Creator's Blog,record of the Designer's thinking

フィールドワークの映像、ドローイングとマーケティング手法を用いた小説、エッセイで、撮り、描き、書いてます。

PEN LIFE967. したたかな眼

2014年06月13日 | field work
 今日は週半ばだが、少しばかり時間と話題があるのでブログ早出である。
 最近通勤途上の移動中に読む本は、圧倒的に海外作家が多い。トム・クランシー「デッド・オブ・アライブ」、同じく「ライアンの代価」や「米中開戦」に「テロリストの回廊」。それからラリー・ボンド「中国軍を阻止せよ!」、マーク・ヘンショウ「レッドセル」、それにドルー・チャップマン「米中対決」は情報戦争のストーリーで結構面白かった。目下ジョン・ル・カレ「寒い国から帰ってきたスパイ」を読んでいる。やはり時節柄台湾や尖閣諸島あたりを題材にした米中対決の題材が多い。
 いずれも長編なのだが、通勤途上で読むのには調度良い。
 ところで、こういうしたストーリーがまず日本の小説では存在しない。というのもCIAや軍隊を中心とする活動自体が、日本には存在しないからである。CIAはアメリカでは歴史ある大組織だし、また軍隊と行っても武器の話ばかりではなく、軍隊の特殊事情や組織的背景といった裏の裏まで、ストーリー化されているのがこれらの小説の特徴だ。そして物語も世界に展開してゆく。だから日本人作家では書けない物語ばかりだ。
 日本には、自衛隊と行っても米軍と規模で比較すれば子供のようだし、CIAに変わる組織は、つい最近できたばかりだ。だから物語になろうはずがない。それにナショナルジオグラフィックチャンネルでは、よく米軍を紹介した放送が至極普通に登場する。こういう番組は、日本の総合TVでは、先ずお目にかからない。
 強力な軍隊を持つアメリカだからこそ、物語化できるところが、読みふけっている理由だ。日本には、そうした世界が皆無と行ってもよい。それは、どこかお気楽で他力本願な世界であると思う。
 このように書くと、右翼だといわれかねないが、そうした右・左という二項分類の発想自体が古くさいのだ。国家や国民の姿勢が、尖閣諸島のように国際的緊張の高まりのなかで、国家間の臨戦態勢を意識せざるを得ないのか、緊張の高まりを目前にしてまだ脳天気な平和ボケであけくれるかの違いのように思われる。やはりアジアはある種の緊張状態だと思われる。事実を正確に読み解くしたたかな眼が必要な時代でもある。

愛媛県内子町
OLYMPUS E-P5,LEICADG MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f5.6,1/400
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PEN LIFE965. 軽く散歩

2014年06月12日 | field work
 こういう急傾斜地に建つ斜面住宅を見ていると、イタリアのアマルフィーを思い出す。どこか傾斜地に建つ住宅に憧れがあるのだろう。出かけるのには、アマルフィーは遠いが尾道ならば容易だ。
 だから私は、尾道という町には何回か来た。スケッチをするにしても撮影をするにしても、面白い街だと思いつつ、いつも街を徘徊している。
 最近オフシーズンには、5時間はかかるが京都から3400円で高速バスが走っている。これで昼頃着き、半日町を徘徊して新幹線で2時間弱で帰ってくることができる、などという机上のプランを思い浮かべる。そう京都からは1日でゆける散策スポットでもある。梅雨の尾道なんかイメージしたりするのもおつだ。
 撮影機材は、標準レンズ1本でよかろう。身軽な機材で、フットワークよく歩くのがよさそうだ。まだ歩いていないところも多々あるので、またスケッチブックとPENを持って出歩きたくなる町だ。
 さて昼飯は、昆布ダシの尾道ラーメンだが、お店は自分の舌で確かめたほうがよい。実は、WEBで評判の店がたいしたことなかったりする。なんといっても瀬戸内海だから、お寿司は旨い。
 最近は、しまなみ海道があるので、尾道からレンタサイクルができる。まあ5時間かけて生口島の平山郁夫美術館を訪ねてから、瀬戸田港から自転車を船につんで尾道に戻るコースがモデルプランとしてある。今頃ならばたっぷり日焼けする。
 週末に、京都から1日一寸軽く散歩するのには、尾道は行きやすくなかなか面白い所だと、私の記憶にインプットされている。

