土曜日の昼過ぎに嵐山を散策した。真上に太陽が来るこの時間帯は風景の明暗のコントラストが強すぎて、撮影する側には好まれないのだが、樹木の多い嵐山は木漏れ日などのように、微妙な光が時折垣間見える事が多い。そんな微妙な光を求めての散策であった。
そんなことをしていると、休日とはいえ随分暇なライフスタイルだと我ながら思う。振り返れば、プロデュース企業時代のプロジェクトで分刻みに走り回り、時代の最前列にいた頃とくらべれば大変な違いであり、リタイアメント感覚に近い。大学というのは、そういうところなのだろう。まして京都に隠遁しているのだから、傍観者的ライフスタイルで物事をみているという、従来からは信じられない根性が身についてしまった。
京都という街も1200年の間に、政治は頻繁に変わり、その都度人々は右往左往させられ、応仁の乱というつまらない内乱で街は灰燼にきしたといった歴史があるから、傍観者的な気質が形成されてきたのかもしれない。一々時々の政府の見解など聞いていてもしゃあないやろ、だから先ずは傍観しているという歴史的知見であり、京都人の身の処し方だろうか。
話題は変わるが、日本経済は技術で世界経済に立ち上がろうとする今の世論の論調は傍観者でも気になるところである。技術という一般解は複製されやすい特質がある。かつての日本も大いに複製して技術立国になったのではないか。それが今の開発途上国の姿なのである。そんな複製可能な技術だけで世界経済を走ることはできないと個人的には考えている。技術は、複製されないプロテクターがあって自立できるのである。そんなプロテクターの一つがブランド化なのだろう。
こんなことを書き出したのも、夏休みにデザインと経済を縫合したプロダクトデザインの講義内容を、考えていたからかも知れない。暇な話題から、いきなり難しい話になった。
京都市・嵐山,2010年5月8日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4,ISO500カラーモードF2.
そんなことをしていると、休日とはいえ随分暇なライフスタイルだと我ながら思う。振り返れば、プロデュース企業時代のプロジェクトで分刻みに走り回り、時代の最前列にいた頃とくらべれば大変な違いであり、リタイアメント感覚に近い。大学というのは、そういうところなのだろう。まして京都に隠遁しているのだから、傍観者的ライフスタイルで物事をみているという、従来からは信じられない根性が身についてしまった。
京都という街も1200年の間に、政治は頻繁に変わり、その都度人々は右往左往させられ、応仁の乱というつまらない内乱で街は灰燼にきしたといった歴史があるから、傍観者的な気質が形成されてきたのかもしれない。一々時々の政府の見解など聞いていてもしゃあないやろ、だから先ずは傍観しているという歴史的知見であり、京都人の身の処し方だろうか。
話題は変わるが、日本経済は技術で世界経済に立ち上がろうとする今の世論の論調は傍観者でも気になるところである。技術という一般解は複製されやすい特質がある。かつての日本も大いに複製して技術立国になったのではないか。それが今の開発途上国の姿なのである。そんな複製可能な技術だけで世界経済を走ることはできないと個人的には考えている。技術は、複製されないプロテクターがあって自立できるのである。そんなプロテクターの一つがブランド化なのだろう。
こんなことを書き出したのも、夏休みにデザインと経済を縫合したプロダクトデザインの講義内容を、考えていたからかも知れない。暇な話題から、いきなり難しい話になった。
京都市・嵐山,2010年5月8日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4,ISO500カラーモードF2.