20個買っても箱代含めて230円也。
http://trendy.nikkei.co.jp/special/index.aspx?i=20070315t2000t2
一口サイズの「茶饅頭」、和菓子屋では「利休」ともいい、俺の子供時代は「馬糞饅頭」と呼んでいた。フランチャイズ制なので、東京の下町でよく見かけるようになった。
下町にはいまでも、大福やいなり寿司などを置いた「伊勢屋」や「清月」といった和菓子店は残っているし、「今川焼き」や「たい焼き」の店もある。しかし、メディアの「下町ブーム」によって期待させるほど、たいていは美味くないのである。昔ながらの老人が造っているところが多いのをみると、俺たちの舌の方が肥えてしまったのかもしれない。
まだ町中に工場や会社があったときは、3時になると仕事の手を休め、誰かが近くの伊勢屋から団子を買ってきて、社員が四方山話に興じながら一服するということがよくあった。いまでは生産現場は中国に移り、3時に茶菓子が出るような緩い時間管理はなくなり、煙草を吸う人間は屋外の喫煙所に追いやられてしまう。「3時のお茶」という「美風」が廃れることによって、家庭でも「おやつ」がなくなっているようで、子どもたちは、コンビニで好き勝手に選んでいる。
かつて、日本がまだ「共和的貧乏」(@関川夏夫)だったころは、甘い物を手土産にすれば誰でも頬が弛び、話が弾んだものだった。電子メールや携帯はなかったが、人と人とのコミュニケーションはもっと容易かった。上司は部下に、部下は後輩に、後輩はさらに年下の者たちへ食事や菓子を振る舞うのが常だった。「ペイ・フォワード」という映画があったが、好意や善意は次へ後ろへバトンタッチされていた。「いい人」かどうかが、最優先で考慮され、最終的に下される評価だった。
TVのレポーターが頬張ってから眼を見開いて、「おいひー!」と叫ぶような「下町の味」はないと断言したいくらい、「下町の味」とは郷愁に過ぎない。やはり俺たちの味覚が贅沢に流れたということかもしれず、あるいは素朴な味に物足りなさを感じるほど味覚が鈍感になったのかもしれない。いずれにしろたしかなことは、それを食べる環境や情況はまるで違ってしまったということだろう。
不思議なことは、薄い木皮に乗ったコロッケや串に刺したおでんといった「下町の味」を実際は知らない世代の人も、それを懐かしむということだ。いまの若い世代のことをいっているのではない。俺が学生だった頃、「昭和一ケタ派」五木寛之のエッセイに登場する、戦後まもなくの貧乏学生が常食としたジャムを塗っただけのコッペパンや華やかといえるほどのメロンパンの甘さの話に、同様な懐かしさを感じたことがあるからだ。
とすれば、俺たちが懐かしんでいるのは「下町の味」ではなく、「共和的貧乏」の時代の記憶だといえるかもしれない。「美味かった」という味蕾の記憶の改竄が、時代の記憶の美化に通じているならば、あの国も人も、とくに若者が、きわめて貧しかった時代を後の若い世代が多幸感とともに想い出すというならば、いったいどうしてなのだろう。
尾久や町屋の商店街に残っている和菓子屋の茶饅頭や今川焼より、10円饅頭の方がずっと美味くて安い。フランチャイズ制とは、今日では本部が末端を搾取するシステムと理解されているが、本来は共和的なビジネスモデルだったはずだ。10円饅頭の繁盛は第二次共和的貧乏の時代を予感したものかもしれない。俺たちは過去の記憶を改竄するだけでなく、未来の記憶をも捏造する。改竄や捏造がされないのは、できないのは、現在だけである。
それがどうしたって?
だから、現在だけ、10円饅頭食っている、この今だけなんだよ。
http://trendy.nikkei.co.jp/special/index.aspx?i=20070315t2000t2
一口サイズの「茶饅頭」、和菓子屋では「利休」ともいい、俺の子供時代は「馬糞饅頭」と呼んでいた。フランチャイズ制なので、東京の下町でよく見かけるようになった。
下町にはいまでも、大福やいなり寿司などを置いた「伊勢屋」や「清月」といった和菓子店は残っているし、「今川焼き」や「たい焼き」の店もある。しかし、メディアの「下町ブーム」によって期待させるほど、たいていは美味くないのである。昔ながらの老人が造っているところが多いのをみると、俺たちの舌の方が肥えてしまったのかもしれない。
まだ町中に工場や会社があったときは、3時になると仕事の手を休め、誰かが近くの伊勢屋から団子を買ってきて、社員が四方山話に興じながら一服するということがよくあった。いまでは生産現場は中国に移り、3時に茶菓子が出るような緩い時間管理はなくなり、煙草を吸う人間は屋外の喫煙所に追いやられてしまう。「3時のお茶」という「美風」が廃れることによって、家庭でも「おやつ」がなくなっているようで、子どもたちは、コンビニで好き勝手に選んでいる。
かつて、日本がまだ「共和的貧乏」(@関川夏夫)だったころは、甘い物を手土産にすれば誰でも頬が弛び、話が弾んだものだった。電子メールや携帯はなかったが、人と人とのコミュニケーションはもっと容易かった。上司は部下に、部下は後輩に、後輩はさらに年下の者たちへ食事や菓子を振る舞うのが常だった。「ペイ・フォワード」という映画があったが、好意や善意は次へ後ろへバトンタッチされていた。「いい人」かどうかが、最優先で考慮され、最終的に下される評価だった。
TVのレポーターが頬張ってから眼を見開いて、「おいひー!」と叫ぶような「下町の味」はないと断言したいくらい、「下町の味」とは郷愁に過ぎない。やはり俺たちの味覚が贅沢に流れたということかもしれず、あるいは素朴な味に物足りなさを感じるほど味覚が鈍感になったのかもしれない。いずれにしろたしかなことは、それを食べる環境や情況はまるで違ってしまったということだろう。
不思議なことは、薄い木皮に乗ったコロッケや串に刺したおでんといった「下町の味」を実際は知らない世代の人も、それを懐かしむということだ。いまの若い世代のことをいっているのではない。俺が学生だった頃、「昭和一ケタ派」五木寛之のエッセイに登場する、戦後まもなくの貧乏学生が常食としたジャムを塗っただけのコッペパンや華やかといえるほどのメロンパンの甘さの話に、同様な懐かしさを感じたことがあるからだ。
とすれば、俺たちが懐かしんでいるのは「下町の味」ではなく、「共和的貧乏」の時代の記憶だといえるかもしれない。「美味かった」という味蕾の記憶の改竄が、時代の記憶の美化に通じているならば、あの国も人も、とくに若者が、きわめて貧しかった時代を後の若い世代が多幸感とともに想い出すというならば、いったいどうしてなのだろう。
尾久や町屋の商店街に残っている和菓子屋の茶饅頭や今川焼より、10円饅頭の方がずっと美味くて安い。フランチャイズ制とは、今日では本部が末端を搾取するシステムと理解されているが、本来は共和的なビジネスモデルだったはずだ。10円饅頭の繁盛は第二次共和的貧乏の時代を予感したものかもしれない。俺たちは過去の記憶を改竄するだけでなく、未来の記憶をも捏造する。改竄や捏造がされないのは、できないのは、現在だけである。
それがどうしたって?
だから、現在だけ、10円饅頭食っている、この今だけなんだよ。
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