世界の事実としての動き

 

  まとまりつつある世界の中で アメリカファースト的な 動きが目立つが必然的な流れの中で収れんされるのが歴史だろう。 

 超大国アメリカと言えども 世界はアメリカを中心に(論理的)動きようがなく事実完全には動いていない。(思いと事実の違い)

  G20やその他の外交で 日本が しっかり世界の現実に向き合えるか?が 注目されるが、従来の政府の外交の経過を見ると期待し難い。

   

   

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

まとまりつつある世界



  要するに世界は 色んな問題を抱え違いや争いに目を奪われながらも一つにまとまって来つつある。

 とかく希望を失いがちなるが 国々は国境を越える必然的な流れの中にで、希望へ向かっている。

  公やテレビ・新聞の 現実を無視した空虚な美辞麗句を散りばめた空騒ぎではなく 実際に変化している現況を情報化し述べ伝えたら良い。

  先ずは 市民レベルの草の根の動きが求められる。

  

 

  

    

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

生きる力の違い

 

「生きる力」はよく聞くが どんな力のことだろう。

   引き籠っている状態は社会的に生きる力が強いとは言い難い。

   横文字化してる「引きこもり」の成人は100万を越していると言うが 生きる力の弱い人間を日本のどんなことが原因して生み出しているのだろう?

   社会に人材を送り出す教育にもその一端があるように思えてならない。

    欧米とはベースにする教育理念の違いがあるところまでは やっと見い出せた。

     

 
フォント  
フォントサイズ

 

 

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )

どこからでも



    ニュース解説やワイドショーを見ていてつくづく思った。
大谷選手やサニーブラウン選手の活躍は我がことのように喜び川崎や練馬の事件になると急に他人事の

評論家になる。

 バラバラになった社会関係や人間関係が普通になり 疑問を感じなくなってしまったやに感じた。

  教育畑にいて 社会が全体的に人間関係や信頼関係が壊れていくことに危機感を感じたのが40年前だった。以後事態は進行するばかりで現在に至っている。

   子孫へ多くのツケを残すが 人をバラつかせたツケが最大ではないだろうか?

   本来へ回帰する自然のうねりは別として 人為はどこからでも回復しなければならないのだが 自らを棚に上げてはいられない。

   

コメント ( 0 ) | Trackback ( 0 )