に初登場ってのも、そういう時代ってことなんだろうけど、この次はもう主役なんだからたいしたもんだ。

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お早よう

2007年07月16日 19時14分31秒 | 邦画1951~1960年

 ◇お早よう(1959年 日本 96分)

 監督/小津安二郎、音楽/黛敏郎

 出演/久我美子 笠智衆 三宅邦子 杉村春子 沢村貞子 東野英治郎 長岡輝子

 

 ◇屁

 あんまり品の好いギャグじゃないけど、小津はどうしても使いたかったらしい。

 これといって印象の残らないのはやっぱりコメディとしては色褪せた観があるからかもしれない。というより、今の時代とは相容れないところが出てきちゃってるんだろうね、とくに日本の戦後と現代とでは。

 それにしても、こうした新興住宅地の長屋ってのはほんとにセットじみた作りだったんだろうか。ああ、でもおもってみれば、当時の川沿いの土手ちかくの住宅って、こういう作りが多かったかもしれない。

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彼岸花

2007年07月15日 19時03分13秒 | 邦画1951~1960年

 ◇彼岸花(1958年 日本 118分)

 監督/小津安二郎 音楽/斎藤高順

 出演/佐分利信 有馬稲子 山本富士子 久我美子 田中絹代 笠智衆 佐田啓二

 

 ◇赤

 小津の初カラー作品で、アグファだという。

 なるほど、たしかに赤が効いてる。というより小津の画面をおもいだしてみれば、網膜に残るのは赤だね。まあ題名も彼岸花だし、赤が効いてなかったらどうしようもないものね。

 そんなことはともかく、いつの時代も娘が自分の前からいなくなってしまうという過酷な状況に、男は我を忘れてしまうんだね。ここでは佐分利信も中村伸郎も笠智衆もみんなおんなじ立場ってのが悲哀をよけいにそそるように設定されてるんだね。

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喜びも悲しみも幾歳月

2007年07月13日 18時10分17秒 | 邦画1951~1960年

 ◎喜びも悲しみも幾歳月(1957年 日本 160分)

 原作・脚本・監督/木下惠介 音楽/木下忠司

 出演/高峰秀子 佐田啓二 中村賀津雄 田村高広 桂木洋子 夏川静江 仲谷昇 有沢正子

 

 ◎若山彰の歌が懐かしい

 中学校のときだったか、修学旅行になぜか歌集を持っていった。当時、キャンプだの、移動バスの中だの、なんだかいろんなところで合唱することが多くあって、そのとき、たいがい歌集が渡された。先生たちの手作りなんだけど、たいがい、ロシア民謡だのフォークソングだのといったたぐいのものばかりで、まあ、そういうことで、軍歌やら流行歌やらは当然、入っていなかった。そんなことはどうでもよくて、その中にこの映画の主題歌があった。

 ぼくは当時、この作品を観たことがなかったんだけど、なんだかその歌の影響か、えらくその内容が好きで、映画を観る前から好きな映画になってた。実際に観たのはずいぶんと経ってからのことだったけど、社会に出てからリメイクされた。木下惠介の作品は『二十四の瞳』もそうだけど、リメイクされるのがブームだったんだろうか。

 で、そのリメイクに、ひとり、若手の女優さんが出た。篠山陽子さんという人で、初めてお会いしたとき、とても淑やかで、その綺麗さに驚いた。聞けば、この作品のリメイクに出演したという。なんでかといえば、彼女のお母上はこちらの旧作に出演されていたとのことで、誰なのかとおもえば有沢正子だった。へ~っとおもった。

 篠山陽子さんはそれからすぐ『はいからさんが通る』に出演して、南野陽子ちゃんの友達役だったんだけど、やっぱりどえらく綺麗だった。でも、その後、たしか米国に留学してハリウッドを訪ねたはずで、でも、まもなく女優はやめてしまったんじゃなかったかな。惜しいなあと、ずっとおもってる。

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二十四の瞳

2007年07月12日 17時40分58秒 | 邦画1951~1960年

 ☆二十四の瞳(1954年 日本 156分)

 監督・脚本/木下惠介 音楽/木下忠司

 出演/高峰秀子 天本英世 笠智衆 田村高広 月丘夢路 夏川静江 浦辺粂子

 

 ☆岬の分教場

 戦争を知らないぼくは、この作品をリアリズムをもって鑑賞することは難しい。

 だから、大学時代に初めて観たときもさほど軍国主義うんぬんについて怒りめいたものは感じられず、なんというのか天災のようなものに近いような、そんな印象を受けた。長じてから、というより年を食ってからそうでもなくなったけど、甘っちょろい大学生だった頃は、恥ずかしながらそんなものだった。

 で、話は変わるけど、この岬の分教場に、大学時代、ふとしたことから訪れることがあった。

 宮下さんという、土庄の港の近くのお宅のお嬢さん、たしか典子さんといわれたか、もうずいぶんと昔の話だけれども、ちょうど、大阪から帰郷された日に偶然そちらへ伺い、翌日、分教場を案内してくださった。ありがたかった。あとにもさきにも、小豆島へはそのときしか行ったことがなく、宮下さんへのお礼も告げられないまま、時を過ごしてしまったが、皆さん、お元気なのだろうか?

