ひぇーーっ!、もうブログは10月が始まる!。今はまだ6月だよ。それで秋らしい画像を探してみた。
映像制作は時間が必要なので、エッセイシリーズを緩衝材にしたのは正解だった。そんなことをしていると記事一覧の構成もシリーズ毎に増減があり10日分ぐらい前後にずらしたりする。これが自動的にできればよいがgooは全て1日毎の手動で移動だ。そうやって一ヶ月分の編集枠が埋まり予約投稿原稿が完成する。それは結構面倒な作業だ。
雑誌の編集も似たようなことをする。多分半月先ぐらい先までの編集枠ができていたりする。だから夏に冬のファッション撮影だ。その間にパリコレ情報が射し込まれ記事を前後させたりするなど編集予定表も混沌としてくるはずだ。
ところで静止画の画像を探していた。この撮影データをみるとPanasonicから発売されたライカのOEM製品ズミルックスだ。私のライツ経験からみても本家ライツ・ズミクロンに肉薄する写り方をしてフルサイズ規格のデジタル一眼レフと遜色がない。だがOLYMPUSシステムを差し上げたときに売却。その後OLYMPUSカメラ事業部は分社した。
マイクロフォーサーズというシステムが最初にPanasonicから発売された時、この小ささで一眼レフというのには驚いた。その後OLYMPUSからゾクゾクとマイクロフォーサーズ規格の機材が登場した。その頃はレンズ性能が低く悲しかったが、次第に両者ともに高画質レンズを発売しだした。その頃のズミルックスである。
私は、この頃から静止画機材は小さい方がよいという考え方をしていた。それはニコンFから使い続けてきた知見である。
そのころCやN社は大きなレンズとホディを矢継ぎ早に市場に登場させ、私の研究室のアホタラ研究員からも『先生のより僕のカメラの方が高いんだ』と影口をいわれる始末だった。そのとき日本中がアホの塊だと思われた。その後日本の機材メーカーが間違いだと気がついた頃には、市場はアメリカや中国にさらわれていった。
そんななかで私の講義を受けた修士課程の院生が、当時のフルサイズデジタルニコン一眼レフで撮影した映像をみたとき、手堅く撮影されている事に気がついた。これだな、映像には使えそうだ・・・。その頃から映像化への意識が生まれ始めた。
初めて登場したミラーレス一眼レフ。PanasonicGF-1
指の先で振り回せるほどの大きさであり、性能は当時の一眼レフとまったく同じである。どんなレンズもマウントを介して付けられる。その後優れたミラーレスレンズがいくつも登場しフルサイズと遜色ない画像が撮影できた。この機材が登場したとき、フルサイズデジタル一眼レフの終わりが予感される布石となった。
京都市
画像:OLYMPUS EM-1mark2,LIECA DG Summilux25mmF1.4Asph.