あら、画像の右隅にいるのは蜻蛉ではないか。日本人の生活感覚から言えば夏から秋なのだが、ウィキペディアの解説によれば、蜻蛉は春から秋に発生するとある。古くは神武天皇が国土を統一し日本の国土自体を秋津、すなわちトンボ=蜻蛉島と呼んでおり、また蜻蛉は前にしか進まないことから不退転の精神的シンボルとして、武士に喜ばれたと記されており、我が国では縁起がよい生物なのだろう。
蜻蛉が生息していること自体が環境がよいことを表している。京都は、街の中にそうした良好な環境が数多くある。それに歴史文化という厚い層が加わり、国内外から多数のビジターがこの街を訪れている。現在では、年間観光客数5,000万人を超えている。
そんな世界の人が訪れるこの街も、居住者の立場から見ると、この箱庭的な環境に嫌気がさすという、他所から見れば贅沢な悩みがある。だから、この箱庭の街を脱出し、少しスケールの大きな環境に身を置きたいと毎年思うのである。
そんなわけで、北アルプス方面へ毎年出かけるのことにしている。私は、登山家ではないので、すこし楽して上がれ大きな眺望が得られるスポットを物色している。昨年は、燕岳に上がって槍・穂高の山並みを堪能していた。
今年は、新穂高温泉からケーブルカーで上がり、そこから1時間半程稜線を歩いて西穂山荘まで行きたいと考えた。だが西穂の稜線は、まだ雪が残っているようだし、アイゼンが必要かもしれない。さてどうするかである。アイゼンを担いで行くか、それとも一月送らせて行くかである。
京都の街では蜻蛉が発生し、西穂高はまだ雪である。日本列島を、地理的平面ではなく、標高という縦の視点で見ると、気候は大いに違うのである。
京都市・天龍寺,2010年5月8日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf5.6,ISO250カラーモードF2.
蜻蛉が生息していること自体が環境がよいことを表している。京都は、街の中にそうした良好な環境が数多くある。それに歴史文化という厚い層が加わり、国内外から多数のビジターがこの街を訪れている。現在では、年間観光客数5,000万人を超えている。
そんな世界の人が訪れるこの街も、居住者の立場から見ると、この箱庭的な環境に嫌気がさすという、他所から見れば贅沢な悩みがある。だから、この箱庭の街を脱出し、少しスケールの大きな環境に身を置きたいと毎年思うのである。
そんなわけで、北アルプス方面へ毎年出かけるのことにしている。私は、登山家ではないので、すこし楽して上がれ大きな眺望が得られるスポットを物色している。昨年は、燕岳に上がって槍・穂高の山並みを堪能していた。
今年は、新穂高温泉からケーブルカーで上がり、そこから1時間半程稜線を歩いて西穂山荘まで行きたいと考えた。だが西穂の稜線は、まだ雪が残っているようだし、アイゼンが必要かもしれない。さてどうするかである。アイゼンを担いで行くか、それとも一月送らせて行くかである。
京都の街では蜻蛉が発生し、西穂高はまだ雪である。日本列島を、地理的平面ではなく、標高という縦の視点で見ると、気候は大いに違うのである。
京都市・天龍寺,2010年5月8日.
Fuji FinepixS5pro,Carl Zeiss Makro Planar f2/100mm,ZF.
シャッター:1/250,絞りf5.6,ISO250カラーモードF2.