無断借用

もし地球の所有者がいたら、人類は地球を無断借用してることにはならないだろうか。地球は人間から、恩恵をこうむることなくほとんどの場合一方的に取り上げられ返してもらえないから、泥棒のようなものだ。話が飛躍しているように思われるかもしれないが、がんの患者がいなかったら、がんの医療は発達せず、関係のお医者さんも、製薬会社も、必要なくなる。同様に、障害者がいなかったら、今日の医療や教育、心理学など、人間科学やその技術も今日のレベルまで達しなかったはずだ。(勿論実験材料の提供がなかったならばという意味ではない。専門家といわれる人たちも、いづれその世話になるはず.要は、人と人の関係も、ものと人の関係も、持ちつ持たれつの関係で、一方的な関係などありえない。)
ここで言いたいのは、地球の場合、その自然そのものを、病人や障害者の場合その人から発せられる情報を、無断借用している人たちのいることが問題ではないだろうか。
地球をより無断借用した人たちやそれにつながる人たちが、恩恵をこうり自然を提供した地球は被害をこうむり、
情報を提供した病人や障害者といわれる人たちは、代価を払わされる。どちらが貴重なのか解らなくなる。
地球の場合、天罰として、人間は代価を払うことになるかもし知れない。病人などからの無断借用は科学や文化の停滞として、借用した人たちにはね返ってくるのだろう。なぜならどんな人も病気や障害を避けることは不可能なはずだからだ。
20年ぐらい前のちょうど今頃の季節、知的障害児学級の教室の前の廊下に、書初めが貼ってあった。「おもち」ではなかったかと思うが、うなるほど、家の壁に飾っておきたいぐらいの作品だった。大きな和紙に子供が思いっきり書いたのをその学級の担任がものの見事にきりっとっているのだ。よくはわからないが多分、紙と文字との間の「ま」のようなものが文字を引き立てたのだと思う。子供と先生の片方ではできない協同作品だ。勿論私には真似できない。
地球と人類、病人や障害者とそれにかかわる人たちの無断借用しない本来の関係は、あの書初めのようなものではないかと今も思っている。多くの場合、見方によっては悪どくもったいないことをしているのではないだろうか。

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