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☆=☆☆☆☆☆
◎=☆☆☆☆
◇=☆☆☆
△=☆☆
▽=☆

男はつらいよ 寅次郎忘れな草

2019年10月20日 10時08分30秒 | 邦画1971~1980年

 ◎男はつらいよ 寅次郎忘れな草(1973年 日本 99分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 松村達雄 浅丘ルリ子

 

 ◎第11作 1973年8月4日

 25年後の1998年にアニメまで作られてるんだね、知らなかった。

 でも、この回の脚本は秀逸だな。山田洋次に加えてこれまでの相方だった宮崎晃に浅間義隆が参加してる。脚本は複数で書けば書くほど良くなるわけではないけれども、この回の場合、それは成功しているとおもっていいんだろう。いや、ぼくがいうのはなんだけど、うまい。

 リリーとの出会いからして将来このふたりは一緒になったら好い夫婦になるんじゃないかっていう妙な気の合い方と物悲しさが混ざり合ってる。

 どうしようもない男と女が幸せになろうとして頑張るんだけど、でもすれ違ってしまって、せっかく手が届きかけた幸せが擦り抜けていっちゃう辛さがそこかしこに散りばめられてる。

 浅丘ルリ子のメイクも並はずれて好い。毒蝮三太夫の嫁になって寿司屋の女将になったときの自然なメイクもいいしね。

 上手だね、この回は。

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男はつらいよ 寅次郎夢枕

2019年10月19日 19時57分37秒 | 邦画1971~1980年

 ◇男はつらいよ 寅次郎夢枕(1972年 日本 98分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 田中絹代 八千草薫

 

 ◇第10作 1972年12月29日

 前回、森川信の急死で、急遽、おいちゃんが松村達雄になったんだけど、もうその違和感は抜けてる。

 また、数回前、併映されるのもハナ肇の為五郎シリーズからドリフに変わったりして、この時代はなんだか変化があったんだね。

 で、そのハナ肇への餞のように、夢の中で「マカオの寅」が登場する。ちょうど『喜劇 一発大必勝』の「ボルネオの寅吉」のようだけど、まあその寅が登場して書生の博と女給のさくらを救う。たぶん、この回から夢のパターンが出来てきたってことなんだろう。

 日出塩駅を通過するSLの迫力はたいしたもんだけど、ほんと、このシリーズにSLは多いね。

 帝釈天の境内で遊んでるガキんちょの母親が呼びにきて「遊んでばかりいるとね、寅さんみたいになっちまうんだよ!」といわれたり、寅の縁談を探すと町中がそっぽをむいたしまうっていう町では厄介者あつかいだ。いやこの頃の寅は、源公が帝釈天の門扉に「トラのバカ」と落書きするようにどうしようもない低能のろくでなしなんだよね。いつからまともになったんだろう。

 ところでこの回で、源公が「バカ」と書いた寅の泣いた似顔絵を鐘に貼って憎々しげに撞くんだけど、むかし、これがよく受けたんだよね。劇場はなぜか笑いの渦だった。

 それと、寅が出ていくときのすったもんだだけど、この回がいちばんいいかもしれない。寅の縁談話がこじれるんだけど、「おれが一番つらいおもいしてんだぞ、そうおもわねえか」と怒鳴る寅に、さくらは泣きながら「そうおもうわよ」とうなずき「だけどね、ほんっとにつらいのはおにいちゃんよりおいちゃんたちかもしれないのよ」と顔をおおったとき、寅は気がつくんだな。

「そうよな。さくら、いちばんつれえのは…」

 といってさくらをふりかえるんだ。この瞬間、ヒロインはさくらなんだなってのがわかるね。マドンナは、やっぱり、ゲストなんだよね。

 で、このあと信州の引きの絵になってビバルディが掛かる。染み入るような曲調から転調して物語も転じ、登場するのが田中絹代。うまいな。タイトルがトメになってるだけあるな。

 そこで語られるのが、ハナ肇の為五郎ならぬ為三郎ていう旅者の死にざまだ。寅の将来だね。このままじゃこうなるという暗示だね。

 墓参りまでバロックだ。うまいな。

 しかしせっかくのいい雰囲気が、奈良井の宿で寅をかたった登と再会してからもビバルディだ。これはちょっとな。

 ちなみに、足を洗えと置き手紙して朝いなくなる寅の姿を追って登が駅を見下ろしたとき、やっぱりSLが駅を通過する。ここでもSLか~って話だ。

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男はつらいよ 柴又慕情

2019年10月18日 01時00分40秒 | 邦画1971~1980年

 △男はつらいよ 柴又慕情(1972年 日本 102分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 宮口精二 吉永小百合

 

 △第9作 1972年8月5日

 木枯し紋次郎が流行ってた頃だったんだろうか?

 夢の中の寅は、紋次郎気取りで札束を放り投げるんだけど、単に海辺の貧乏な夫婦に金を恵んでやるだけの話なんだよね。

 わざわざロケをするほどの話かと観客におもわせるのは、あまりにもひどいロケセットと現代の住宅地が筒抜けになってる茶番劇のくだらなさを狙ってるからなんだろうか。夢から覚めた金平の駅と列車があまりにも素晴らしく、夢とのギャップが凄い。夢落ちのひと芝居もなく、列車がゆくのを延々撮ってる。信号の切り替えまでちゃんと収まってる。へ~。

 タイトルバックにタコ社長と源公が登場するのはこれだけなのかな?珍しいな。

 ていうか、この回は「へ~」とおもわせるところが続いている。柴又の駅前ってこの頃は公園に面してて狭かったんだね。へ~。旅先で吉永小百合に出会うんだろな~とおもってたけど、あらま、ずっと同じ行程で宿の部屋まで向かい合わせなのに知り合わないのね。こういう展開もいいよねとおもってたら、やっぱりすぐに出会ったわ。

 けど、吉永さん、この頃からdiscoverJapanなのね。もういい加減にしてくれよといいたくなる『笑ってえ。はい、バター』の定番ギャグに辟易しつつも、その駅舎の美しさに感動し、さらに、寅が吉永さんを見送る駅もまた風情があってよかった。こんなふうに旅先で出会ったりすることはまずないぞっておもいながらもね。

 ただまあ、かなりきつい台詞もあったりする。たとえば「見ろ、頭の足りない源でもああして働いておる」とかいうのがそれで、現代の邦画でこうした台詞は通用するんだろうか。ま、それはそれとして、寅が帝釈天の渡り廊下をすぺるんだけど、こういうのは懐かしいな。ぼくも小学生の時分には裏のお寺の渡り廊下でそうしたもんだ。

 ちなみに「愛知県の窯のあるような田舎で暮らすことになるのね?」とさくらは訊ねるんだけど、それ、倍賞さんがバスガイドを演じた『喜劇 一発大必勝』の舞台なんだよね。となると知多半島の常滑ってことになるんだけど、あれれ、吉永さんからの手紙の住所、愛知県春日井市高蔵寺町じゃん。常滑じゃなかったんだ?

