Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

エッセイ776.ストリートフォト

2024年09月29日 | field work






 静止画の一つにストリートフォトがある。当時のOLYMPUS機材にパンケーキレンズがあった。それはレンズキャップに小さなガラス玉をつけただけのものだった。だがこの絞りF8固定の解像度の低いキャップレンズとブログラムとで荒い画像をつくりだしてくれた。それはハイコントラストでありデジタル固有の荒さが消えて自然な荒れた描写だった。写真の可能性を広げてくれたレンズであった。
 路線バスの一番後ろの窓側に陣取る。撮影しようとすればアングルだの構図だのと撮影者の知見が働き画像がつまらなくなる。だからそうした考え方を捨て、心の基線が動いた瞬間にシャッターを押す。だから感性を研ぎ澄ましつつ、何も考えないで被写体が登場するのを待つ。構図は無視してシャッターボタンを押すだけの撮影方法だ。
 ときに面白い画像が撮れるから、あとは大量に撮影してから画像の取捨選択だ。そんな風に撮り続けていると次第に意識的に心が動き出す。構図など考え出したら撮影はお終いである。
 そんな撮影方法も2回ぐらいで辞めてしまった。きっと飽きたのだろうし、あえて意識的に撮影行動をするのではなく、日常生活の中で一寸見つけた時に撮るべき画像だと気がついた時に撮れば良いと思った。だからしばらく機材を持ち歩いていたが、そのこと自体が面倒になり、こうした撮影方法はやめてしまった。今のSONYで撮れるかと言われれば、ノーである。
 さて、上記5枚の写真でどれが一番良いと思いますかと問われたら、私は4番目の満足稲荷の画像をあげる。どこか不穏な視線で意味的でしょ。実はこれ以前にも使用した画像である。

京都市内
OLYMPUS EPL-1、キャップレンズ

 かってのコンテンポラリーフォトをデジタル化のなかで復活した。絞りはF8だけであり手動の距離計がつくだけの簡単なレンズで解像力が低いというのが素晴らしい。だから解像度の低いレンズとボディのプログラムと合わせると粒子が荒れたコンテンポラリーな画像が撮影できる。
コメント
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