特定の都市に関心を持つということは、その人の人生の中で関わりがあったところというのが一番大きな要因である。関わりがあるからこそ好きにも嫌いにもなる。都市に関心を持つというのは、都市を教えてきた立場としては推奨したい心がけである。
そして都市の側に記憶に残る街の風景があるということも二番目の大きな要因。それがシティスケープであったり、お店であったり、心地よい人々であったりすることなどがあげられる。
三番目の要因は、そこに住んでいたり何回も訪れたりと都市を共有する時間の長さである。
都市との関わり、記憶に残る風景、都市を共有する時間の長さ、これが都市を意識する三大要因といっておこう。もう一つ生まれ育った街はどうなるかという話であるが、実はこれがあまり三大要因とは関係なく、場合によっては忘れたいところになっている場合もある。
個人的にいえば、横浜、青森、名古屋と記憶に残る都市はあるが、生まれ育った東京の神楽坂や仕事をした西麻布は私の意識の中には登場しないし再度訪れたいとも思わない。またエキゾチックな函館がいいですよといわれても、私の意識の中には青森の個性的な風景の方が強く残っているから隣接地では代用できないわけだ。
別の言い方をすれば、今でも何度でも出かけたくなる都市を訪ねたらみんな答えが違うだろう。それを都市感と呼んでおく。これを人に尋ねてみるのも面白いと思っている。つまり都市感を持っているというのはいろんな経験や意味付けがあって初めて可能なのだろう。
さらに都市感のない人もいる。一生同じところに住み続けてきた人達だ。つまり常民なのである。だから都市感は流民的固有の考え方かもしれない。
NikonF4,AFNikkor20-35mm,Vervia.