尾道市 
OLYMPUS E-P5,LEICADG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-0.3,f5,1/1000
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PEN LIFE964. 芝居小屋

2014年06月11日 | field work
 さて中国・四国視察の最後は、内子座でもみてゆこう。
 内子座は、昔の芝居小屋である。だが私達が訪ねたときは、催事を行っており内部は見ることができなかった。今でも現役の劇場であり芝居小屋なのである。こうした芝居小屋は徳島県の脇町でも見かけた。
 昔の人の娯楽に対する思いが伝わってくるようだ。つまり今でこそ娯楽はテレビやインターネットとなってしまったが、当時は田舎にも娯楽が旅一座として頻繁に回ってきたのだろう。しかもそれはライブなのである。
 ポスターから見るとなにやらアーティスティックな催しのようだが、私に言わせりゃ、そんな気取ったものよりは、旅一座の田舎芝居の方が面白いように思うけどな。みんなで笑い転げて、幸せになるという案配だ。だが最近では、その旅一座というものも、すでになくなってしまったのであろう。
 そんなことを考えていると、写真家森山大道さんの「にっぽん劇場写真帖」という作品集を思い出す。それはまさに旅一座を追いかけた作品であった。あのバタくさい癖のある世界、それは昭和40年代までは、たしかに日本のローカルな世界にあった風景でもある。
 今は、町もこぎれいに整頓され、エコカーが走り、そして大変つまらなくなった。そんな町の往事の残渣を拾い集めて行くのが、最近の伝建地区徘徊の習わしになってしまったようだ。
 さて、そんな往事の芝居小屋も、今では随分上品になったものだと思いながら、私達は現代の海道を北上して帰路についた。

愛媛県内子町
OLYMPUS E-M1,M,ZUIKO DG12mm/F2
ISO320,露出補正-0.3,f5,1/500
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PEN LIFE963. 亀甲文様のなまこ壁

2014年06月10日 | field work
 忙しいので、4日分まとめ書きである。まあ話題が続いたというべきか。
 なまこ壁には、様々な意匠がある。一般には正方形、伊豆下田や東広島の西条市は菱形、そして内子町だけにみられる亀甲文様のなまこ壁である。なぜそれらの意匠が発生したかはわからないが、なまこ壁は防火防水で瓦と瓦の目地を漆喰で塗り固めたものである。
 内子町では、木蝋制作の現場もみることができた。これもガイドさん達のツアーの尻についていったおかげである。蝋燭というのも不思議なもので、手作りの蝋燭は、メラメラとまるで絵に描いたように炎が燃えるところがなかなか美しい。この蝋燭を燃やしてみたいと思うが、そんな機会は京都の日常生活でもほとんどない。
 ガイドさんツアーを横聞きしながら適当に追い越して、内子の町を歩くと,横町に古い映画館の建物があったりして、四国の果てに文化ありだ。いや、当時は果てではなく、瀬戸内海流通の海道の拠点の一つだったのかもしれない。
 学生達が木蝋の制作現場にふけっている頃、ご同業の先生が、あの映画館もみたいなという顔をしていた。さてあの学生達はどんな興味をもったのだろうかと、勝手ながら推測しつつ、私達は彼らの傍らを通りすぎていった。

愛媛県内子町
OLYMPUS E-P5,LEICA MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f6.3,1/500
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PEN LIFE962. 内子のこて絵

