ゼア・ウィル・ビー・ブラッド THERE WILL BE BLOOD
http://www.varietyjapan.com/features/academy2008/u3eqp3000002e1cz.html
『エデンの東』でジェームス・ディーンのキャルに取りすがられるパパの若かりし頃の話である。ジョン・スタインベックの原作『East Of Eden』が発表されたのが1952年。エリア・カザン監督の映画化が1955年。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の原作である『石油』をアプトン・シンクレアが書いたのが1927年。『エデンの東』が『石油』に影響されていてもおかしくはない。ダニエル・プレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)と訣別する息子のH・Wが「キャル」でもいいし、ダニエル自身が「キャル」であってもいい。
映画『エデンの東』では父子の葛藤に焦点が当たっているが、スタインベックの原作は聖書のカインとアベルという兄弟の物語をモチーフにしている。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』もカインとアベルのように、ダニエルとは対照的な弟が4人登場する。一人目は息子のH・W。少年であるが、「石油屋」の父が農民地主に土地買収交渉をする際、息子連れの家庭的な男をアピールするために同道する、仕事のパートナー的な存在である。保護の対象ではなく、相互依存の関係である。
二人目は、石油掘削の際の事故で聴覚を失ったH・Wと別れた後を埋めるように現れた偽の弟ヘンリー(ケヴィン・J・オコナー)。彼もダニエルとは異なり、気が弱く心優しい。「独りでは仕事ができない」とヘンリーを受け入れ、重大なユニオンオイルとの交渉にも連れていく。三人目は、ヘンリーと友だちとなり、結核で死んだという映画には登場しない本当の弟。四人目は、いうまでもなくダニエルと対立するカリスマ説教師イーライとなる。
ダニエルは、弟になりすました偽物とヘンリーを射殺し、イーライはボウリングのピンで撲殺する。H・Wに対しても、成人したH・Wとの訣別する際に、ダニエルは「バスタード フロム バスケット!」と血縁を否定する言葉を投げつけ、H・Wの「父親への愛」とともに、自らの「弟」への愛情を殺してしまう。すべて兄の弟殺しと思える。
イーライもダニエルの豪邸内のボウリング場で殺される場面では、金儲けに熱心なインチキ説教師に墜ちていたが、最初にダニエルの前に現れたときは、敬虔なキリスト教徒として、貧しい農民地主を騙し強引に石油掘削事業を進めるダニエルを真っ当に諫めていた。しかし、ダニエルは諫めるイーライを手酷く殴りつける。イーライは後年、ダニエルが石油の出る土地欲しさに自分の主宰する教会の洗礼を受けさせる際に、このときの復讐をする。
H・Wも手に負えなくなったダニエルによって都会の病院に預けられ、数年後に戻ってきたときには、ダニエルに平手打ちを食わせる。いずれも兄弟喧嘩に見えるではないか。兄に裏切られた弟の憤り、弟に否定された兄の怒り。兄であろうとし、弟であろうとしながら、止みがたく煮える心。つまり、そこにあるBLOODがWILL BEなのである。
ダニエルの強欲や暴力、怒りは石油事業の推進という近代化によって生まれ、支えられている。しかし、ダニエル自身は、古いタイプの西部の開拓者であり、自分の分身たる「弟」を求めている。スタンダード石油に石油事業を売って成金生活をおくるより、リスクの大きい石油事業を続けることを選ぶ。金儲けだけのスタンダード石油の奴らとは違う、Blood=血縁とともに生きようとする自分を侵すなと怒りを爆発させる。「H・Wの育て方に口出しするな!」とは、後ろめたさへの反発ではないのだ。
『ノーカントリー』と同じテーマを扱っているように思う。人間としての生き難さ。開拓期に遡ってその根を見据えているかのようだ。アメリカその繁栄のまったき否定。そんな映画とみた。
『エデンの東』のように美しい牧場風景や流麗なストリングスによるBGMは流れない。石油の油井が立つのは荒涼たる褐色土、メロディを排した不協和音が流れるのが、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』である。美しいものはない。希望もない。イーライを殺したダニエルは、「フィニッシュド」といい、そこで映画も終わる。力強い人間の心弱い内面に、新たに善なるものを見出そうとするかのように、ダニエル・プレインビューの物語と映画の終わりが同時に観客に手渡される。
2時間30分。主な登場人物は上記の4人だけだが、まったく弛緩することはない。観疲れしない。ポール・トーマス・アンダーソン。まぎれもなく大物監督の誕生だろう。『マグノリア』ではいかにも、ロバート・アルトマンの亜流に見えたが。ダニエル・デイ=ルイス。やはり怪演としかいいようがない。好演、熱演という次元ではないだろう。独りで観るのがお勧め。後になって効いてくる。たぶん、アメリカ映画にとって、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以前と以後といわれるほどの重要な映画といわれるだろう。そのうち。
(敬称略)
追記
某掲示板で THERE WILL BE BLOOD の和訳を募ったら、聖書の「出エジプト記」の言葉ではないかという指摘をもらった。
エジプト全國において木石の器の中にすべて血あるにいたらん
http://wiki.answers.com/Q/Where_in_the_Bible_is_the_quote_there_will_be_blood
キリストの血となれば、カインとアベルのような兄弟の物語であるという上記はかんちがいにしかならないが、恥も身の内と晒しておきます(8月29日)
