この時期、京都のお寺ではお盆の行事を行っている。この期間に、祖先を迎え、そして送り出す、そのためのあの世とこの世との間に道しるべとして、お寺に万灯を掲げるのであろう。その風景は、どこか意味的である。
京都市内には、約400の神社と1,600程のお寺がある。神社は、生きている人間の現世利益を信仰の対象としているので、あの世の面倒は見ない。そこで仏教が必要となってくる。そこに神仏という概念ができあがってゆき、私達の生活の節目となっていくのだろう。
毎年お盆になると帰省する光景をマスメデイアはとりあげる。そこでは、お盆にはどうするのかという稚拙な設問が繰り返される。実家でくつろぐ、川で遊ぶといったお決まりの答えが返される。だがメディアがあまり報じていない帰省の最大の行事は、まさに先祖の墓参りなのである。だから先祖を呼びよせ、現世の人間達が集まり、あの世とこの世とが交歓する宴会こそが、帰省の最も大きな目的なのであろう。
京都の街を見下ろす東山の大谷祖廟の斜面に設えられたお墓に、多くの灯がともる風景は、少し幻想的でもある。先祖を招き、一緒に宴を行う精神は、今もこの街に連綿と続いている。
京都市・東大谷万灯会
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED
京都市内には、約400の神社と1,600程のお寺がある。神社は、生きている人間の現世利益を信仰の対象としているので、あの世の面倒は見ない。そこで仏教が必要となってくる。そこに神仏という概念ができあがってゆき、私達の生活の節目となっていくのだろう。
毎年お盆になると帰省する光景をマスメデイアはとりあげる。そこでは、お盆にはどうするのかという稚拙な設問が繰り返される。実家でくつろぐ、川で遊ぶといったお決まりの答えが返される。だがメディアがあまり報じていない帰省の最大の行事は、まさに先祖の墓参りなのである。だから先祖を呼びよせ、現世の人間達が集まり、あの世とこの世とが交歓する宴会こそが、帰省の最も大きな目的なのであろう。
京都の街を見下ろす東山の大谷祖廟の斜面に設えられたお墓に、多くの灯がともる風景は、少し幻想的でもある。先祖を招き、一緒に宴を行う精神は、今もこの街に連綿と続いている。
京都市・東大谷万灯会
Fuji FinepixS5pro,AF-SNikkor16-85mm/F3.5-5.6ED