 でも、なぜか、この続編は場所が移動されちゃってる。岐阜県の多治見に変更されてるんだけど、なんでなんだろう?

 ところで、日本語の使い間違いが多いのはちょいと気になる。愛知県の方に、とか、とんでもございません、とかいうのがそれだ。

 ま、そんなことはいいとして、ラスト、のぐそをしたのぼること津坂匡章と一緒にペプシコーラの販売をしてる『中部飲料株式会社』のトラックに乗ってくんだね。結局、常滑っていう設定だったのか、瀬戸だったのか、春日井だったのか、よくわからん。

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男はつらいよ 寅次郎恋歌

2019年10月17日 00時45分40秒 | 邦画1971~1980年

 ◇男はつらいよ 寅次郎恋歌(1971年 日本 113分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 太宰久雄 志村喬 池内淳子

 

 ◇第8作 1971年12月29日

 ほう、ここから岡本茉莉演ずるところの大空小百合が出てくるのね。

 森川信のタイトルもおいちゃんになってるし。で、池内淳子がトメで志村喬がトメ前なんだあ、なるほどね。

 さくらが泣いて、やおまんが「そんなに勉強しないと寅さんみたいになっちゃうよ」と孫を叱って「何でそんなにばかにされないといけないの?」と嘆くんだが、この頃の倍賞さんは品があって綺麗だな~。

 で、池内淳子は帝釈天の斜め前にある喫茶店ロークを営んでいるんだけど、まあそれはそれとして、観る気を失せさせるほどの寅の素行と頭の悪さがどんどん度を越してくるんだ。観ていて、つらいね。続きを観る気が失せてくる。

 けど、寅、かっこいいところもある。池内淳子が騙されたような借金に苦しんでいるのを知ったとき、結局、自分ではなにもしてあげられず、りんどうの花束を持ってきてこういうんだ。

「あのう、なにか、困っていることはございませんか。どうぞ、わたくしにいってください。どうせ、わたくしのことです。大したことはできませんが、指の一本や二本、片腕や片足くらいなら大したことはありません。どうぞ、いってください。どこかに気に入らない奴がいるんじゃありませんか?」

 愛の告白やね。

 あれ?今回は泣かせるな。

 佳境、さくらが寅と代わりたいというところだ。寒い冬の日、さくらはどうしてるかと心配させてやりたいと。寅は泣いて「さくら、すまねえ」といって去る。ここ、泣かせるね。ラストは大空小百合と再会してトラックの荷台に乗って行くんだけど、このパターンはこの回からだったんだね。

 両想いになるパターンも、ここからなのかな。

 明らかに寅は身を引いたわけだけど、もしかしたら、寅は死に場所を探してたのかもしれないね。池内淳子のためにかたわもんになるか、あるいは死ぬことで愛は成就されるんだけど、池内淳子が借金の精算のめどが立ったことで、もはや、寅の介入できる可能性はゼロになっちゃったから、あとはもう去るしかない。池内淳子の琴線は刺激したかもしれないけど、それは一時的なことだってわかってるからね。

 寅が働けばいいんだけど、性分としてそれはできない。まあそれに池内淳子が「いつか旅に出たい」とちょっと物欲しげにいったところで、がきんちょもいるし、うまくいかないのは目に見えてる。つらいところだ。身を引く、悪く言えば逃げるしかない。それが寅の人生なんだな。

 他人が「寅さんみたいになっちゃうよ」っていうのは、こういう深いところの運命もいってるんだよね。

 それと、池内淳子にいう志村喬のうけうりに自分の旅先の姿を投影して柴又の家族をおもう寅の告白をさせるんだが、これ、すぐあとのさくらの旅先の寅をおもう心根とが対になってるんだよね。ま、あれだね、シリーズ後半なら「りんどうの花」とか「りんどうの詩」とかになるんだろうな。

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男はつらいよ 純情篇

2019年10月16日 13時38分22秒 | 邦画1971~1980年

 ▽男はつらいよ 純情篇(1971年 日本 91分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 ミヤコ蝶々 田中邦衛 榊原るみ

 

 ▽第7作 1971年4月28日

 集団就職の乗り込んだ列車を見送るひと幕で、まあお決まりの「あ、おれもあの列車に乗るんだった」ていう展開でタイトルなんだけど、森川信のタイトルはこの回は「おじちゃん」なのね。

 しかし、みんな、若いな。おいちゃんが「表へ出ろっ」と叫んで、さくらまでもが寅を怒鳴りつけてる。その若さが、帝国ホテルの615号室の湯船を「でけえ金隠しだな」とかいっておしっこしちゃったりするんだね。くわえて「脳が足りねえとはなんだ、その脳の足りねえ息子を産んだのはどこの女だ?」で始まるミヤコ蝶々との親子喧嘩も若さの故なんだろう。

 けど、この頃になってようやく、さくらも大人になってきた観がある。スーツの似合うしとやかなご婦人になったわ。

 でも、そうか。朝日印刷の労働者諸君や榊原るみ演じる知恵遅れの青森出の娘の交番を覗く若者らのカットを見てると、なるほど、都会に翻弄される若者が主題なのか。いかにも当時の主題だなあ。

 いや、そんなことより、榊原るみだ。この頃はまだちょっぴり太ってて田舎娘の野暮ったさが満載だけど、そんなことはどうでもいい。可愛いな~。じつに、可愛い。当時、この可憐な女優さんは、お嫁さんにしたい女優とかいうランキングはなかったものの、それをしたらだんとつでいちばんだったんじゃないかって気がする。

