今 人類にとって優先して必要とされているもの

人類にとって 今最優先して必要なものは大自然ではないか。人類はそれを巡って確保しようと 争ってはいないだろうか。
それが武力で得られるものかどうかが 人類は問われているのに、大勢は「得られる」と考えて争っているようだ。  自然を壊しながらやっているのだから話にならない。


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今 何が問われているか。

世界経済がトコトン行き詰まっているとしたら、世界的に調整を図る他ない。
今はその動きすら見られず争っているが やがて争う力さえ失うだろう。
その間 どう生き延びるかが 個人も国家も問われることになる。
今はそういう時代かもしれない。
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寝ボケていないか❣

せこく自分だけても生き延びようとするなら、少しでも自然を手に入れることかもしれない。国家であれ個人であれそれは同じかもしれない。
ウクライナ戦争は そのことを物語っていないか。
しかし 戦争そのものが自然を傷めてる事実を(寝ボケて)双方は忘れているかのようだ。少なくてもグレタさんには そう見えているかもしれない。

 


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寝ボケてる

世界の行き詰まりは株式相場の動きが端的に表現している。大半の国が天井を尽き下がり気味に停滞し久しい。
企業への資本投下の限界が見えてきたかのようだ。
安全も経済も行き詰まり出口を見つられず、混迷はますばかりか。
見方によっては人類の存在の危機そのものが 世に警鐘を鳴らし、新たな動きを生み出すかもしれない。それを期待している。
グレタさんも言うように いつまで眠むっているんだろう?
AIの限界も見え始めてることも補足しておこう。



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校則

マスコミで校則が「時代に合わない」と 時々取り上げられる。
校則のバカバカしさは 戦前はともあれ 戦後は旧憲法のように 多くは有名無実化して来てはいなかったか。
にもかかわらず 今もなお 多くの学校で生徒手帳に校則として記されていることが問題だろう。
化石が 今も尚生きているかのようだ。
問題は 多くの学校が これに象徴されるように 今尚 エッセンシャシャリズムや(文化のエッセンスを注入する)学校や教師が中心であって、養育を受ける側の立場に立った 生活単元・課題解決学習には至っていない。
端的に言えば教師中心主義が強化され 教育史とは逆行しているか にすら(私には)見える。
学校教育の「校則」を切り口に 教育に関係するあれこれや 教育と福祉の関係等 色んな話が聞けるのを楽しみにしている。

 
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