東大寺に向かう手前の古い民家が建ち並ぶ一角に日吉館はあった。
私の大学でもそうだったのだが、日本の美術大学は、古美術の勉強のために1~2週間は、奈良・京都に行かされるのが必修科目なのである。だから日吉館は、そのための研修に訪れる学生が長期間泊まれるリーズナブルな旅館として、私達の間では大変著名なのであった。それに夕飯はすき焼き鍋で、若い胃袋を満たしてくれたことも、多くの学生の記憶にある。
もちろん我が国の古美術の研究者や作家も多く宿泊した。往事の宿泊人名簿を孫引きすると、亀井勝一郎、広津和郎、杉本健吉、西村貞、青野季吉、志賀直哉、小林秀雄、阿部知二、滝井孝作、三好達治、西東三鬼、水原秋桜子、谷川徹三、東野英治郎、芥川比呂志……とあり、昭和の文化人達のサロンであったことがうかがえる。
この旅館の女将の一代記は、昭和47年にNHKの朝ドラ「あおによし」となって放映された。
私が学生時代に男2人、女3人のグループで、奈良を徘徊した時に初めて日吉館に泊まった。受付の若いお兄ちゃんが「一緒ですかぁー!」と言うから、私は一緒のグループに決まってるジャンとおもいながら「はい!」と返事をし、離れの建物に案内された。ああここで食事かぁーと寝転んでいた。やがて食事も終わり、それにしても俺たちの部屋はどこなんだろうと思ったが、一向に案内してくれる気配がない。そこで件のお兄ちゃんに尋ねたら、「あれっ、一緒だというから一緒の部屋にしときましたよ!、えっ違うの!!、今日は一杯で部屋ないょ!!!」という始末だ。そういえば、受付でクスクス笑っている奴がいた。一緒というのは、部屋が一緒で良いかという意味だったのである。
でっ、なんとか頼み込み私達男2人は、布団部屋で泊まることになった。そして翌日から元気に奈良を徘徊していたのである。ここに泊まると何かしら思い出をつくってくれるのであった。
日吉館は20年前に廃業し、その後女将も亡くなり、現在は更地になっている。
奈良市,若草山,2010年4月29日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AFNikkor80-200mm/f2.8D
シャッター:1/250,絞りf16,ISO500,カラーモードF2
私の大学でもそうだったのだが、日本の美術大学は、古美術の勉強のために1~2週間は、奈良・京都に行かされるのが必修科目なのである。だから日吉館は、そのための研修に訪れる学生が長期間泊まれるリーズナブルな旅館として、私達の間では大変著名なのであった。それに夕飯はすき焼き鍋で、若い胃袋を満たしてくれたことも、多くの学生の記憶にある。
もちろん我が国の古美術の研究者や作家も多く宿泊した。往事の宿泊人名簿を孫引きすると、亀井勝一郎、広津和郎、杉本健吉、西村貞、青野季吉、志賀直哉、小林秀雄、阿部知二、滝井孝作、三好達治、西東三鬼、水原秋桜子、谷川徹三、東野英治郎、芥川比呂志……とあり、昭和の文化人達のサロンであったことがうかがえる。
この旅館の女将の一代記は、昭和47年にNHKの朝ドラ「あおによし」となって放映された。
私が学生時代に男2人、女3人のグループで、奈良を徘徊した時に初めて日吉館に泊まった。受付の若いお兄ちゃんが「一緒ですかぁー!」と言うから、私は一緒のグループに決まってるジャンとおもいながら「はい!」と返事をし、離れの建物に案内された。ああここで食事かぁーと寝転んでいた。やがて食事も終わり、それにしても俺たちの部屋はどこなんだろうと思ったが、一向に案内してくれる気配がない。そこで件のお兄ちゃんに尋ねたら、「あれっ、一緒だというから一緒の部屋にしときましたよ!、えっ違うの!!、今日は一杯で部屋ないょ!!!」という始末だ。そういえば、受付でクスクス笑っている奴がいた。一緒というのは、部屋が一緒で良いかという意味だったのである。
でっ、なんとか頼み込み私達男2人は、布団部屋で泊まることになった。そして翌日から元気に奈良を徘徊していたのである。ここに泊まると何かしら思い出をつくってくれるのであった。
日吉館は20年前に廃業し、その後女将も亡くなり、現在は更地になっている。
奈良市,若草山,2010年4月29日撮影.
Fuji FinepixS5pro,AFNikkor80-200mm/f2.8D
シャッター:1/250,絞りf16,ISO500,カラーモードF2