 まあそれはさておき、残酷な回だな。寅がさくらを殴り飛ばして旅に出るのは初めてなんだろうけど、でも「足りねえやつと足りねえやつが結婚するのはだめだ」っていう寅の考えはあかんのじゃないかしら。あ、でも、青森へ向かったとおぼしき寅がなにをしでかすかわからず、その心配が高じてさくらが青森県のとどろきまで出向くという展開は、これまで観たことがない。

 あ~有名な海辺の無人駅か。冒頭とおなじくディスカバー・ジャパンのポスターが貼ってあるし、この時代なんだね。

 田中邦さんも若いな。とんでもない、とんでもないって台詞の連発だけど、好い感じだ。

 まあ、この回はミヤコ蝶々も出てたりする分、寅がらみの余分な連中も見当たらないし、ラスト、バスの中で再会するのもあったりして、ちゃんと寅とさくらの物語になってるのも珍しいかな。でも、これでいい気がする。このシリーズでマドンナとか呼ばれる人たちはいってみればお飾りな感があって、ほんとのヒロインはさくらなんだから。

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男はつらいよ 純情篇

2019年10月15日 13時19分13秒 | 邦画1971~1980年

 △男はつらいよ 純情篇(1971年 日本 89分)

 監督/山田洋次 音楽/山本直純

 出演/渥美清 倍賞千恵子 前田吟 笠智衆 三崎千恵子 宮本信子 森繁久彌 若尾文子

 

 △第6作 1971年1月15日

 この作品、ぼくがひとりで劇場で観た最初の邦画だとおもうんだけど、忘れられない場面がある。

 でも、それより先に夢の話だ。無い。夢が設定されてない。その代わりに置かれているのが、夜汽車の一光景。ビールが弾ける。お笑いくださいまし、行きずりの若い女に故郷をおもいだすのでございますっていう独白だ。これで、三十九歳と知れる。

 それはそれとして、寅はこの頃、自分のことをさくらに話すとき「あんちゃんな」ていうんだね。へ~っておもった。

 ま、それもおいて、忘れられない場面のことだ。旅館九重。五島列島に渡る子連れの女に「船賃を貸してくれ」といわれ、一緒に泊まる。で、女はワンピースの背中のジッパーを下ろしながら「お金ば借りて、なんもお礼ができんし。子供がおるけん、電気ば消してください」ていうんだけど、寅はこういうのよ。

「あんた、そんな気持ちでおれに金を…。行きずりの旅のその男が、妹の身体をなんとかしてえなんて気持ちを起こしたとしたら、おれはその男をころすよ」

 この場面は、当時中学生だったぼくにとって、かなり衝撃的だった。いやそれより、宮本信子だったんだね。薄くて薄幸そうなメイクだな~。

 ちなみに、タイトルでは「おじさん」だけど、寅の台詞では「おいちゃん」なんだね。なんでだろ?

 で、若尾文子は、ほかのヒロインとはちがって無意識に寅の善意に甘えることもなく、もちろん利用することもなく、寅の好意は嬉しいが諦めてくれという。いうんだが、これを寅がやはりお決まりの勘違いをするところから、もう続きを観るのがつらくなってきた。

 若尾文子の旦那というのは、作家で、新人賞は獲ったものの数年しか保たず、あとは知り合いのところに居候したり、間借りしたりで定住できず、つらい日々が続いていたようで、しかしそれでも、知的な職業の夫を棄てきれない女の哀れさが出てくる。このあたりはいつものとおりなんだけど、なんにしても若尾文子の台詞のとおり「女って弱いのよ」だよね。

 健気さはときに哀れでもあるけど、それが本人の口から洩れるとき、女って弱いのよって台詞になるのかしらね。

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愛のコリーダ

2017年10月27日 00時00分19秒 | 邦画1971~1980年

 ☆愛のコリーダ(1976年 日本、フランス 104分)

 仏題 L'Empire des sens

 英題 In the Realm of the Senses

 監督・脚本 大島渚

 出演 小山明子、殿山泰司、芹明香、白石奈緒美、岡田京子、中島葵、松井康子、東祐里子

 

 ☆昭和11年、帝都中野、吉田屋

 くだらないのはこの映画に関連した裁判で、映画本編のことではなくてその脚本と宣材スチルを綴じた書籍が猥褻物頒布罪にあたるかどうかってことだった。ばかばかしい話で、結局無罪になるんだけど、そんなくだらない裁判をしている閑があったらもっとほかにしなくちゃいけない裁判がごまんとあるだろっておもったのは、いったいいつだったんだろう?

 実をいうと、てほどの話でもないんだけど、この『愛のコリーダ』と『愛の嵐』はほとんどおなじ時代に作られてて、後者の方が2年早い。で、ぼくはこの2本はかなり好きなんだけど、それはともかく、2本に共通しているのは男と女が密室に籠もりっきりになって愛欲に浸り続けるってことだ。それは死をも超越した愛欲で、人として生まれたからには徹底した愛欲の日々は経験しないとあかんのじゃないか、人生に後悔してしまうんじゃないかっておもえるほどの痴情の極致なんだけど、まあ吉田屋の主人吉蔵こと藤竜也のように他の芸者も揚げて乱交に及ぶのはちょいと無理として、阿部定こと松田暎子とふたりきりで密室で数日を過ごすくらいは誰でもできる。たまには、若芽か栗の花のような匂いのする饐えた空気の中でこれでもかってくらい痴態の時を過ごしてみるのもいいもんだろう。

 実際、この作品は興味本位で観られることが多いけど、大島渚の作品の中では『戦場のメリークリスマス』と双璧を成すくらいの傑作だとおもうんだよね、実は。まあ、陸軍の歩兵隊の行進とすれちがうくだりで、さまようように歩いていく藤竜也の心と体がもはや世間から遊離しちゃったどころか逆行してるってだけじゃなく、戦争するくらいなら性戯に溺れるだけの生活の方が遙かにましだっていう反戦もちょっと見せてたりするものの、そんなものは刺身のつまにしかならず、ひたすら男と女の性の真実を追求してるわけで、まさしくそれが好くて、しかも花柳界の下卑た遊びがぎゅうぎゅうに詰まってるところがさらに好いっておもっちゃうんだよね。

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復活の日

2017年07月30日 21時25分24秒 | 邦画1971~1980年

 ◎復活の日(1980年 日本 156分)

 英題 virus

 監督 深作欣二

 出演 草刈正雄、オリビア・ハッセー、ジョージ・ケネディ、ロバート・ボーン

 

 ◎2000㎜の望遠を見よ!

