Creator's Blog,record of the Designer's thinking

毎月、おおよそドローイング&小説(上旬)、フィールド映像(中旬)、エッセイ(下旬)の3部構成で描き、撮り、書いてます。

京都暮らし306. 複製可能な技術

2010年05月09日 | Kyoto city
 土曜日の昼過ぎに嵐山を散策した。真上に太陽が来るこの時間帯は風景の明暗のコントラストが強すぎて、撮影する側には好まれないのだが、樹木の多い嵐山は木漏れ日などのように、微妙な光が時折垣間見える事が多い。そんな微妙な光を求めての散策であった。
 そんなことをしていると、休日とはいえ随分暇なライフスタイルだと我ながら思う。振り返れば、プロデュース企業時代のプロジェクトで分刻みに走り回り、時代の最前列にいた頃とくらべれば大変な違いであり、リタイアメント感覚に近い。大学というのは、そういうところなのだろう。まして京都に隠遁しているのだから、傍観者的ライフスタイルで物事をみているという、従来からは信じられない根性が身についてしまった。
 京都という街も1200年の間に、政治は頻繁に変わり、その都度人々は右往左往させられ、応仁の乱というつまらない内乱で街は灰燼にきしたといった歴史があるから、傍観者的な気質が形成されてきたのかもしれない。一々時々の政府の見解など聞いていてもしゃあないやろ、だから先ずは傍観しているという歴史的知見であり、京都人の身の処し方だろうか。
 話題は変わるが、日本経済は技術で世界経済に立ち上がろうとする今の世論の論調は傍観者でも気になるところである。技術という一般解は複製されやすい特質がある。かつての日本も大いに複製して技術立国になったのではないか。それが今の開発途上国の姿なのである。そんな複製可能な技術だけで世界経済を走ることはできないと個人的には考えている。技術は、複製されないプロテクターがあって自立できるのである。そんなプロテクターの一つがブランド化なのだろう。
 こんなことを書き出したのも、夏休みにデザインと経済を縫合したプロダクトデザインの講義内容を、考えていたからかも知れない。暇な話題から、いきなり難しい話になった。

京都市・嵐山,2010年5月8日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf4,ISO500カラーモードF2.
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京都暮らし305. 食傷気味の馬づくし

2010年05月09日 | Kyoto city
 また馬か!、とブログを書く側もゲンナリするのだが、上賀茂神社の競馬と同日に藤森神社では駆馬神事が奉納されており、駆馬の技(曲芸の影響もあるが)が披露される。馬づくしの連休なのである。
 これだけ馬が登場する土地柄であるから、当然のことながらG1レースである春の天皇賞や最長コースで競われる菊花賞が開催される京都競馬場が伏見にガンとそびえている。以前秋の菊花賞で遊び半分で馬券を買ったら、当たりましたねぇー。コースが長いため毎年番狂わせがあるのだ。また、あるときは出走直後に「アアッ」という大きなどよめきがあり、一番人気の武豊が落馬したり、ときには万馬券(100円の馬券が10,000円になって戻ってくる-あやかりたかった!)といった具合に、予想外の出来事続出で大変興奮させてくれる競馬場である。
 さて食傷気味の馬の画像であるが、こんなのでもアップさせておこう。明日はもう少し爽やかな画像で息抜きをしたい。

京都市・上賀茂神社,2010年5月5日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/640,絞りf5.6,焦点距離400mm,ISO400.
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