スマホに駆り立てる背景

 

   スマホに耽っている風景は社会病理の1場面だと思う。

   持ちもせず使えもしない自分が言うのもなんだが、道具を使っているように見えるが、本当にはこの道具の使い方を分かっていないのではないか? と考えられる。

  「百薬の長」と言われるお酒も 飲み過ぎては体に悪い。 すべからく 度を越して良いものは無い。

  結果も心配だが、スマホにののめり込ませた社会的背景がもっと気になる。

  バーチャルだけでなく生理的に視野を狭くしているこの道具によって人間を否応なく進行するグローバル化とは反対の身体感覚を形成するだろうと思う。

  全体感覚や全体知に欠ける国家体制やマスコミ情報が 手本になり誘導してはいないだろうか?

   どうしても 社会的病理を感じるが これに関して社会との関係を論じた評論を 長野大 学長の講話以外に聞いたことが無い。

   

   

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