2014年06月09日 | field work
 さて次の伝統的建造物群保存地区は、白壁と木蝋の内子町だ。学生達30人ぐらい引きつれた大学のツアーとかち合ったのは幸いだった。なにしろガイドさんがついて説明してくれるのだから、その後をついて行けば良さそうである。
 博物館でもそうなのだが、歴史遺産というのは、説明を聞かないと、ふぅーんと通り過ぎてしまい、なんの面白みも興味もわかない。だからガイド用イヤフォンを借りるのが大正解なのだ。それによってはじめて歴史の意味を解説してくれ、ようやく歴史の面白さの入り口に立つことができるわけだ。
 運よく内子では、地元のガイドさんの後についてゆけばよい。「この位置からしかみえないのです。龍が生きているようでしょう」というガイドさんの解説の横聞きで、なるほどこのこて絵は素晴らしい。反対側は、民家の一部が開放されていて、容易に見ることができるのだが、こちら側は説明がなければ通り過ぎるところだった。なんでこんな目立たないところにこて絵をつくったかというと、民家の後で蔵が建ってふさいでしまったそうな。
 内子のこて絵は、装飾用なのだが、往事の感性と技術の技を今に伝えてくれている。

愛媛県内子町
OLYMPUS E-P5,LEICA MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f7.1,1/640
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PEN LIFE961. もう立派な夏の光景

2014年06月08日 | field work
 大変静かな人通りの少ない伝統的建造物群保存地区の卯之町を歩いていたら、遠くから賑やかな声が聞こえる。
 声の方向へ民家の門をくぐったら中庭でバザーをやっているではないか。こんな住まいの奥地に人が集まっているのが、もう立派な夏の光景であった。四国の果てで今度はバザーでしたか。
 実際に、四国も随分暑いのですよ。もう少しすると湿度がたっぷりとなり、それが蒸発すると風景がかすんでくるのですね。そう夏の風景です。もう出歩く季節ではないですね。今年は夏が早そうです。ホントに下馬評通り冷夏かなぁー。なんか例年並みの暑さの気配の方が濃厚なんですけど。
 四国の伝建地区の徘徊も、残すは、讃岐、高知となった。そろそろ暑いから、それは晩秋にしたいですね。さてエアコンが効いた部屋にこもっている方がよさそうな季節になりました。

愛媛県西予市宇和町
OLYMPUS E-M1,M,ZUIKO DG12mm/F2
ISO320,露出補正-0.3,f5.6,1/500
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PEN LIFE960. 四国の果てに文化あり

2014年06月07日 | field work
 松山市を南下し、愛媛県西予市宇和町卯之町の伝統的建造物群保存地区までやってきた。四国の果てといってよい。私もこんな果てまで来ることも少なかろう。当然都の文化にほど遠いと思われる。だが四国の果てに文化ありなのである。
 江戸時代から町の人々は教育熱心であり、寺子屋は明治に入り町の人々によって擬洋風建築の小学校が建てられて依頼、都に出ても恥をかかぬよう子供達の教育が大変重視されたところだ。
 いまも伝建地区のなかには、古い建物ではないが、古民家と建築様式をあわせながらバレースクールがあるのには驚きであり、やはり昔の伝統を引き継いでいるのだろうか。四国の果てに文化ありであった。
 そんな静かで小さな卯之町を徘徊していた。どこか沖縄のカジュマルのような樹木が生い茂り、ここはやはり日本の南なのだということを思い知らされた。
 それにしても宇和町卯之町という町が二つ続く地名は、よくわからないまま、 強い陽射しの中、大変静かな卯之町を徘徊していた。

愛媛県西予市宇和町
OLYMPUS E-M1,M,ZUIKO DG12mm/F2
ISO320,露出補正-0.3,f5,1/500
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PEN LIFE959. 朝の松山城へ

2014年06月06日 | field work
 朝、5時半に目覚ましが鳴った。さて朝食前に日本では数少ない本物の城、朝の松山城を見に行くか。ホテルに訪ねても動いていないケーブルカーのあたりに登山道があるだろうという心許ない案内だ。
 タクシーに乗ったら地元の人が行く登山道につれていってくれた。「でかい城ですね」と運転手さんに言ったら、「えっ、へへへ!」という返事。地元の誇りなのだろう。たかだか130m程の山だが、登山道はうっそうとした緑がおい茂る都会とは思えない光景だ。なかなか良い道だ。
 あがると天守閣や塀や門などがほとんどが昔のままに残っており、まさに城という空気が濃厚に漂っている。城の大半は公園になっていろが、実を言えば、この公園の何もない広い空間こそが多くの兵士が戦をしたり野宿するための場であり、それこそがのまさに城なのである。復元城とは大違いの、本物の城だけが持つ凛とした空気を感じさせてくれる。
 麓に藩政を行っていた二の丸もあるのか。そこで降りていったら、建物はなく恋人達の公園というバナーがたなびいていた。今は兵士ではなく恋人達がやってくるスポットである。
 足の向くままに歩いてゆくと県庁まできてしまった。路面電車でホテルへ帰った。松山の路面電車は、軌道内に車が入らないので、電車がスムーズに動き、本数も多い。エコな足として市民に大いに利用されている。

