田端の駅を降りると、山手線と京浜東北線を越える陸橋がある。機関区がある田端駅だけに、何本もの引き込み線路があるおかげで、人車を通すこの跨線橋は幅広く、その舗道はタイル張りでアンティークなヨーロッパ風の街灯も立ち、ちょっとした小公園になっている。
この田端大橋を渡れば、東田端、田端新町、尾久から荒川に至る、かつては鋳物の川口から京浜工業地帯へ中継する機械商や零細の部品工場が蝟集した地域だったが、いまはミニ開発された住宅や低価格マンションが町工場に代わって密集している。戦時中の田端一帯は、下町の軍需工場群として執拗にB29の爆撃に晒されたため、戦前の古い建物はごく少ないが、まだ小店ばかりの商店街がそこここに残っている。また、動坂から本郷につながる田端には、明治以降、多くの芸術家が居を構えていた。
小杉放庵、正岡子規、室生犀星、芥川龍之介、平塚らいてう、サトウ・ハチロー、瀧井孝作、堀辰雄、萩原朔太郎、土屋文明、川口松太郎、浜田庄司、小林秀雄、中野重治などである。田端大橋から周辺に林立するマンションを意識して視界から消せば、荒川方面をいまでも見渡せる気がするほど、田端は高台にあり、丘であることがわかる。
田端大橋の舗道には、人造大理石のベンチがあり、そこに座って、前記の「田端文士村」の掲示板で見かけた未知の名前、小杉放庵とはどんな人かと思い巡らせたりして、遅い昼食のサンドイッチを摂っていた。車道とは高いフェンスで仕切られ、騒音や排気ガスは気にならない。このフェンスのおかげで冷たい冬の風も多少はしのげるし、晴天の午後だったから、それほど物好きというほどではなかったはずだが、ポットに熱いコーヒーこそ入れてきても、冷えたパンとレタスやハムは歯に沁みた。安売りのパスコ「超醇」だったせいか、パンの耳が固くて噛みにくい。
そんなとき、頭に腫瘍のようなコブがある鳩がこちらに向かってくるのに気がついた。その後ろから、片脚を失った鳩が、身体を傾け傾けやってくる。人間なら、踝までしかない脚を引きずっている。
食べあぐねて残していたパンの耳をふと千切って投げてみた。大変なことになった。それまで気にも止めなかったせいで見かけなかった鳩の群が、何10羽もが、血相を変えて俺に向かってきたのである。思わず、腰を浮かせたくらいの勢いだ。あわてて、パン耳を忙しく千切っては投げるのだがとても足りず、俺の足下に群がり、靴に乗ってくるは、靴下の部分を突くは、ヒチコックの『鳥』を想い出すくらい囲まれてしまった。手で払っても、足で蹴る真似をしても数歩下がるだけ。少し怖くなってきたので、千切ったパン耳を溜めては、遠くに投げるのだが、それも束の間、次を溜めている内に戻ってきて、赤く血走った眼で俺を睨むのだ。もうコブや片脚の鳩はどこのいるかわからない。大の男が鳩にいじめられている図が救われたのは、小学生たちの自転車一団が走り抜けたときだった。一斉に飛び立ったその機を逃さず、歩き出して、とある掲示板を目にした。こう書いてあった。
ハトにエサを与えることは、自然増以上にドバトが増えることにつながります。増加するドバトの被害により、東京都全体で毎年約3000羽以上のドバトが駆除されています。これ以上不幸なドバトを増やさないようにしましょう。
北区建設部道路課
「不幸なドバト」?
