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素人でもあるまいし

2013-05-24 00:38:00 | 政治
へえ、標準時間を変えられるとは知らなかった。

猪瀬都知事「標準時2時間前倒しを」
http://www.nikkei.com/article/DGXNASFS2203N_S3A520C1EE8000/



標準時間を2時間早めるとどうなるかという話ではなくて、TVニュースに映じた「ぶらさがり取材」を受ける猪瀬都知事がおかしかった。「ぶらさがり取材」というのは、記者が突き出したおびただしい携帯電話やIC録音機の真ん中で、マスコミの質問に受け答えするアレです。猪瀬さん、例によって強張った引き攣った表情だったが、なんと手元のメモに目を落としながら答えていました。

記者会見や記者発表が済んだ後、なんとか肉声をとろうとする記者たちに、政治家や官僚がフランクな立ち話で応じるのが「ぶらさがり取材」です。立ち去ろうとする容疑者や被疑者に追いすがって、「被害者に一言ないんですか!」と訊くのは「ぶらさがり取材」とはいわず、TVなどでは突撃取材といいます。突撃取材ならともかく、「ぶらさがり取材」はいくら給料がよくてもやりたくないものですね。呼称からして屈辱的じゃないですか。

政治家や官僚などの権力者は、自分の一言がほしくて記者が群がるのですから、スキャンダルなどで責められているのでなければ、なかなか優越感を満たされる場でしょう。ところが猪瀬さん、再三、手元のメモを確認しながら、慎重に答えていました。メモを読み上げるくらいなら、記者発表から多少逸脱してくれないのなら、「ぶらさがり取材」の意味はないんですがね。よほど、ニューヨークタイムズの批判記事と謝罪の顛末に懲りたものと見受けられます。

メモを見ながら話す猪瀬さんから、二つのことが見えてきます。ニューヨークタイムズの批判記事について、たんに言葉のやりとりに誤解が生じたと思っているか、それをアピールするために、メモに基づき正確に答えようとしている。したがって、発言内容そのものに問題があったとは考えていないか、問題があったとは認めたくない。あるいはそういう内面の葛藤を記者たちに暗に示して、同情を引こうとしているのかもしれません。いずれにしても、度々メモに頼りながら説明する「初々しい姿勢」に、かえって好感を抱くことができませんでした。

佐野真一氏と並ぶ「大物ノンフィクション作家」として取材することに慣れ、「石原慎太郎から後継指名された副知事」として取材されることに慣れた御仁が、いまさら「取材には気をつけなくっちゃ」とばかりに「ブリッ子」されては、「ぶらさがり取材」記者たちも自分たちの仕事が情けなくなったことでしょう。「ナオキ、パパだって仕事でつらいときはある。おまえだっていろいろ大変なこともあるだろう。パパもがんばるから、おまえもいっしょにがんばろう!」と家では云っているかもしれない。

その権力の強大さから、大統領制に近いといわれる知事、イタリアやギリシャの国家予算をもしのぐという東京都知事が、ほとんど政治的な意味を持たない、標準時間の変更提案について問われて、メモに目を落としながら受け答えする。かつての猪瀬さんなら、たぶん不快気にこう云ったでしょう。「あなたね、さっきからメモを見ているけれどね、それはいったい何の真似ですか?」。プーチンなら、「あなたにメモを渡した人から、私は話を聴きたい」でしょうか。

よけいなお世話でしょうが、ちゃんとしたPR担当を雇うべきだと思う。そのくらい、PRされては困る、猪瀬さんの「人柄」や「器量」がPRされています。だんだん、菅直人さんと似てきました。そういえば、苛立たしい様子や不快気な表情を対手に忖度させるところはよく似ています。地位や肩書きを慮って忖度しているのに、人格や頭脳で圧倒していると思い込んでいるところも。大統領候補予備選を勝ち抜くために、候補以上に奮闘する広報担当の表裏を描いた「スーパー・チューズデー 正義を売った日」を観ることをお勧めします。



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