ーなあ、ちょっと訊いてもいいかい
あんたは犬派、それとも猫派?
棘のように小さな傷跡を胸奥に残す映画でした。
JCOMのオンデマンドTVの洋画新作3日間540円です。
予備知識はありませんでしたが、俳優陣に惹かれました。エイドリアン・ブロディ(Adrien Brody)、アントニオ・バンデラス(Antonio Banderas)、ジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich)。名優ぞろいです。
”Bullet_Head”というタイトル(弾頭?)から、犯罪アクション物と見当をつけたのです。「荒廃した倉庫に逃げ込んだ窃盗団が・・・」と流し読みしたあらすじから、窃盗団と警察の熾烈な攻防戦かな、ならば、たぶん、悪役のボスはもちろんジョン・マルコヴィッチ、犯罪を憎む刑事はアントニオ・バンデラスか、いや、冷酷なエイドリアン・ブロディの警察幹部から潜入を命じられたアントニオ・バンデラスが冷や汗をかきながら、裏切り裏切られ、丁々発止とギャングや警察と渡り合う・・・。そんな映画を期待しましたが、まるで違いました。
小さな店に忍び込んで3万ドルくらい入った金庫ごと盗んで逃げる途中、駆けつけた警官に撃たれて運転手は瀕死、巨大な廃倉庫に逃げ込みはしたものの、街は非常線が張られている上に、乗ってきた古いキャデラックは大破したので動くに動けない。金庫が開けられるはずの運転手は死亡したので、重い金庫を担いで出るわけにもいかない。
そんなにっちもさっちもいかなくなった、窃盗団とは大げさなただの泥棒3人組です。そのうちの中年と初老の二人がエイドリアン・ブロディとジョン・マルコヴィッチなのです。これに薬中の若造ロリー・カルキン(マコーレ・カルキンの兄弟でしょうか。顔が似ています)がおなじみの厄介者として加わります。犯罪者としてもうだつの上がらない面々です。
出るに出られぬ密室の巨大な廃倉庫のなかで、舞台劇のような3人の愛憎のドラマが繰り広げられるかというと、そんなこともなく、焦燥と不安に駆られながらも、「あんたは犬派、それとも猫派?」と訊いたりします。寄せ集めの仲間なのです。
アントニオ・バンデラスは? もちろん、重要な役回りですが、意外な役で登場します。少年のようにきれいな笑顔の持ち主なのに、ナチス将校のように無表情なので、一瞬、誰だかわかりませんでした。主な登場人物はこの4人ですが、じつは彼ら以外に、泥棒たち3人を恐怖につき落とす怪物が出てきます。
怪物とは何か、廃倉庫の秘密は? あとは観てのお楽しみですが、じつは怪物こそが主役で、エイドリアン・ブロディとジョン・マルコヴィッチ、アントニオ・バンデラスはわき役ともいえます。
そして、たぶん、企画を知り、脚本を読んだ名優3人は、負け犬泥棒たちの恐怖の一昼夜の密室劇に、二つの理由から進んで出演を望んだのだと推測します。
化物のような悪人や不死身のヒーローやどこまでも心優しい青年に扮するより、怒鳴りもせず、演説もぶたず、長い独白もしない、ありふれた不幸を抱える、世界の片隅の人物を演ずることに、まず演技者として格別の魅力を感じたはずです。
もうひとつの理由は、たぶん、彼ら自身の私生活にあると思います。これも映画をみればすぐにわかります。
追い詰められた犯罪者たちは、欲得が剥き出しになり、たいてい仲間割れを起こして、自滅していくのが常です。しかし、この映画では怪物の登場によって、「あんたは犬派、それとも猫派?」と尋ねるほど知り合ったばかりの泥棒たちが互いを助け合います。それだけに留まらず、怪物のおかげで自分のやりきれない人生と和解するきっかけをつかむのです。
密室劇とはいえ、怪物を見せられないはずなので舞台化はできません。舞台上の人物が怪物について語るとか、音響を駆使するとかで補うこともできそうにありません。それをしたら、台無しです。隠れた主役とは比喩であって、ほんとうに主役が不可視なら、やはり主役にはなりません。これは映画にしかできない映画なのです。
傑作や名作ではないし、演技合戦といえるほどセリフが飛び交ったりもしません。なにせ、「なあ、ちょっと訊いてもいいかい。あんたは犬派、それとも猫派?」と凡庸な会話をはじめるくらいです。そんなところから、殴り合いや殺し合い、あるいは愁嘆場や懺悔に発展するわけがありません。
そのうえ、さらに、これは男の映画です。女はいらない、男だけの世界を描いています。じっさい、ちらとしか女優は出てきません。そして、あなたが男なら、観終わった後、胸の奥のかすかな傷跡が疼くのに気づくでしょう。この映画が傷つけたのではありません。元からそこにあったのです。あなたが女なら、そんな男はうっちゃって、どこかへ出かけて、美味しいものでも食べてください。
最後のモリーへの謝辞に泣けます。監督のポール・ソレットだけでなく、エイドリアン・ブロディ、アントニオ・バンデラス、ジョン・マルコヴィッチ、ロリー・カルキンも、たぶん涙ぐんだでしょう。
(敬称略)
あんたは犬派、それとも猫派?