文士村があったことを誇りにしている田端にしては、不用意な言葉遣いじゃないか。ハトとドバトの区別、エサ、自然増、被害、駆除までの矛盾は、行政の文章だからしかたないとしても、「不幸なドバト」とはいったい何だ。眼を血走らせるほど飢えている鳩は不幸なのか。駆除されるドバトは不幸なのか。腫瘍のコブや片脚の鳩は不幸なのか。俺のパン耳で一時の飢えを満たした鳩は不幸なのか。あるいは幸福なのか。たしかに注意してみれば、人造大理石のベンチやタイル張りの舗道のあちこちに鳩の白い糞の跡を見かけた。服にかけられた人もいるだろうし、羽音と一緒に雑菌をまき散らす風に顔を顰める人もいるだろう。掃除する人の手間も増やしているだろう。施設や設備を浸食もするだろう。それを被害と呼ぶのは構わない。駆除することもしかたがない。そこまでは市民に呼びかける言葉として、賛同はできなくても理解はできる。
しかし、「不幸なドバトを増やさないようにしましょう」とは! もちろん、「不幸なドバト」という言葉遣いに至るにはそれなりの背景があったのかもしれない。「鳩が不快だ」という声とともに、「鳩に餌やって何が悪いっ」「可哀相」といった声への浅薄な反論なのかもしれない。ただ、「不幸なドバトを増やさないようにしましょう」の「不幸」の否応無さと「ドバト」は何にでも置換できることに、鳩の群に囲まれた以上の不安と不快を感じた。
鳩に餌をやるのは止めましょう。これ以上、不幸な鳩を増やさないためにも。
この田端大橋を渡れば、東田端、田端新町、尾久から荒川に至る、かつては鋳物の川口から京浜工業地帯へ中継する機械商や零細の部品工場が蝟集した地域だったが、いまはミニ開発された住宅や低価格マンションが町工場に代わって密集している。戦時中の田端一帯は、下町の軍需工場群として執拗にB29の爆撃に晒されたため、戦前の古い建物はごく少ないが、まだ小店ばかりの商店街がそこここに残っている。また、動坂から本郷につながる田端には、明治以降、多くの芸術家が居を構えていた。
小杉放庵、正岡子規、室生犀星、芥川龍之介、平塚らいてう、サトウ・ハチロー、瀧井孝作、堀辰雄、萩原朔太郎、土屋文明、川口松太郎、浜田庄司、小林秀雄、中野重治などである。田端大橋から周辺に林立するマンションを意識して視界から消せば、荒川方面をいまでも見渡せる気がするほど、田端は高台にあり、丘であることがわかる。
田端大橋の舗道には、人造大理石のベンチがあり、そこに座って、前記の「田端文士村」の掲示板で見かけた未知の名前、小杉放庵とはどんな人かと思い巡らせたりして、遅い昼食のサンドイッチを摂っていた。車道とは高いフェンスで仕切られ、騒音や排気ガスは気にならない。このフェンスのおかげで冷たい冬の風も多少はしのげるし、晴天の午後だったから、それほど物好きというほどではなかったはずだが、ポットに熱いコーヒーこそ入れてきても、冷えたパンとレタスやハムは歯に沁みた。安売りのパスコ「超醇」だったせいか、パンの耳が固くて噛みにくい。
そんなとき、頭に腫瘍のようなコブがある鳩がこちらに向かってくるのに気がついた。その後ろから、片脚を失った鳩が、身体を傾け傾けやってくる。人間なら、踝までしかない脚を引きずっている。
食べあぐねて残していたパンの耳をふと千切って投げてみた。大変なことになった。それまで気にも止めなかったせいで見かけなかった鳩の群が、何10羽もが、血相を変えて俺に向かってきたのである。思わず、腰を浮かせたくらいの勢いだ。あわてて、パン耳を忙しく千切っては投げるのだがとても足りず、俺の足下に群がり、靴に乗ってくるは、靴下の部分を突くは、ヒチコックの『鳥』を想い出すくらい囲まれてしまった。手で払っても、足で蹴る真似をしても数歩下がるだけ。少し怖くなってきたので、千切ったパン耳を溜めては、遠くに投げるのだが、それも束の間、次を溜めている内に戻ってきて、赤く血走った眼で俺を睨むのだ。もうコブや片脚の鳩はどこのいるかわからない。大の男が鳩にいじめられている図が救われたのは、小学生たちの自転車一団が走り抜けたときだった。一斉に飛び立ったその機を逃さず、歩き出して、とある掲示板を目にした。こう書いてあった。
ハトにエサを与えることは、自然増以上にドバトが増えることにつながります。増加するドバトの被害により、東京都全体で毎年約3000羽以上のドバトが駆除されています。これ以上不幸なドバトを増やさないようにしましょう。
北区建設部道路課
「不幸なドバト」?
文士村があったことを誇りにしている田端にしては、不用意な言葉遣いじゃないか。ハトとドバトの区別、エサ、自然増、被害、駆除までの矛盾は、行政の文章だからしかたないとしても、「不幸なドバト」とはいったい何だ。眼を血走らせるほど飢えている鳩は不幸なのか。駆除されるドバトは不幸なのか。腫瘍のコブや片脚の鳩は不幸なのか。俺のパン耳で一時の飢えを満たした鳩は不幸なのか。あるいは幸福なのか。たしかに注意してみれば、人造大理石のベンチやタイル張りの舗道のあちこちに鳩の白い糞の跡を見かけた。服にかけられた人もいるだろうし、羽音と一緒に雑菌をまき散らす風に顔を顰める人もいるだろう。掃除する人の手間も増やしているだろう。施設や設備を浸食もするだろう。それを被害と呼ぶのは構わない。駆除することもしかたがない。そこまでは市民に呼びかける言葉として、賛同はできなくても理解はできる。
しかし、「不幸なドバトを増やさないようにしましょう」とは! もちろん、「不幸なドバト」という言葉遣いに至るにはそれなりの背景があったのかもしれない。「鳩が不快だ」という声とともに、「鳩に餌やって何が悪いっ」「可哀相」といった声への浅薄な反論なのかもしれない。ただ、「不幸なドバトを増やさないようにしましょう」の「不幸」の否応無さと「ドバト」は何にでも置換できることに、鳩の群に囲まれた以上の不安と不快を感じた。
鳩に餌をやるのは止めましょう。これ以上、不幸な鳩を増やさないためにも。
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