 ちなみに、小学校ではないけれども、幼稚園の同窓会はしたことがある。卒園して半世紀経った日、ぼくたちは年少組から年長組へ上がる際にご結婚された先生を訪ね、浜松まで出かけ、同窓会をした。ぼくたちは先生のことが大好きで、ちょうど、大石先生のような方だったこともあり、その同窓会のとき、しきりにこの映画がおもいだされたものだ。

 

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大いなる旅路

2007年06月03日 00時05分56秒 | 邦画1951~1960年

 ☆大いなる旅路(1960年 日本 95分)

 監督/関川秀雄 音楽/斎藤一郎

 出演/三國連太郎 風見章子 高倉健 中村嘉葎雄 梅宮辰夫 東野英治郎 加藤嘉

 

 ☆昭和19年3月12日7時56分、C58283号、転落

 この事故の概要をもう少し詳しくいうと、こんな感じになってる。

 3月11日19時、宮古経由釜石行の貨物列車が盛岡を発車した。宮古機関区の機関車C58283が牽引する13輌の下り貨物列車だった。釜石製鉄所からの軍事物資の鉄を満載して盛岡まで到着していたのが、この夜、岩手県内の山田線を利用して、宮古へ空車回送するために出発したものだった。

 乗員は、福島県出身の加藤岩蔵機関士(28歳)と前田悌二機関助士(19歳)だった。しかし、2メートルを超す積雪と強風の猛吹雪のため立ち往生し、途中の平津戸駅への到着は2時間以上も遅れ、午前0時が過ぎていた。さらに、先行する列車が川内駅で立ち往生していると連絡を受けたため、駅で列車を止めて、釜の火を調節しながら一夜を明かした。

 翌朝、先行する列車が動いたという報せが入り、7時56分、加藤機関士は前田機関助士と宮古へ向けて出発した。橋梁やトンネルは雪がなく加速をつけられたが、そうでない鉄路では雪の壁を押しのけながら進まなければならなかった。

 加藤機関士は、必死になって火を焚かせた。第三大峠トンネルを出、第一小滝トンネルをめざした。その間の鉄橋は、3つ。事故が起きたのは、2つ目の第二下平鉄橋である。

 橋桁が雪崩に押し流され、線路が宙づりの状態になっていたため、8時7分、いきなり脱線し、30メートル下の閉伊川に転落した。連結器がちぎれて貨車7輛は線路に残ったが、あとは転落した。

 機関車は転覆し、運転席の加藤機関士は右胸に重症を負った。前田助士は軽傷だったが、右手に裂傷を負い、骨が露出していた。加藤機関士は、前田助士に懐中時計を渡した。ガラスが割れて止まっていた。

「これが事故の起きた時間だ。後続列車の二重事故を防げ」

 前田助士は平津戸駅へ戻ろうと出発したが、腰までの積雪のため断念し、加藤機関士のもとへ戻って怪我の手当を行った。 

 その頃、平津戸駅では、予定時間を大幅に過ぎているのに、貨物列車が川内駅に到着していないという知らせを受け、地元青年団が除雪する中、保線員が徒歩で川内駅へ向かった。

 二時間後、保線員が脱線を発見、加藤機関士と前田助士は救助された。

 しかし、医師看護班を乗せて宮古を発した列車が川内に着いたのは23時を回っていて、それまでに加藤機関士の容態は悪化、前田助士の手を握ったまま息をひきとった。

 戦時だったためか、脱線事故は新聞記事にも取り上げられず、横転したC58283が引き揚げられたのは、戦後数年を経てからだった。

 前田機関助士は、事故のあった年の9月に召集され、横須賀海兵団に入団していたが、戦後まもなく復員し、宮古機関区に復職した。引き揚げられたC58283は、郡山工場で修復復元され、山田線がディーゼル化される昭和45年まで、前田機関士により稼働した。

 事故の前後はそんな感じなんだけど、昭和30年代の前半、盛岡鉄道管理局機関部労働組合盛岡支部で『殉職者頌徳帳』が刊行された。これに、山田線・平津戸ー川内間での脱線事故の詳細について、前田機関助士の手記が掲載された。

 この手記を目にとめたのが脚本を担当した新藤兼人で、東映に持ち込んだとされてるんだけど、ちょっと腑に落ちない。というのも、原作者は加藤秀雄とされているからだ。この加藤秀雄という人はいったい誰なんだろう?殉職した加藤岩蔵の長男かなにかなんだろうか?わからない。

 たぶん、東映の社員でも、当時の映画化のいきさつを知っている者はいないんじゃないかしら。まあ、それはいつかわかるときが来るとおもっておいとくけど、それにしても、仲沢半次郎、よく撮った!本物の機関車を脱線させて雪の谷底へ落とし、撮影したのは驚きだ。国鉄の全面協力とはいえ、職員立ち会いのもととはいえ、凄すぎる。

 明朗健全東映現代劇を代表する作品のひとつだと、ぼくはおもってるんだよね。

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