コタツ評論

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floating clouds

2014-10-06 22:13:00 | レンタルDVD映画


台風18号のおかげで仕事が休みになり、CATVで放映されていた「浮雲」を途中から観た。若い頃にも、TVで放映されていたのを観かけて止めた覚えがある。「東京物語」もそうだが、テンポが遅くて、「ねえ」とか「ほら」とか、日常会話がくり返されるだけで論理的な対話やドラマツルギーもない退屈な映画だと思っていた。たぶん、黒澤明もそう思っていたから、「七人の侍」や「用心棒」など、土砂降り雨中の乱戦などアクション満載の劇的な映画をつくり、少年時代の私も熱狂したわけだ。

中高年といわれる境遇になって観て、今回はまったく退屈しなかったどころか、眼を奪われるところが多かった。なにより、高峰秀子の演技のリアルさ。そのユニークな造型に驚いた。日本映画随一の名女優といわれるのもなるほどと思った。美女というほどではない、鈴を鳴らすようなにはほど遠い鼻濁音の声、セリフ回しに抑揚がなく一聴では棒読みかと思う。嫉妬し、恨み言を云い、めそめそとし、自らを皮肉くる、にもかかわらず、高峰秀子のゆき子は美しく、愛らしい。

ゆき子の亡骸にとりすがって泣き崩れる富岡の姿に、少なからぬ映画ファンはフェデリコ・フェリーニの名作を想いだすだろう。「浮雲」のゆき子と富岡は、「」のジェルソミーナとザンパノである。「道」は1957年日本公開だから、先につくった成瀬巳喜男監督が影響されたということはないはず。ただ、自分勝手(ザンパノ)や優柔不断(富岡)な男に、赤心(まごころ)を尽くして、不幸のままに死ぬ女の物語が普遍なのだろう。女が死んだ後、はじめてそれを思い知るという男の姿とともに。

それはやはり一種のファンタジーだろう。天使のように純粋無垢なジェルソミーナは永遠に生きるのに(彼女の歌は歌い継がれていく)、ザンパノは慚愧を抱えて生き続けるしかなく、やがて落魄して死ぬはずだ。つまり、そこで「命ある者」はザンパノであって、ジェルソミーナではない。ゆき子はそうではない。好きになった男にすがりつきながら、意のままにならぬ男にからみ、うんざりさせる、ありふれた女だ。その無垢や貞淑はジェルソミーナのような少女の処女性によるものではなく、成熟した女がその性愛をとおして獲得したものだ。ジェルソミーナのジュリエッタ・マシーナより、ゆき子の高峰秀子は、ずっと生身の複雑な女性像を演じたわけだ。

ゆき子の死に顔に富岡が口紅をさす場面で、若い映画ファンならクリント・イーストウッド監督作品の「ミリオンダラー・ベイビー」を思い起こすかもしれない。フランキーがマギーに施す場面では、モノクロ調のなかで口紅を塗った唇だけが赤く輝いていた。こちらは成瀬巳喜男からの引用かもしれないが、口紅と唇の意味はかなり違う。

フランキーは口紅など塗らない女性プロボクサーだったマギーへの哀悼を込めた。もちろん、セコンドやジムのボスとしてではなく、父親のような娘への愛情からだ。富岡の場合は、もっとセクシャルで肉感的な意味合いが強いだろう。ゆき子は念入りに口紅を塗り、手早く化粧を施し、あれこれ着ていく服に悩み、だが、せいいっぱいの笑顔で、男の胸に飛び込んでいく女だ。口紅を塗った唇と、口紅が剥がれた唇のいずれも知っているのが富岡だ。

そんな聖俗を備えたゆき子を高峰秀子以上に演じられる女優が、日本にかぎらず世界を見回しても、はたしているだろうかと思えるのである。もちろん、いるだろう。ただ、私には思い当たらない。

『浮雲』(うきぐも)は、昭和30年(1955年)公開の成瀬巳喜男監督作である。邦画ランキングやオールタイムベストテンでは、小津安二郎の「東京物語」や溝口健二の「祇園の姉妹」などと並び、必ず上位に入る日本映画史上の名作・傑作といわれている。

