もとい、「小沢逮捕真近?」である。
被疑者調書をとられたのがマズイ。これで、起訴はもちろん、逮捕も濃厚になってきた。根拠はあるのか? ある。こう見えても、司法試験に3度落ちたことがある。冗談はさておき、根拠は以下の映画である。
それでもボクはやってない
http://info.movies.yahoo.co.jp/detail/tymv/id325423/
http://moon.ap.teacup.com/applet/chijin/200709/archive
取調べを受けて、調書をとられたら、いかに否定しても、痴漢なのである。警察や検察の取調べを受けることを、弁明の機会が与えられたと、けっして誤解してはならない。有罪のエスカレーターに乗ることなのだと、理解しなければいけない。この映画は、そうした司法の怖ろしい現実を教えてくれる。
なにせ、有罪率99%なのである。自分が1%に入るだろうと思う人は、99%いないだろうに、なぜか、「ちゃんと話せばわかってくれる」、あるいは、「全部否定すれば、どうしようもないだろう」と多寡をくくってしまう。取調べの際に、サインさせられる供述調書は、「自白偏重」の日本の司法では、物証よりはるかに重きをなす証拠なのだ。
管家さんが有罪となった決め手は、DNA鑑定の結果以上に、管家さんが「自白」したからなのだ。自白であれ否認であれ、供述調書にサインしたら、そこでおしまいなのだ。だから、昔の左翼事犯は、逮捕されたら、「バカのひとつ覚えといわりょと完黙」と教わったものである。名前も名乗らなければ、22日で釈放される公算大なのである。
たとえ、刑事に向かって、「尻を触りました」と泣き崩れて告白しても、調書にサインしなければ、喋ったことにも、自白したことにもならない。民主党が法案化しようとしている「取調べの可視化」が通って、ビデオ画像が証拠として認められるまでは。そして、供述調書は被疑者本人のサインがなければ、何十枚書かれようと、ただの紙屑である。
根拠はあるのか? ある。こう見えても、3度逮捕されたことがある。刑事の「おまえがやっただろう?」に、「やったがどうした!」と開き直り、しかし、頑として調書にサインしなかったら、まあ、なだめるすかす、特上弁当までふるまってくれたものだ。冗談はさておき、被疑者にとって調書が持つ致命的な意味は、冗談ではないのである。
小沢がいかに、全面否定しようとも、秘書がしたことで知らなかったといおうとも、これで証拠0から証拠1になった。いかな検察でも、証拠0なのに、状況証拠だけで起訴するわけにはいかない。それは、1:0と検察が優位に立っただけに止まらない。被疑者本人の供述がとれたことで、関係者の証言や伝聞、物証のほとんどが、0から1に、オセロのコマのように白から黒に裏返るのである。
10:0くらいに検察がリードしたわけで、1:0なら躊躇する「公正」な裁判官も、10:0なら文句つけようがないコールドゲームだと、逮捕状にサインするのである。もちろん、小沢は起訴や逮捕も織り込み済みだろうし、ことは、連日マスメディアが報道する「政治とカネ」の問題ではなく、海外メディアが報ずるような「権力闘争」だとすれば、僕たちが記憶すべきことはひとつしかない。
小沢を他山の石としない、ということだ。僕たちが、押入れに4億円の「タンス貯金」をする可能性はたぶんないが、「この人痴漢です!」と手をつかまれる可能性は充分にある。そのとき、「なに血迷ってんだ、このブス」とぼんやりしていてはいけない。あなたは、現行犯逮捕されたのだ。駅員が呼ばれ駅事務室に連れていかれ、警察がやってきて、「まあ、あなたにも言い分があるでしょう。お話しを聞きますから」とパトカーに乗ったら、オセロなら角を取られたも同然!
次は留置所、取り調べ、供述調書の作成、起訴、裁判、たぶん有罪判決(99%だから)というエスカレーターの半分を上がったと思わなくてはいけない。とはいえ、エスカレーターを逆走して降りることは不可能だが、エスカレーターを止めることはできる。調書にサインしないことだ。現行犯逮捕でなければ、任意同行には応じないことだ。いちばんよいのは、姿をくらますことだ(おいおい)。その根拠はあるのか? ある。こう見えても・・・。
(敬称略)