 その頃、ぼくはものすごく興奮して草刈正雄の南への旅を見た。

 ただ、あと、印象に残ってるのは正月に強行した都内ロケで、早朝、誰もいない東京が撮られたことと、35㎜で撮られたことのない南極の本物の風物を見ることができたことくらいかもしれないね。というのも、最後の延々と続く旅はぼくはとても好きだけど、あれは一般の観客には辛かったかもしれない。みんな、あくびしてたような気もする。

 けど実はこの映画はちょっとばかし大仰で、いや、深作さんの芝居のつけ方が熱が入り過ぎていたのかどうかわからないんだけど、誰も彼も芝居が濃すぎて、絶叫とお涙ばかりが続いて、どんどん食傷気味になっていくのはいかんともしがたい。

 とはいえ、ジャニス・イアンの「You are love」は好いし、ぼくはずいぶんと影響された。それはまちがいのない事実だから、とりあえず◎だ。

 

 

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古都

2017年03月31日 22時46分51秒 | 邦画1971~1980年

 ◎古都(1980年 東宝 125分)

 監督   市川崑
 脚本   日高真也、市川崑
 原作   川端康成
 製作   堀威夫、笹井英男
 制作補  金沢修
 撮影   長谷川清
 美術   坂口岳玄
 音楽   田辺信一
 主題歌  山口百恵 『子守唄(ララバイ)』
 録音   大橋鉄矢
 照明   加藤松作
 編集   長田千鶴子
 助監督  川崎善広
 スチール 橋山直己
 出演   山口百恵、三浦友和、實川延若、沖雅也、加藤武、小林昭二、泉じゅん、
      常田富士男、浜村純、石田信之、北詰友樹、三條美紀、岸惠子

 

 ◎山口百恵引退作品

 盛り上がることもなく淡々と進む。町育ちの姉が沖雅也とくっつくのは普通に進むのだが、機織り屋の息子が山育ちの妹に姉の代わりとして惚れるよりも三浦友和を選ぶのはわからないでもないが、それによって姉妹はやはり並行したままの人生を歩んでしまうのだなと。人は生まれではなく育ちなのだといわれているような気がした。

 以下、おまけ。

 

 その壱『山口百恵は、川端康成の申し子である』

『もみじの古木の幹に、すみれの花がひらいたのを、千重子は見つけた』
 川端康成がノーベル文学賞を受賞したときに対象となった作品は幾つかあるが、その中に『伊豆の踊子』と『古都』がある。冒頭に挙げたのは、その『古都』の冒頭である。紅葉に菫が咲くという、なにやら不思議な出だしの意味については、物語を知れば「ああ、そういうことか」と納得できるので、ここでは触れない。
 触れたいのは、山口百恵という不世出の歌手にしてアイドル、そして女優のことだ。山口百恵の主演デビューは『伊豆の踊子』だった。そして引退作品はこの『古都』である。これはもはや運命的な出会いといっていい。なぜなら、新人が文芸作品で主役を演じてそれなりの箔をつけ、やがて押しも押されぬ女優となってから本格的な文芸大作に出演してゆくというのは、当時の邦画界における常道とされた。田中絹代、美空ひばり、鰐淵晴子、吉永小百合、内藤洋子、そして山口百恵が『伊豆の踊子』で踊り子を演じたのもそうした登龍門のひとつとなるのだが、ただ、この女優たちの中で『古都』の双子姉妹を演じたのは山口百恵ただひとりだからだ。他に『古都』の主役となったのは岩下志麻と松雪泰子だけで、さらに川端作品の範囲を広げて探索すると、このような表を作成することができる。

 有りがたうさん(1936年) 監督・脚色:清水宏
              出演:桑野通子、築地まゆみ、二葉かほる
 舞姫(1951年)      監督:成瀬巳喜男、脚本:新藤兼人
              出演:高峰三枝子、岡田茉莉子
 浅草紅団(1952年)    監督:久松静児、脚本:前田孤泉
              出演:京マチ子、乙羽信子
 千羽鶴(1953年)     監督:吉村公三郎、脚本:新藤兼人
              出演:木暮実千代、乙羽信子、杉村春子
 母の初恋(1954年)    監督:久松静児、脚色:八田尚之
              出演:岸惠子、丹阿弥谷津子、三宅邦子
 山の音(1954年)     監督:成瀬巳喜男、脚色:水木洋子
              出演:原節子、中北千枝子、角梨枝子
 雪国(1957年)      監督:豊田四郎、脚色:八住利雄
              出演:岸惠子、八千草薫
 雪国(1965年)      監督:大庭秀雄、脚色:斎藤良輔、大庭秀雄
              出演:岩下志麻、加賀まりこ
 美しさと哀しみと(1965年)監督:篠田正浩、脚色:山田信夫
              出演:八千草薫、加賀まりこ
 女のみづうみ(1966年)  監督:吉田喜重、脚本:石堂淑朗、大野靖子、吉田喜重
              出演:岡田茉莉子、夏圭子
 眠れる美女(1968年)   監督:吉村公三郎、脚本:新藤兼人
              出演:香山美子、中原早苗、松岡きっこ
 千羽鶴(1969年)     監督:増村保造、脚色:新藤兼人
              出演:若尾文子、梓英子、京マチ子
 美しさと哀しみと(1985年)監督:ジョイ・フルーリー
              出演:シャーロット・ランプリング
 オディールの夏(1995年) 監督・脚本:クロード・ミレール(眠れる美女より)
              出演:エマニュエル・セニエ
 眠れる美女(1995年)   監督:横山博人、脚本:石堂淑朗
              出演:大西結花、吉行和子、鰐淵晴子
 眠れる美女(2007年)   監督・脚本:ヴァディム・グロヴナ
              出演:アンゲラ・ヴィンクラー、モナ・グラス
 sleeping beauty/禁断の悦び(2011年)監督・脚本:ジュリア・リー
                    出演:エミリー・ブラウニング

