統覚した判断が求められる個人




これだけ情報がバラバラに乱れては バラバラの情報を統覚し判断する個人の意味は大きくなる。

    個人も情報に流され混乱を増幅する傾向は否めないが、立ち止まって考えられ易い存在でもある。

      行き詰まった社会にあっては 個々人の判断の見極めが求められるから個人間の対話が必要になる。  
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コマーシャルファースト




コマーシャルが地上を乗っ取っているかのようだ。 政治も経済も文化も、個人の日々の生活から心や健康までもを引き換えに…

    商業主義はお金儲けの手段ではあるが、即幸福追求の目的を意味してはいない。 

     一体人類のコマーシャルファーストは何を目指しているのだろう?
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病的な国際関係




最近 国家はどこもローカル(地方色)を感じるようになった。

    日本もアメリカもどこも アフリカや南米の国々にも似た地方色を感じる。

      世界は 特定の支配から脱しつつあり ある意味で健全なっているのかもしれない。

   命令と服従の人間関係はそれ自身 (病的)とさえ言われるが 世界的見ると 国家間においても 同じいことが言えないか。
  
       
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 期待





戦後70年、アメリカを中心とした世界秩序が (昨今の経済ニュースは) アメリカが世界経済の地政学的リスクであるかのようだ。

   実際、 イギリス フランス シリア 中国 北朝鮮と同様に世界の株価のリスク要因になっている。

   この動きは グローバル時代にあって 未だ脱皮できない前世紀的な国際政治が 問い直されるチャンスが来ている事を意味しているかもしれない。   
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僅かに膨らむ期待




 ここに来て 事実から離れた作為的情報の真偽が明かるみになって来ているものが少なくない。

   世界も日本も 僅かだが 目に見える形で良い方向に向きだしたのかな?とちょっと期待が膨らむ。

    (ほとんどが現実を無視した 現状に合わない情報に覆われていることに 変わりないが) 
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やっと手に入れた





その昔、人々は 見知らぬ小さな集落内で自給自足の生活をしていた。
  今は、いずれの国の誰もが地球規模で自給自足の生活をしている。

      そして今 人々は 中央アフリカ、中東、北朝鮮や 飢餓・難民やサイバー攻撃の問題以上に 自ら内に 現代に合わない(視野の狭さ)と言う根源的な課題を内包

していないだろうか。


         しかし、ここに来て 希望に繋がる国際的な動きを感じるようになってもきた。

       身の回りと国の内外とが 自然の理や希望とも相俟って 1枚の絵のように繋がって来のは これまで探してきたものかもしれない。





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希望を見つけるのは誰?



  国が単独で動ける時代ではないから 国家のリーダーは まず 世界の最大の困難を探して目を向けると良い。

     リーダーが力を合わせて仕事をすれば、少なくても今日より明日は良くなる。 

そうすれば 多くの人は 見失った希望を取り戻すことが出来るのだが…

    
果たして  世界最大の困難を誰が探しているだろう? リーダーが探さないなら私達(市井の人)だって良いはず。

         希望を見失った原因は 己にもはね返る。 

     
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解らない




再軍備して目の前で進んでいる地球の破壊をくい止め、近くに遠くにいる難民を救えるだろうか?

    「安全保障」とか「平和主義」と言いながら、両者は 全く話題にもしない。

      エライ人たちが何を見て議論しているのか解らない。

        山盛りの宿題を抱え夜遅くまで塾通いする子供の姿以上に解らない。

      

     
    
     
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どうせだから


   


        

すき間にも 喜びや 怒りや 夢や恋はある

        でも どうせだから 思いっきり大きく空気を吸って 大きな夢を見ながら次へ行こう。




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開きの大きさ



   株をやっていいると 自分が学校で教わってきたことや教師として教えてきたことが どれだけ現実から離れていたかを思い知らされる。

    取り返し出来ないことを悔やみながら 何とかならないものかと 願うばかり。 

     道行く小学生を見ながら つくづく思う。
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