棘のように小さな傷跡を胸奥に残す映画でした。
JCOMのオンデマンドTVの洋画新作3日間540円です。
予備知識はありませんでしたが、俳優陣に惹かれました。エイドリアン・ブロディ(Adrien Brody)、アントニオ・バンデラス(Antonio Banderas)、ジョン・マルコヴィッチ(John Malkovich)。名優ぞろいです。
”Bullet_Head”というタイトル(弾頭?)から、犯罪アクション物と見当をつけたのです。「荒廃した倉庫に逃げ込んだ窃盗団が・・・」と流し読みしたあらすじから、窃盗団と警察の熾烈な攻防戦かな、ならば、たぶん、悪役のボスはもちろんジョン・マルコヴィッチ、犯罪を憎む刑事はアントニオ・バンデラスか、いや、冷酷なエイドリアン・ブロディの警察幹部から潜入を命じられたアントニオ・バンデラスが冷や汗をかきながら、裏切り裏切られ、丁々発止とギャングや警察と渡り合う・・・。そんな映画を期待しましたが、まるで違いました。
小さな店に忍び込んで3万ドルくらい入った金庫ごと盗んで逃げる途中、駆けつけた警官に撃たれて運転手は瀕死、巨大な廃倉庫に逃げ込みはしたものの、街は非常線が張られている上に、乗ってきた古いキャデラックは大破したので動くに動けない。金庫が開けられるはずの運転手は死亡したので、重い金庫を担いで出るわけにもいかない。
そんなにっちもさっちもいかなくなった、窃盗団とは大げさなただの泥棒3人組です。そのうちの中年と初老の二人がエイドリアン・ブロディとジョン・マルコヴィッチなのです。これに薬中の若造ロリー・カルキン(マコーレ・カルキンの兄弟でしょうか。顔が似ています)がおなじみの厄介者として加わります。犯罪者としてもうだつの上がらない面々です。
出るに出られぬ密室の巨大な廃倉庫のなかで、舞台劇のような3人の愛憎のドラマが繰り広げられるかというと、そんなこともなく、焦燥と不安に駆られながらも、「あんたは犬派、それとも猫派?」と訊いたりします。寄せ集めの仲間なのです。
アントニオ・バンデラスは? もちろん、重要な役回りですが、意外な役で登場します。少年のようにきれいな笑顔の持ち主なのに、ナチス将校のように無表情なので、一瞬、誰だかわかりませんでした。主な登場人物はこの4人ですが、じつは彼ら以外に、泥棒たち3人を恐怖につき落とす怪物が出てきます。
怪物とは何か、廃倉庫の秘密は? あとは観てのお楽しみですが、じつは怪物こそが主役で、エイドリアン・ブロディとジョン・マルコヴィッチ、アントニオ・バンデラスはわき役ともいえます。
そして、たぶん、企画を知り、脚本を読んだ名優3人は、負け犬泥棒たちの恐怖の一昼夜の密室劇に、二つの理由から進んで出演を望んだのだと推測します。
化物のような悪人や不死身のヒーローやどこまでも心優しい青年に扮するより、怒鳴りもせず、演説もぶたず、長い独白もしない、ありふれた不幸を抱える、世界の片隅の人物を演ずることに、まず演技者として格別の魅力を感じたはずです。
もうひとつの理由は、たぶん、彼ら自身の私生活にあると思います。これも映画をみればすぐにわかります。
追い詰められた犯罪者たちは、欲得が剥き出しになり、たいてい仲間割れを起こして、自滅していくのが常です。しかし、この映画では怪物の登場によって、「あんたは犬派、それとも猫派?」と尋ねるほど知り合ったばかりの泥棒たちが互いを助け合います。それだけに留まらず、怪物のおかげで自分のやりきれない人生と和解するきっかけをつかむのです。
密室劇とはいえ、怪物を見せられないはずなので舞台化はできません。舞台上の人物が怪物について語るとか、音響を駆使するとかで補うこともできそうにありません。それをしたら、台無しです。隠れた主役とは比喩であって、ほんとうに主役が不可視なら、やはり主役にはなりません。これは映画にしかできない映画なのです。
傑作や名作ではないし、演技合戦といえるほどセリフが飛び交ったりもしません。なにせ、「なあ、ちょっと訊いてもいいかい。あんたは犬派、それとも猫派?」と凡庸な会話をはじめるくらいです。そんなところから、殴り合いや殺し合い、あるいは愁嘆場や懺悔に発展するわけがありません。
そのうえ、さらに、これは男の映画です。女はいらない、男だけの世界を描いています。じっさい、ちらとしか女優は出てきません。そして、あなたが男なら、観終わった後、胸の奥のかすかな傷跡が疼くのに気づくでしょう。この映画が傷つけたのではありません。元からそこにあったのです。あなたが女なら、そんな男はうっちゃって、どこかへ出かけて、美味しいものでも食べてください。
最後のモリーへの謝辞に泣けます。監督のポール・ソレットだけでなく、エイドリアン・ブロディ、アントニオ・バンデラス、ジョン・マルコヴィッチ、ロリー・カルキンも、たぶん涙ぐんだでしょう。
(敬称略)