松山市
OLYMPUS E-P5,LEICADG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-0.3,f4.5,1/640
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PEN LIFE958. 大街道

2014年06月04日 | field work
 松山一の繁華街、大街道へ出かける。徳島市の秋田町と異なりこちらはけっこう賑わっている繁華街だ。一部をみただけでは語れないのだが、結構整然としており、ゴミのない清潔そうなところだ。
 そうおもうのも、院生がiPhoneで見つけた居酒屋のお姉さんもフレンドリーに愛想が良くて、好印象を高めてくれた要因かもしれない。たしか「おときち屋」という地元の人が行くようなお店であった。日本人は、フレンドリーという発想が少ないのだが、お姉さんのスマイルがいかにも、もてなしますという気分に満ちあふれていて、旅人にとっては記憶に残るいい時間である。
 当然心地よく酔っぱらい、どうやって帰ったかあまり記憶にない。あっ、そうだタクシーで帰ったんだ。JALシティのある西堀端まですぐだった。まあこれも仕事だから疲れたのかな。一体一緒に連れて行って連中達は、ちゃんと勉強してくれたのだろうか。えっ、何を!?、大街道ではなく都市や文化遺産を。都市開発が専門の私が勉強してもしょうがないのだから、と考えつつ夜もふけていった。
 さて今日は、名古屋も京都も時折激しい雨模様だ。夜半に屋根をたたく音が静かに聞こえてくるのは風情があってよく、ここちよく昼まで寝坊したい。
・・・ここまでは昨日まとめ書き・・・
今日は、朝から雑事で分単位で時間に追われてへとへとになった。今週末も仕事だな。明日の朝は、少しばかり寝坊しよう。といっても8時には家をでてゆくんだけどね。

松山市
OLYMPUS E-P5,M.ZUIKO DG12mm/F2.0
ISO1000,露出補正-0.3,f2,1/60
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PEN LIFE957. 道後温泉

2014年06月04日 | field work
 松山市についてから、夕方の道後温泉に向かった。城郭建築の流れをくむ、この建築は大いに面白い。あとでCGにしようと思い、外観を全部撮影したぐらいだから。時間の都合で座敷席まではゆけなかったが、入浴料400円は十二分に価値がある建築見学である。この道後温泉があることによって背後の旅館街が成立している。撮影していたら、なにやらアトラクションでスモークが出てきた。少し暑かったので冷たいスモークは大変気持ちがよかった。
 民家と違って城郭建築の流れをくむ道後温泉の建物はどこから見てもバランスがよい。しかも温泉という万民共通のアイテムほど、伝統的建築美が映えるものは少ないと思われる。こういう施設ならば、プロデュースしてもよいかと思う。
 僅かな時間であったが城郭風建築を堪能しつつ、松山の繁華街、大街道へ路面電車で向かった。

松山市
OLYMPUS E-P5,LEICADG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO320,露出補正-0.3,f2,1/60
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PEN LIFE956. 実は・・・

