コタツ評論

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今夜はバイオリン

2012-03-21 23:38:00 | 音楽
よく知らないが、今夜のバイオリンは、フランスのアルテュール・グリュミオー(Arthur Grumiaux)。「もちろん、芸術に国境はない。しかし、芸術家には祖国がある」(フンボルト・ペングィン)。長いですよ、演奏時間。3時間では終わりません。

Bach, Brahms, Bruch & Beethoven


人災? 撤回するなよ。

2012-03-21 19:20:00 | 3・11大震災
昨日、関西電力の福井・大飯原発に元経産省官僚で大阪府市統合本部の特別顧問である古賀茂明氏らが視察し、「再稼働」へ強い疑問を投げかけ、「政治決着」を批判した。

東北沖大地震によって、福島第一原発事故が起きた。原発事故の直接の原因が地震であれ、地震によって起こった津波であれ、原発の「安全神話」にとらわれて、充分な対策を怠ってきた、東電と行政による「人災」であるというのが定説になりつつある。

人災が原因なら、よりいっそうの安全策を採り、あらゆる危機管理に備える体制を整えればよい。その実効性が原発再稼働に向けて問われているわけだ。後は基準と範囲の落としどころを探すという作業に移っていくだけだ。物事はそのようにして進んでいく。

しかし、人災なら、福島第一原発事故を原因として、結果的に亡くなった人々について忘れ去るわけにはいかない。福島第一原発事故が起きたことで、避難勧告などから被災者の救命救助がまったくなされず、あるいは大幅に遅れて、まだ存命だったのに無念にも亡くなった人々がどれほどいたのか。

3.11の死者・行方不明者数の約20,000人のうち、助かるべきなのに死なせてしまったのは何人なのか。数百人か、あるいは数千人なのか。福島第一原発事故が起きず、東北沖大地震と大津波だけだったとしたら、人的な被害と物損はどれほどにおさまっていたのか。はたして、そうしたシミュレーションはおこなわれたのだろうか?

被災地の瓦礫処理受け入れをめぐり、放射能汚染の問題について、過敏すぎる反応が戒められている。「まだ」誰一人、福島原発事故の放射能汚染によって亡くなった人はいないと。もちろん反対派は、被害が現れるのはこれからだと警鐘を鳴らしている。なるほど、どちらも傾聴すべき意見だと思う。

だがその前に、福島原発事故を原因として、結果的に命を落とした多数の人々がいること。未曾有の大地震と大津波以上の被害と損害を、福島原発事故が東北地方と日本にもたらしたこと。その事実認定がなおざりにされたままだとすれば、「復興」の大義や「絆」の美名は虚しいというより、欺瞞的とすらいえないか。

人災なら、3.11当時の内閣や政府の混乱や過誤についても、もっともっと厳しく批判されるべきではないか。「それなりによくやったほう」「しかたがなかった」などとは、口が裂けてもいうべきではないと思う。多数の死者の何割かと、死に等しい生活基盤の破壊を受けた人々へ、それが「人災」によるものと有責を認めるのなら。

FUKUSHIMAレポート~原発事故の本質~」「メルトダウン ドキュメント福島第一原発事故」ほか、原発事故の真相モノ ― 2012年03月19日
http://iiyu.asablo.jp/blog/2012/03/19/6382151