 つまり、川端康成原作の映画に、主演級の役どころで2作品出演しているのは、乙羽信子、八千草薫、加賀まりこ、岡田茉莉子、京マチ子、鰐淵晴子と6人いるものの、看板となる主役を2作品演じたのは、岩下志麻と岸惠子のふたりしかいない。市川崑は、その岸惠子を『古都』に起用した。もちろん、岸惠子は市川組の常連という一面もあるが、しかし、あえて起用したとおもいたい。この起用により、岸惠子から山口百恵に川端作品のバトンが手渡されたことになるからだ。
 山口百恵は川端康成の申し子であるというのは、そうしたことからである。


 その弐『京都へ行かはったら、古都をお呑みやす』

 上京区日暮通椹木町下ル北伊勢屋町に佐々木酒造株式会社なる蔵元がある。明治26年の創業だが、建てられた地が興味深い。出水と呼ばれる上京区で、仕込み水には地下水を用いている。その濾過も脱色も控えた水が、聚楽第において千利休が用いたといわれる金明水と銀明水なのである。この蔵元に、ひと樽の銘酒がある。祇園の料亭でよく呑まれ、川端康成が「この酒の風味こそ京の味」と堪能した酒で、銘は『古都』である。もちろん、小説の題名に由るもので、ラベルの字は川端の揮毫である。古き都の京へ旅し、いずれかの劇場で『古都』を鑑賞し、祇園で『古都』を味わう。古都に酔い痴れるというのは、そういうことで、贅沢な映画の愉しみ方ともいえるのではないか。

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蘇える金狼

2016年03月08日 01時37分35秒 | 邦画1971~1980年

 ◇蘇える金狼(1979年 日本 131分)

 監督 村川透

 

 ◇やっぱり風吹ジュンだろ

 村川透はその頃の東映関連の映画の多くがそうだったからかもしれないけど、青い映画を撮る人だっていう印象がある。その名前のとおり、透明感のある絵が得意で、とくに引きの絵はそんな印象だ。もっともそれはカメラマンの仙元誠三の特徴でもあるんだろうけどね。

 そんな漠然とした印象はさておき、当時、松田優作は熱狂的なフアンがいて、大学のサークルでも後輩たちはこぞって映画を観に行ってた。ぼくは古臭い学生だったから往年の映画ばかり観ていて、松田優作の新作はかならず行くんだと息巻く感覚がほとんどなかった。とはいえ、当時の松田優作の影響は凄まじく、同時に村川透も仙元誠三も邦画好きな若者たちからは喝采を浴びてた。少なくとも僕のまわりはそうだった。

 で、僕だが、風吹ジュンのことが好きな僕としては、この映画に関しては見ないわけにはいかない。ま、小林麻美も好きだったんだが、当時、彼女らはとにかくかっこよかった。松田優作を観たいんじゃなくて風吹ジュンを観たかったんだよね、きっと。

 内容について語るのは野暮だし、松田優作の演技についてもいまさら書いたところで仕方がない。だって、僕なんかより遙かに松田優作のことが好きでたまらない人間はこの世の中にごまんといるし、そういう人が書いた方が好ましい文章になるからだ。

 けど、そう、この映画は音楽が良かったんだよね。当時でも死後だけど、しびれるような主題歌だった。音楽はケーシー・ランキンだったんだけど、主題歌を歌ってたのはペドロ&カプリシャスの前野曜子だ。すげえ、かっこよかった。この歌を聴くと、なんとなく大学時代のあれやこれやが浮かんでくる。映画の内容や風吹ジュンよりももしかしたらこの歌がなにより懐かしいんだよね、実は。

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八甲田山

2014年11月18日 18時00分10秒 | 邦画1971~1980年

 ☆八甲田山(1977年 日本 169分)

 英題 Mt.Hakkoda

 staff 原作/新田次郎『八甲田山死の彷徨』 監督/森谷司郎 脚本/橋本忍 製作/橋本忍、野村芳太郎、田中友幸 撮影/木村大作 美術/阿久根巖 助監督/神山征二郎 音楽/芥川也寸志

 cast 高倉健 北大路欣也 緒形拳 栗原小巻 森田健作 秋吉久美子 前田吟 大滝秀治 藤岡琢也 島田正吾 小林桂樹 神山繁 竜崎勝 東野英心 新克利 下条アトム 菅井きん 加藤嘉 花沢徳衛 田崎潤 浜村純 大竹まこと 丹波哲郎 加山雄三 三國連太郎

 

 ☆追悼、健さん

 2014年11月10日午前3時49分、高倉健死去。

 享年83。

 ぼくみたいな門外漢がなんかいったところでどうにもならないけど、健さんという人は映画俳優を超えたところにあるいわば孤高の存在だったような気がしないでもない。高倉健という映画俳優であるということをとことんまで突き詰めて、最後まで映画俳優として人生をまっとうした。だから、ほんとうの健さんがどんな人だったのかを知っている人間はもしかしたらきわめて少ないんじゃないかって気がしてならない。

 とっても明るくて、気さくで、おしゃべりで、さびしんぼうで、たとえていえば珈琲好きな近所のおじちゃんみたいな、しかも田舎っぺで、けっこう乱暴なところもあったりして、けど、物事の筋道や礼儀をとおしてないと機嫌が悪くなるような、そんなどこにでもいる人だったんじゃないかって想像したりするんだけど、それが映画になるとさらに寡黙で、いっそう頑なで、じれったいほど不器用で、情熱をおもいきり内に秘めた、求道的な稀れ人になる。それはそのまま高倉健という人間で、健さんの場合、どんな映画であろうともその役は「健さん」だった。それは演技が上手とか下手とかいったものではなくて、ある物語に高倉健という人間がそのまま放り込まれたような演じ方だった。でも、それでいいんだよね。

 で、この作品だ。

 健さんの映画はいくつも好きな映画があるけど『八甲田山』は群を抜いてる。なんでなんだろって自分でもおもう。わからない。わからないながら、なにかどこかで自分の趣向と映画に描かれてるものが合致してる。ま、そんな自分でもわからないものをここで記しておこうとしたところで記せるはずもないわね。