2014年06月03日 | field work
 尾道からしまなみ海道にはいった。しまなみ海道はサイクリングロードが併設されているのだが、そこはものすごく脚力が必要だ。実は、橋の部分よりも陸地の方が距離がはるかに長く、それも山だから当然アップダウンが多いのだ。そりゃちと勘弁願いたい。
 私は、いつもホテルはいると最初に窓をあけることにしている。このJALシティは大正解である。松山城が凛とみえている。日本の城の中で江戸時代から残されている城は、実は、姫路城や彦根城など大変数が少ない。松山城もそうした江戸時代からの城である。本物だけが持つ迫力が静かにただよってくる。うん、なかなか良い。
 天守閣は、街のランドスケープにもなるし当時の藩主の権力の象徴なのかもしれないが、実は、天守閣は藩主の住まいではありません。普段は麓にある二の丸などの屋敷で藩政にあたっているのである。
 だから天守閣は、戦国時代の名残であり、望楼やたてこもった時の最後の戦の場である。戦のない江戸城に至っては、落雷で天守閣を消失していらい、これが再建されることはなかった。つまり建築学的には、物干し場程度の機能しかない。
 城とは何かと言えば、実は、城は大きな広場の固まりなのである。その一角に天守閣や諸々の小屋があるにすぎない。戦の時に大勢の兵士が何日も立てこもるのであるから、寝たり、飯を食べたり、武器の手入れをしたり、あるいは武器や兵糧がおかれたりと、実は、大変大きなスペースを必要とする。したがって城には大きな広場が不可欠なのである。だから、実は、城=天守閣という認識は間違いですといってもよいだろう。
 このように勉強してゆくと、私達の日常生活がいかに通俗的な観点であふれていることがわかるだろう。目に見えることだけが事実ではないと言うことの証左だといえよう。

松山市 松山城
OLYMPUS E-P5,LEICA MACRO ELEMARIT45mm/F2.8
ISO200,露出補正-0.3,f6.3,1/500
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PEN LIFE955. 尾道

2014年06月02日 | field work
 林芙美子放浪記の一節を引用する。「海が見えた。海が見える。五年振りに見る尾道の海はなつかしい。汽車が尾道の海へさしかかると、煤けた小さい町の屋根が提灯のように拡がって来る。赤い千光寺の塔が見える。山は爽やかな若葉だ。緑色の海向うにドックの赤い船が、帆柱を空に突きさしている。私は涙があふれていた。」 
 千光寺に塔はなく赤い本堂のことだろう。三重の塔は、天寧寺の重要文化財。だからダブルイメージなのだろう。しかし尾道にさしかかる山陽線の車窓からは、千光寺の赤いお堂とこの三重塔とか次々に見えて、心がときめく。そんな素晴らしいアプローチの先に小さい町屋や造船所が広がる風景は、今も変わらない。この街は、いつも不思議な感覚の面白いところだ。
 我々の行程では、林芙美子記念館にゆく時間はなかったのだが、尾道の坂と路地をたどりながら少しばかり斜面民家の隙間を歩いていった。向島の造船所のドックが民家の狭間に見える。撮影していても面白い所だ。
尾道市 
OLYMPUS E-P5,LEICADG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-0.3,f4.5,1/640
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PEN LIFE954. 鞆の浦の標準レンズ

2014年06月01日 | field work
 中国・四国へ研究員と院生を連れて、視察に出かけていた。鞆の浦、尾道、道後温泉、松山城、宇和町卯之町、内子と建築行脚の旅であった。
 鞆の浦では、景観問題をみるというのが目的だが、何回か訪れていていつも工事中だった重要文化財太田家住宅に入ることができたのは幸いだった。やはりなかはなかなか見応えがある民家であった。
 それにしても夏のように暑かったこと。黄砂の影響で風景が霞んでいたこと。そしてバナ・ライカのズミルックスは手ぶれ補正モードをOFFにできないので、バッテリーの消耗が早いこと。
 でも結局PEN E-P5に付けた、この標準レンズ1本が大いに活躍したわけだ。標準レンズというのは、被写体をみつめて、そして考えて撮影するという意識の働きが心地よい。そしてデジタルテレコンバータが望遠レンズの変わりを果たしてくれるので、鞆の浦の標準レンズ1本で間に合う場面が結構多かった。
 バッテリーの消耗が早いから、E-M1に付けた方が良さそうだ。

福山市 鞆の浦
OLYMPUS E-P5,LEICADG SUMMILUX25mm/F1.4
ISO200,露出補正-0.3,f5,1/1000
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