日曜日は、車折神社の三船祭に出かけた。嵐山の大堰川で、御座船・龍頭船・鷁首船など20数隻を浮かべ、平安時代の船遊びを再現したものである。
個人的な見所をあげると、龍頭船で奉納される推定15歳ぐらいの少女による蘭陵王(らんりょうおう)の舞楽である。毎年この舞人は、大人でもなく子供でもないという15歳位の少女によって舞われ、不思議な妖艶さが漂う。妖艶さとは本来こういうものだというしなやかな凄みがある。
そういえば大学時代に彫塑の昼間先生が、この15歳~18歳位の人体は微妙なフォルムでつくるのが難しいんだよ。特に顎の量感なんか微妙な形なんだ、ということを教えてくれたことを思い出した。そんな微妙なフォルムが舞楽で鍛えられ、そして化身すると、得も言われぬ妖艶さになるのだろう。 だからこの蘭陵王をみていると、女も妖艶な綺麗さがにじみ出るのは精々二十歳迄であり、二十歳を過ぎるとみんなオバハンだと思わせてくれる。
暑かったので、祭の帰りにホテルグランビアのプールへ泳ぎに出かけた。ホテルの宴会催事のプレートには披露宴がズラッと並んでいる。あれを見ていると、二十歳過ぎたオバハン達をかき集めて何が面白いのだろうかと思うのも、蘭陵王の妖艶さに当てられたのかも知れない。
そういえば、いにしえの時代は15歳で結婚したという話もある。それは、ある意味で一番女の綺麗な時なのであり、つじつまが合っていたと思わせてくれる。現代というのは、不幸な美意識の世界だな(笑)。
京都市・車折神社,2010年5月16日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/80,絞りf5.0,焦点距離170mm,ISO100.
個人的な見所をあげると、龍頭船で奉納される推定15歳ぐらいの少女による蘭陵王(らんりょうおう)の舞楽である。毎年この舞人は、大人でもなく子供でもないという15歳位の少女によって舞われ、不思議な妖艶さが漂う。妖艶さとは本来こういうものだというしなやかな凄みがある。
そういえば大学時代に彫塑の昼間先生が、この15歳~18歳位の人体は微妙なフォルムでつくるのが難しいんだよ。特に顎の量感なんか微妙な形なんだ、ということを教えてくれたことを思い出した。そんな微妙なフォルムが舞楽で鍛えられ、そして化身すると、得も言われぬ妖艶さになるのだろう。 だからこの蘭陵王をみていると、女も妖艶な綺麗さがにじみ出るのは精々二十歳迄であり、二十歳を過ぎるとみんなオバハンだと思わせてくれる。
暑かったので、祭の帰りにホテルグランビアのプールへ泳ぎに出かけた。ホテルの宴会催事のプレートには披露宴がズラッと並んでいる。あれを見ていると、二十歳過ぎたオバハン達をかき集めて何が面白いのだろうかと思うのも、蘭陵王の妖艶さに当てられたのかも知れない。
そういえば、いにしえの時代は15歳で結婚したという話もある。それは、ある意味で一番女の綺麗な時なのであり、つじつまが合っていたと思わせてくれる。現代というのは、不幸な美意識の世界だな(笑)。
京都市・車折神社,2010年5月16日撮影.
EOS40D,EF100-400mm,f3.5-5.6,
シャッター:1/80,絞りf5.0,焦点距離170mm,ISO100.