 この作品が封切られたとき、ぼくは高校生だった。もう観たくて観たくて、結局、授業を抜け出した。

 当時は土曜日も学校があって、半ドンといわれてて、午前中だけ授業があった。でも、四時間目まで授業を受けていることに耐えきれなくて、脱走した。ぼくの田舎には駅前の坂をちょっと下った右手の路地に東宝の封切館があった。もちろん、そこへ急いだ。当時は映画は斜陽で、邦画なんて特にそうで、田舎の封切館なんて道楽で開けてるとしかおもえないような状態だった。だから、いつ来てもがらがらだった。世の中では大ヒットといわれてる作品も、そうだった。もちろん『八甲田山』だって例外じゃない。ぼくをふくめて10人いたかどうかって感じだった。で、またがらがらか~とおもってたら、その中に知った顔があった。いまでは故郷で教師をしている男だけど、当時、ぼくと顔が似てるとかいわれてた。なんでいるんだよと聞いたら、向こうも同じ質問をしてきた。授業中だろと。ま、おたがいどうやって抜け出したかはともかく、一緒に観た。

 感動した。すげー感動した。

 雪の中をひたすら歩み続けるのが、なんだか大学受験の勉強の日々のようにおもえた。ぼくはまるで勉強しなかったし、だから浪人もしちゃったし、ほんとにぼくみたいな怠け者はめずらしいっておもうんだけど、でも、この映画を観た帰り道だけは「がんばって大学の門まで歩いていこう」とおもったもんだ。けど、大学受験のことよりも映画製作のことに興味がどんどんと傾いた。困ったもんで、結局、それは受験勉強から逃避に過ぎないんだけど、橋本忍の書いたものをかたっぱしから読むようになっちゃった。当時、橋本忍は『砂の器』や『八つ墓村』とかいった大作をつぎつぎにヒットさせてて、ぼくは大がつくほどのファンだった。

 その橋本忍の作品に、高倉健が出てる。

 もう観なくちゃいられない作品だったんだよね。

 当時の健さんは『幸福の黄色いハンカチ』『冬の華』『海峡』『新幹線大爆破』『野生の証明』『君よ憤怒の河を渡れ』『遥かなる山の呼び声』『ブラック・レイン』『四十七人の刺客』とか立て続けに出演してて、もう70年代の後半から80年代の健さんは大変な存在だった。『四十七人の刺客』だけ90年代だけど、ぼくの贔屓の作品はみんな当時に制作されたものだ。

 そんなこんな、ともかくいろんなことがごっちゃになって『八甲田山』はぼくの中で特別な映画になってるんだけど、そうかあ、健さん、亡くなったんだね。この作品の冒頭には4人の主演級の人達がクレジットされる。高倉健、 北大路欣也、加山雄三、三國連太郎の4人だ。もう、ふたり亡くなっちゃったんだね。出演者の人達もそうだけど、少なくない人が鬼籍に入ってる。健さんと三國さんといえば、もはや別格といっていいような映画がおもいうかぶ。内田吐夢の『飢餓海峡』だ。哀悼もかねて、ひさしぶりに観ようかなあ。

 ちなみに、こんなことをおもった。

 健さんの葬儀は近親者のみで執り行われたらしい。それでこそ、高倉健らしいけりのつけ方だとぼくはおもう。この先、ひょっとすると「健さんを送る会」とかいって、映画関係者や俳優の仲間たちが声を出し、集まり、やけに賑々しく、かつ仰々しく、なにごとかの会がどこぞの葬儀場あたりで催されるかもしれないけど、はたして健さんはそんなことを望んでるだろうか。健さんにお世話になった人がもしも健さんを送ってあげたいとおもうなら、誰にも告げずにひとりで一輪の花を手にしてお墓を訪ねればいい。そして、ゆっくりと健さんに語り掛ければいい。それをしないで、社葬のような大きな場に大輪の花束を掲げてもらいたいとか、そんな形ばかりのことを健さんは期待しているだろうか。

 断言してもいいが、それはない。

 そんなことをされてしまったら、健さんが83年間にわたって積み上げてきたものが音を立てて崩れてしまいかねない。ぼくは、そうおもう。別な考え方もあるかもしれないけど、ぼくの考えはそうだ。もしも、健さんを送ってあげたいとさまざまな人達がおもったのなら、邦画各社が寄り集って、健さんのフィルムをデジタルリマスター化し、新国立劇場あたりをまるっと1か月借り切って、健さんの主演映画100本を無料で上映すればいい。そうしたことが、おそらくは、文化勲章を初めて授与された映画俳優への野辺の送りとなるにちがいない。

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血を吸う薔薇

2014年09月09日 03時06分12秒 | 邦画1971~1980年

 ◎血を吸う薔薇(1974年 日本 83分)

 staff 監督/山本迪夫 製作/田中文雄 脚本/小川英、武末勝 撮影/原一民 美術/薩谷和夫 助監督/小栗康平 音楽/眞鍋理一郎

 cast 黒沢年男 望月真理子 太田美緒 荒牧啓子 桂木美加 田中邦衛 竹井みどり 麻理ともえ(阿川泰子)

 

 ◎特撮とボク、その51

 中学3年生のとき、田舎の東宝系封切館はもはや閑古鳥が鳴いてて、かろうじて『日本沈没』は行列ができていたものの、ほかの作品はいつ出かけていっても楽勝で入れた。そんな時代、洋画は『エクソシスト』が世の中を席捲してて、ご多聞にもれず、ぼくも都会のどでかい銀幕に観に行った。けど、わざわざ邦画のために県庁まで出かける気にはなれず、観てもいいかなとおもうものがあれば、地元の封切館に出かけてた。この作品もそのひとつだ。

 当時はちょいとばかり生意気になってたものだから、岸田森がヴァッと牙を剥いても「ぷっ」とか反応してたけど、実はそれなりに怖かった。というより、けっこうおもしろかった。で、あらためて観直せば、要するに娯楽映画としてちゃんとできてるんだよね。いや、八ヶ岳をのぞむ長野県字魔ヶ里村の駅へ黒沢年男が降り立つ冒頭からして、いかにも映画然としてる。きわめてオーソドックスな撮り方で、山本迪夫という監督は前作でもそうだったけど、カット割りが実に落ち着いてる。後に2時間ドラマをたくさん撮ったらしいけど、わかりやすい撮り方が好まれたんだろね。