http://www.varietyjapan.com/features/academy2008/u3eqp3000002e1cz.html
『エデンの東』でジェームス・ディーンのキャルに取りすがられるパパの若かりし頃の話である。ジョン・スタインベックの原作『East Of Eden』が発表されたのが1952年。エリア・カザン監督の映画化が1955年。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』の原作である『石油』をアプトン・シンクレアが書いたのが1927年。『エデンの東』が『石油』に影響されていてもおかしくはない。ダニエル・プレインビュー(ダニエル・デイ=ルイス)と訣別する息子のH・Wが「キャル」でもいいし、ダニエル自身が「キャル」であってもいい。
映画『エデンの東』では父子の葛藤に焦点が当たっているが、スタインベックの原作は聖書のカインとアベルという兄弟の物語をモチーフにしている。『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』もカインとアベルのように、ダニエルとは対照的な弟が4人登場する。一人目は息子のH・W。少年であるが、「石油屋」の父が農民地主に土地買収交渉をする際、息子連れの家庭的な男をアピールするために同道する、仕事のパートナー的な存在である。保護の対象ではなく、相互依存の関係である。
二人目は、石油掘削の際の事故で聴覚を失ったH・Wと別れた後を埋めるように現れた偽の弟ヘンリー(ケヴィン・J・オコナー)。彼もダニエルとは異なり、気が弱く心優しい。「独りでは仕事ができない」とヘンリーを受け入れ、重大なユニオンオイルとの交渉にも連れていく。三人目は、ヘンリーと友だちとなり、結核で死んだという映画には登場しない本当の弟。四人目は、いうまでもなくダニエルと対立するカリスマ説教師イーライとなる。
ダニエルは、弟になりすました偽物とヘンリーを射殺し、イーライはボウリングのピンで撲殺する。H・Wに対しても、成人したH・Wとの訣別する際に、ダニエルは「バスタード フロム バスケット!」と血縁を否定する言葉を投げつけ、H・Wの「父親への愛」とともに、自らの「弟」への愛情を殺してしまう。すべて兄の弟殺しと思える。
イーライもダニエルの豪邸内のボウリング場で殺される場面では、金儲けに熱心なインチキ説教師に墜ちていたが、最初にダニエルの前に現れたときは、敬虔なキリスト教徒として、貧しい農民地主を騙し強引に石油掘削事業を進めるダニエルを真っ当に諫めていた。しかし、ダニエルは諫めるイーライを手酷く殴りつける。イーライは後年、ダニエルが石油の出る土地欲しさに自分の主宰する教会の洗礼を受けさせる際に、このときの復讐をする。
H・Wも手に負えなくなったダニエルによって都会の病院に預けられ、数年後に戻ってきたときには、ダニエルに平手打ちを食わせる。いずれも兄弟喧嘩に見えるではないか。兄に裏切られた弟の憤り、弟に否定された兄の怒り。兄であろうとし、弟であろうとしながら、止みがたく煮える心。つまり、そこにあるBLOODがWILL BEなのである。
ダニエルの強欲や暴力、怒りは石油事業の推進という近代化によって生まれ、支えられている。しかし、ダニエル自身は、古いタイプの西部の開拓者であり、自分の分身たる「弟」を求めている。スタンダード石油に石油事業を売って成金生活をおくるより、リスクの大きい石油事業を続けることを選ぶ。金儲けだけのスタンダード石油の奴らとは違う、Blood=血縁とともに生きようとする自分を侵すなと怒りを爆発させる。「H・Wの育て方に口出しするな!」とは、後ろめたさへの反発ではないのだ。
『ノーカントリー』と同じテーマを扱っているように思う。人間としての生き難さ。開拓期に遡ってその根を見据えているかのようだ。アメリカその繁栄のまったき否定。そんな映画とみた。
『エデンの東』のように美しい牧場風景や流麗なストリングスによるBGMは流れない。石油の油井が立つのは荒涼たる褐色土、メロディを排した不協和音が流れるのが、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』である。美しいものはない。希望もない。イーライを殺したダニエルは、「フィニッシュド」といい、そこで映画も終わる。力強い人間の心弱い内面に、新たに善なるものを見出そうとするかのように、ダニエル・プレインビューの物語と映画の終わりが同時に観客に手渡される。
2時間30分。主な登場人物は上記の4人だけだが、まったく弛緩することはない。観疲れしない。ポール・トーマス・アンダーソン。まぎれもなく大物監督の誕生だろう。『マグノリア』ではいかにも、ロバート・アルトマンの亜流に見えたが。ダニエル・デイ=ルイス。やはり怪演としかいいようがない。好演、熱演という次元ではないだろう。独りで観るのがお勧め。後になって効いてくる。たぶん、アメリカ映画にとって、『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』以前と以後といわれるほどの重要な映画といわれるだろう。そのうち。
(敬称略)
追記
某掲示板で THERE WILL BE BLOOD の和訳を募ったら、聖書の「出エジプト記」の言葉ではないかという指摘をもらった。
エジプト全國において木石の器の中にすべて血あるにいたらん
http://wiki.answers.com/Q/Where_in_the_Bible_is_the_quote_there_will_be_blood
キリストの血となれば、カインとアベルのような兄弟の物語であるという上記はかんちがいにしかならないが、恥も身の内と晒しておきます(8月29日)
※コメント投稿者のブログIDはブログ作成者のみに通知されます