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アラバマの反逆者

2009-06-10 01:44:00 | ノンジャンル

CATVで放映されていた「ジョージ・ウォレス アラバマの反逆者」を観る。

ジョージ・C・ウォレスといえば、アラバマ州知事として、マーチン・ルーサー・キング牧師の公民権運動に反対し、人種分離政策を主張して公民権デモを弾圧した南部の人種差別主義者、というのが私の知識だった。それはおおむね間違っていなかったのだが、この4時間もの長尺TV映画は、それ以前のウォレスとその後ウォレスについても、事実に基づいて丹念に描いている。ほとんど知らないことばかりだった。

まず、ウォレスが大衆を信じ、大衆から支持された、有能な大衆政治家だったこと。全米からブーイングが起きた「悪役」にもかかわらず、4度も州知事に再選されている。さらに、アラバマ州知事から民主党大統領候補をめざすために、州知事の続投が禁止されていることから、いったん妻を身代わりに知事にしたこと。つまり、これを勘定に入れると、任期4年×5回=20年間、アラバマ州知事をつとめたことになる。

銃弾5発も撃ちこまれて暗殺されかけたが、下半身不随になりながらも知事に返り咲き、98年まで存命していたこと。後年、知事在職中に、かつての人種分離主義の主張や公民権運動の弾圧について、間違っていたと公式に認め、州立大学への入学を拒んだ二人の黒人学生をはじめ、黒人市民に謝罪し、赦しを求めたこと。アラバマ州モンゴメリーのキング牧師の黒人教会に立ち寄り、ミサ中の黒人信徒たちに、淡々と苦衷に満ちた謝罪スピーチをする場面が感動的だ。以上について、すべて知らなかった。

このTV映画は、ウォレスを人種差別主義者だと「差別」せず、一人のたぐいまれな闘志溢れる大衆政治家として認め、その政治人生に真摯な視線を注いでいる。アラバマ州の70%の人口を占める白人層を「多数派」として、州立大学への黒人の入学に反対する人種分離主義を掲げて、ウォレス知事はケネディ大統領の連邦政府と対立する。また、公民権運動への支持が高いハーバード大学での講演など、ウォレスを憎悪する聴衆の前にも出向き、石や卵をぶつけられても、堂々と自分の主張を述べる。

日本では、得票=支持を疑われることはないが、ウォレスには得票<支持のようだ。得票と支持は、同じようで同じではない。政治家が大衆の支持を取りつけるのは、何より演説の言葉であり、先頭に立つ行動力である。州立大学への黒人入学を阻止するために、ウォレスは大学の玄関前に仁王立ちする。州知事が最高司令官のはずの州兵は、入学を認めた連邦裁判所決定に従い、連邦政府の指揮下に入り、黒人学生を大学内に入れるために、警官隊だけを従えたウォレスに向かい合う。まぎれもなく国家権力への反逆である。

「保守反動タカ派」のレッテルのおかげで、人々の中に入り、人々の先頭に立つ、大衆政治家ウォレスは、扇動政治家の汚名を着せられた。しかし、この映画の意図するところは、ウォレスの汚名回復や再評価だけではないと思う。この映画がほんとうに再評価しようとしているのは、ウォレスに象徴されるような、大衆に根づいた民主政治ではないかと思う。つまり、1960年代と較べて、現在の政治は、そこから遠いという批判である。そして、ウォレスの時代と同じく、「多数派」が正義不正義に先んじる民主政治の原理的欠陥を指摘している。公民権運動に反対するウォレスを支持したアラバマ州の多数派、公民権運動を支持したケネディが背景とした多数派。多数決というなら、どちらも正しく、どちらも間違っている。

当然、この映画の背景は、911以降のアメリカ政治である。911以降、アメリカの世論が対テロ戦争一色になったことは記憶に新しい。また、イラク戦争をはじめとする対テロ戦争を指揮したのは、大衆から支持され選ばれた議員たちではなく、「ネオコン」と呼ばれるホワイトハウス官僚やスタッフたちだったことが明らかになっている。それを帝国主義以前と以降と言い換えることもできるだろう。あるいは、アメリカが挫折をへて内向きに入った表れとみることもできよう。いずれにしろ、これほど重層的なTV映画をつくることができるアメリカの底力に感心した。

ウォレスには、「二十日鼠と人間」のゲーリー・シニーズ、その妻には、「WANTED」のアンジェリ-ナ・ジョリー。ウォレスの黒人執事役に、クラレンス・ウィリアム三世(顔を見ると、よく出てくるあの人だ!とわかります。ガッツ石松の名前が、冷泉公彦みたいなものです)。監督は、お懐かしやジョン・フランケンハイマー。

(敬称略)

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