 物語の展開は、前作『血を吸う眼』よりも巧妙で、前作のように湖のほとりと能登半島っていう距離がない分、恐怖が集中されてて好ましい。ただ、200年前に流れ着いた宣教師とかっていうんなら海辺の町にしないとあかんのじゃないの?とかおもうんだけど、それはまあ置いておこう。この200年前の棺を前にして田中邦衛が伝説を語り始めるあたりから話はだんだんおもしろくなる。なんだか洋画みたいな導入で、ぼくとしては好みだ。

 それにしてもみんな若いこと。

 邦さんもなんとなくぎらぎらしてていい感じだし、岸田森はやっぱり吸血鬼をやらせたら右に出る役者はいないし、学長夫人の桂木美加も綺麗だったし、竹井みどりも吸血鬼の最初の奥さんにさせられちゃう農家の娘ながら存在感はそれなりにあった。でも、なんといってもヌードにさせられることを怒った麻里ともえ、じゃなくて望月真理子(眞理子)だ。当時、ぼくは望月真理子が好きだった。ていうか「どことなく薄幸そうなんだけど可憐で健気なお嬢さまタイプ」が好みで、それは今も昔も変わらないんだけど、まあ、この時代の憧れのお姉さんだった。それがテニスとかしてて、女子寮に入ってて、しかもちょいと渋めの年上男を好きになっちゃったりするんだから、あ~あとかいう溜め息をついて銀幕を眺めてた。

 ところで、プロデューサーの田中文雄さんなんだけど、この後『惑星大戦争』でとんでもない企画に参加するものの、どうにも恐怖映画が好きだったみたいだね。小説も『魔術師の棺』だったか、いろいろと書いてるし、ある意味、当時の邦画界では特異な存在だったんじゃないかしら。

 ただ、恐怖映画はどんどんと映像がエスカレートして、恐怖というよりもゲテモノ志向っていうか、白塗りや血糊ばかり目立つようになってきてる気がしてならないんだけど、そんなことないのかしらね。まあ、この作品は、たしかに古色蒼然とした怪奇映画ではあるんだけどさ。

 岸田森を継げる役者って、誰なんだろね?

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呪いの館 血を吸う眼

2014年09月08日 10時50分27秒 | 邦画1971~1980年

 ◇呪いの館 血を吸う眼(1971年 日本 81分)

 英題 Lake of Dracula

 staff 監督/山本迪夫 製作/田中文雄 脚本/小川英、武末勝 撮影/西垣六郎 美術/育野重一 衣裳/後藤信義 メイクアップ/高橋勝三 音楽/眞鍋理一郎

 cast 藤田みどり 高橋長英 江美早苗 岸田森 大滝秀治 桂木美加 立花房子 高品格

 

 ◇特撮とボク、その50

 当時、というのは1970年の前後のことだけど、恐怖映画が流行ってたような気がする。もっとも、その頃、ぼくは小学校の高学年から中学生くらいだったから、たしかなことはいえないんだけど、たぶん、流行ってた。怪獣映画ばかり見てたぼくが、友達と連れ立って恐怖映画を観に行ったのがこの時代だから、おそらく、そうだ。どれも怖かったっていう印象だけがある。東宝作品ではぼくの記憶はたったひとりの役者に凝固されてる。そう、岸田森だ。

 岸田森ほど、B級吸血鬼の似合う役者はいない。と、ぼくは今でもおもってる。『怪奇大作戦』でも妙に傾斜した科学捜査員を演じてたし、誰にも真似のできない異常な雰囲気を漂わせてた。その異常さを逆手にとったのが『傷だらけの天使』だったけど、それはさておき、東宝特撮映画に出てくる岸田森はともかく怖かった。牙をはやし、青白い肌をし、ヴァッと吐息まじりに叫ぶところなんざ、まじに怖かった。

 で、その岸田森が吸血鬼役をやってるのがこの作品とこの次の作品『血を吸う薔薇』だ。どちらがどうということはないけれど、好みからいえば、ぼくは実は後者だ。まあ、どちらもゴシック・ホラーていうジャンルに分類されるらしい。

 さて。この『血を吸う眼』は幼い頃のトラウマが大きな要素になってる。少女だった藤田みどりの網膜に、吸血鬼に血を吸われた蒼白な女性と口から鮮血を滴らせた岸田森が焼きついてて、その記憶が蘇ることにより、事件の鍵が幼い頃に過ごした能登半島にあるっていう展開になってる。

 ただ、問題は現時点における場所がどこかってことだ。これが特定されてないものだから、話がちょいとこんがらかってくる。湖があるみたいだから河口湖か山中湖あたりが想定されてて、高橋長英は三多摩あたりの病院に勤務してるってことになってるんだろうけど、これがはっきりしないものだから、能登半島って聞かされてもなんだか唐突な感じがするんだよね。

 ところで、江美早苗はとっても綺麗だ。桂木美加も立花房子も綺麗なんだけど、やっぱり江美早苗の人形のような美しさにはちょっと届かない。特徴がないといえばそうかもしれないし、アクの強さが足りないといわれればそうともいえるかもしれないんだけど、ぼくは好みだな~。

 ひとつおもったのは、この題名のつけ方の悪さかしらね。

『呪いの館』っていわれても館がどこの館なのかはっきりとしていなくて、たぶん、能登半島の館のことなんだろうけど、ほとんど舞台になってないし、その館に呪いがあるのかどうかってこともよくわからない。たしかに大滝秀治が岸田森の父親で、なんで自分の息子が吸血鬼になっちゃったのかって説明も足りないし、最後に足をひっぱって階段から突き落とすのはいいとしても日記を書いてた手が腐るくらい時間が経ってるはずなのになんで生きてたのという疑問は残るし、折れた手すりが杭になって胸を突き刺すっていう偶然で大団円になるのは都合よすぎるだろともおもう。そのあたりの肝心なところの展開がなんとも陳腐で、題名とそぐわない。

 それと『血を吸う眼』っていう語呂が悪くない?

 眼って「まなこ」って読むのかしら。だったら好いんだけど、もしも「め」って読ませるんならあまりにも日本語の題名としては弱いんだよね。まあ、ぼくとしては「ちをすう、まなこ」と読むことにしてる。怒られちゃうかしら?