たぶん、成瀬巳喜男は林芙美子原作を読み、不倫をとおした恋愛映画としてつくったはずだ。それも腐れ縁をひきずる中年男ともはや若くはない女に焦点を合わせて。映画の半分から後は、ぐちぐちいうゆき子とそれをいなしかわしながら、なんとか穏便に別れようとする富岡の会話だけに終始する。もはや、不倫であるがゆえに切迫して昂ぶるようなことはなく、不倫は後景に退いている。しかし、映画の見所は、この半分から後、高峰秀子(ゆき子)と森雅之(富岡)の会話の掛け合いにあり、息づまる演技戦にある。その上で、映画の構図としては、不義密通が重層的に描かれているのに気づくだろう。

戦時中の1943年、農林省のタイピストのゆき子は、当時のフランス領インドシナ(現在のベトナム・ラオス・カンボジア)へ渡り、そこで農林省技師の富岡に出会う。妻ある男との恋愛という不義密通が起きるその前に、なぜ二人がそこで出会えたのか。なぜ、日本の男女二人が当時の仏印に滞在したのか。あるいは、手をつないで不倫という障害を飛び越えられたのか。その背景にべつの不義密通の構図を見い出すことは容易なことだ。時代は大日本帝国隆盛のとき、日本軍はフランス領インドシナに「進駐」していた。侵略ではない。

ナチスドイツに敗戦したフランスは親独のビシー政権に代わり、当然、日独伊の枢軸国側に与して、植民地インドシナに日本軍が進駐することを容認した。日本にとっては南方進出(これは侵略)の拠点のひとつであり、フランスにとっては植民地の権益を守るためだった。ゆき子と同様に、1942年から1943年にかけて、原作者林芙美子は陸軍報道部報道班員の一人としてシンガポール・ジャワ・ボルネオに滞在した、原作小説「浮雲」は林芙美子の戦争協力と、自身が現地で起こした不倫事件を含めた体験が下敷きになっているといわれる。

戦後、落魄した身を木賃アパートに置く富岡を訪ねてきたゆき子に、「ぼくらのロマンスも敗戦で終わったのさ」(終戦と云ったか、敗戦と云ったか、うろ覚え)と富岡は云う。アジア解放を謳いながらフランス植民地インドシナを守るために進駐した大日本帝国の政略と、かつてはその大日本帝国のアジア解放の大義を信じ、南方進出のお先棒を担ぎながら、敗戦後は暮らしに追われるまま、その口を拭っている富岡。かつて信じたことを裏切り、いま裏切ったことを信じない、それはそのまま、富岡のゆき子への愛と重なる。

不義にして富み且つ貴きは浮雲の如し(論語)

もちろん、そんな構図など、成瀬巳喜男の眼中になかったろう。構図など意識しなくとも、同時代であり、記憶ですらなかったのかもしれない。

浮雲のように、ふわふわとうつろいやすくたよりない、男女の性愛をとおして(ベッドシーンどころか抱擁シーンすらめったにないが、性愛をイメージさせるゆき子の仕草や小道具はふんだんに登場する。旅館で着込んだ滑稽などてら姿のゆき子が可愛い)、

花のいのちはみじかくて苦しきことのみ多かりき(林芙美子)

いのち、女のいのち、そのものを、儚さを、愛惜を込めて描き切りたかったのだろう。

眼を奪われるのは、昭和の風物だ。車が通るなら一車線がやっとの未舗装の道々に立つ木の電信柱。厚くペンキが塗られた郵便ポスト。障子紙を貼って目隠しした木賃アパートのガラス窓。旅館のどてら姿と火鉢。男はソフト帽をかぶり、女は着物姿が少なくない。もちろん、ゆき子と富岡の成瀬巳喜男の時代を私は生きたわけではない。しかし、今は失われた懐かしい昭和の風景が映されているとわかる。直接には知らないはずなのに、記憶とは不思議なものだ。

(敬称略)
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