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惑星大戦争

2014年09月07日 12時52分53秒 | 邦画1971~1980年

 △惑星大戦争(1977年 日本 91分)

 英題 The War in Space

 staff 監督/福田純 特技監督/中野昭慶 原案/神宮寺八郎(田中友幸)

     脚本/中西隆三、永原秀一 撮影/逢沢譲 美術/薩谷和夫 音楽/津島利章

    『宇宙防衛艦轟天』デザイン・造形/井上泰幸

    『金星大魔艦』原案/井上泰幸、デザイン/鯨井実

 cast 森田健作 沖雅也 池部良 平田昭彦 大滝秀治 中山昭二 宮内洋 山本亘 新克利

 

 △特撮とボク、その49

 なんでこの映画を封切りで観たのかどうにもふしぎなんだけど、

 とにかく観ちゃった。

 しかも、百恵ちゃんの『霧の旗』が併映だったもんだから観ちゃった。

 ところが、当時どんな感想を持ったのかまるでおぼえてない。

 そりゃそうだろう、すぐ後に『スター・ウォーズ』が封切られたんだから、

 そこらの便乗作品の記憶はなにもかも消し飛んじゃうよね。

 まあそれに、

 当時の『海底軍艦』の宇宙版っていう触れ込みはまるで知らなかったし、

 日米の特撮技術はもはや月と鼈に成りつつあって、

 日本の特撮映画への期待はなくなり、興味もうすれはじめてた。

 ぼくにとって、70年代~80年代はそんな時代だった。

 まあ実際のところ、

 この作品で観るべきものは、

 マンモス・鈴木の宇宙獣人に首輪鎖でひったてられた浅野ゆう子のボンデージ姿しかない。

 宇宙青春ドラマになっちゃいそうな森田健作と沖雅也のやりとりとか相当つらいし、

 なんで宇宙人の建造した宇宙船が古代ローマのガレー船なんだよって話すらしたくないし、

「君は浅野ゆう子の太腿を見たか!」

 という宣伝コピーでなかったのがふしぎなくらいだ。

 だってさ、物語では描かれなかったけど、

 わざわざ戦闘服を引っ剥がされてボンデージファッションを着せられるくらいだから、

 もはや宇宙獣人にどんな目にあわされてるかは想像がつくじゃんね。

 ま、

 そんなことよりなにより、なんでこの時代になってもなお、

 宇宙戦艦ヤマトも宇宙防衛艦轟天も最後は特攻になっちゃうのかしら?

 溜め息でちゃうわ。

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メカゴジラの逆襲

2014年09月06日 11時28分39秒 | 邦画1971~1980年

 ◇メカゴジラの逆襲(1975年 日本 83分)

 英題 Terror of Mechagodzilla

 staff 監督/本多猪四郎 特技監督/中野昭慶 脚本/高山由紀子

     撮影/富岡素敬 美術/本多好文 音楽/伊福部昭

     メカゴジラ&チタノザウルス・デザイン/井口昭彦

 cast 藍とも子 平田昭彦 佐原健二 中丸忠雄 睦五郎 大門正明 麻里とも恵(阿川泰子)

 

 ◇特撮とボク、その48

 本多猪四郎の最後の監督作品である。

 というのも、

 これ以降、いのさんは黒澤明の監督補佐となって、

 黒澤明の晩年の作品をささえていくことになるからだ。

 だからそれなりに気合を入れて観たんだけど、ね。

 まあ、つきつめた感想はできるだけ書かずにおこう。

 けど、ちょっとだけ。

 いちばんおもうのは、編集し過ぎなんじゃないかしらってことだ。

 83分という怪獣映画の宿命のような短さは、

 どうしても刈り込まないといけないんだけど、

 それにしても、

 モンタージュにすらならないような独立しちゃったカットが多発して、

 なんとも残念なことに目まぐるしい。

 藍とも子だけが妙に独立した感じにおもえるのはそのためかもしれないんだけど、

 ただ、彼女はふしぎな魅力があるから、それでカットが目立つってこともあるだろう。

 当時、藍とも子は『ウルトラマンレオ』のMAC隊員で、映画はこれがデビューだ。

 子供たちにとっては、なかなかどきゅんどきゅんくるお姉さんで、

 サイボーグ手術を施されるとき、作り物とはいえおっぱいが見える。

 ゴジラのシリーズでは唯一無二の乳房カットで、

 これは、いかんです、子供にとって。

 ま、それは余談だからいいんだけど、

 この作品、あまりにもゴジラの登場場面が少ない。

 チタノザウルスと狂った化学者父子の葛藤が中心になってて、

 事件をおいかける側に悪役顔がそろってるもんだからなおさら平田昭彦が主役に見える。

 そういえば、佐原健二のあつかいがちょっと気になる。

 クレジットもなんだか大部屋並みの扱いで、

「これは、ないだろ」

 とおもっちゃうくらいだ。

 ゴジラの話に戻るんだけど、筋立てからするとゴジラは完全な脇役で、

 どんなふうに登場し、暴れ、撃たれ、去っていくのかっていう、

 肝心なところがなんともおざなりなあつかいをされてるんだよね。

 もしかしたら全編の中で10分程度の出演なんじゃないかって感じまでする。

 あ、それと、なんで見得を切るのかね?

 怪獣が見得を切るようになっちゃおしめえよって誰もいわなかったんだろか?

 いちばん悲しかったのは、子供が2人、いきなり登場してくることだ。

 なんの関係もないのになんだか出てきて、

 タツノオトシゴの親戚みたいなチタノザウルスに踏みつぶされそうになって、

「ゴジラ、助けて」

 とかいうと、ゴジラが突進してきて庇ってくれたりするんだけど、

 この脈絡のないカットの挿入は、当時の子供に迎合しているのがありありで、

 もう観ていて溜め息がおもわず出ちゃうくらいに悲しい。

 そういう一連のことにくらべて、音楽はさすがにたいしたものだ。

 ひさびさの伊福部昭で、ぼくらの魂をゆさぶってはくれるんだけど、

 ただ、画面といまいち噛み合わない。

 予告編はそれなりに音と絵が合致して、かなり興奮する仕上がりなんだけどね。

 なんにせよ、

 これがいのさんの最後の監督作品ってのは、ちとさみしい。

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