「カティンの森」は、もっと長大なドキュメンタリタッチの作品かと思った。「
SHOAH ショア」のような。「イングロリアス・バスターズ」より、30分短い122分。実に、コンパクトに
「カティンの森事件」をまとめている。
あえていうが、これは娯楽映画である。ポーランド人はみな善良な美男と美女しか出てこず、ドイツ軍やソ連軍の兵士たちは、顔のない殺戮機械のように画面を横切るだけ。登場人物それぞれの一人称で語られたように、心象風景に添うカメラワークもわかりやすい。「カティンの森事件」という実際に起きた虐殺事件の映画化であり、監督がかの
アンジェイ・ワイダでなければ、そうした予備知識や情報のいっさいを知らない若者が観たら、通俗戦争映画かと思うような仕立てである。
主要な登場人物の一人である大尉の名前がアンジェイであるように、監督のアンジェイ・ワイダ自身の父がカティンの犠牲者の一人だった。ポーランドを代表する映画監督という名声に、遺族の一人という当事者性が重なり、何より「カティンの森事件」70周年に公開することに意義があったわけだから、あえて、わかりやすい「国民映画」にしたのだろう。実際、息を吐くのも意識するような緊迫感や暗鬱な空気感漂う告発映画というより、女たちの意志的な美しさが際立つ映画といえるだろう。少女から娘、中年、老女まで、ポーランド映画界の名花を一堂に観ることができる。
「カティンの森事件」の概要を解説し、史実と事実に基づいた遺族の悲嘆と苦痛を描きながらも、映画的リアリズムを追求した、優れた娯楽映画にもなっている。たとえば、コルジェスク捕虜収容所の集会の場面。ポーランド軍将校たちに向かって、同じく捕虜となった大将が、「君たちは、ポーランド再生に不可欠な人材である。生き延びてくれ」と諄々と語りかける。
暗く狭い収容所内にひしめきながら佇立して、大将を囲む後頭部の数々を上から下へ降りていくクレーンカメラ(視線)の臨場感。一人も生き残らず、証言者はいないはずだから、やはり幾分かは想像の助けを借りたはず、ではなく、膨大な取材の裏づけによって、迫真的に再現したと思える。大将の呼びかけに聞き入るポーランド軍将校たちは、すでに死体となっているかのように、身じろぎもせず静かだ。
終盤に置かれた虐殺の場面まで、夫や息子や父の帰りを待ちわびる妻や母や娘の日常が、ドイツ軍による告発から、ソ連による逆告発と宣伝、ポーランド政府の追従によって、どこにもぶつけようのない怒りと悲嘆が暗渠になっていく有様が描かれる。生きているのではないかと希望を抱き、死んでいると知らされるが、なぜどこでどのようにしてと尋ねれば、誰もが知っているのに、嘘の答えしか返ってこない。
泣くことも許されぬ絶望を抱えた女たちが描かれていく。実際、女たちにほとんど泣く場面はない。カチンの森で愛する兄を失った女の一人は、
ワルシャワ蜂起の生き残りでもある。「カチンの森で非業の死をとげた」と記した兄の墓碑すら、教会は後難を怖れて受け取りを拒否し、家族の墓に立てようとすれば、何者かに墓石を割られ、女は強制収容所行きを免れないことが暗示される。
ここで、女たちから母国を連想するのは、陳腐だろうか。残された女たちの絶望が、ポーランドという国(くに)の悲劇の戦後史に重なるのは、ワイダ監督の図式なのだろうか。いや、事実としても、ポーランドには、女しか残らなかったのである。カチンの森で発見されたポーランド軍将校の遺体は4,243体。その多くは職業軍人ではなく、徴兵に応じた弁護士や高校教師、操縦士、技術者たちだった。
コルジェスク捕虜収容所で大将が語りかけ、「カチンの森」に埋められたのは、ポーランド社会の中核をなす知識人層だったが、彼らだけが消えたのではなかった。戦後、家族のもとに帰ってきた兵士は、ポーランド軍将兵全体のわずか10%に過ぎず、ソ連の収容所から消えたポーランド軍将兵は、およそ25万人に上るという。父や息子、兄や弟、夫の多くは、帰らなかったのである。
「カチンの森事件」を映画化する場合、多くは残された女たちに聞き取りするしかなく、その女たちの視点で描くしかないのである。女性を主人公とするという「娯楽映画のセオリー」や女性視点から戦争や国家を見返すという「政治的な正しさ」とは無関係に、この映画はあらかじめ、娯楽映画のような通俗性の条件を備えていたのである。はからずも、とはとうてい思えない。
「カチンの森事件」から、70年を経て、なお、「カチンの森」は知られざるものだからだ。かつてナチスやソ連など全体主義国家が虐殺を行い、その隠蔽にポーランド政府は追従し、国際社会は無関心だった。ソ連崩壊後、事実は明るみに出て、70周年記念追悼式典に出席したロシアのプーチン大統領は、「犯罪であった」と認めた。ワイダ監督がそれに肯いたようには思えない。そこに謝罪や補償の言葉がなかったからではないだろう。
穴の縁に立たされたポーランド軍将校の眼前に広がる死体の列から、聖書の一節を唱える口許に切り替わり、後頭部に向けられた銃口に焦点が合わされ、その手から先の顔は見えない。断絶。すでに「虐殺」という呼称ですら人間的に過ぎ、屠殺がふさわしい流れ作業が行われていく。
いまも世界には「カチンの森」があり、そこに埋められるべき人間のために、深い穴が掘られている。アンジェイ・ワイダ監督は、そんな「わかりやすい映画」をつくって、私たちに観せたかったのだろうか。しかし、「カチンの森」の穴には、人間だけが埋められたわけではなかった。事実が、真実が埋められた穴でもあった。むしろ、大量虐殺以上に、事実や記憶の排除や抹殺について、その隠蔽と虚偽について、この映画の比重はかかっている。
実は、虐殺されたポーランド将校たちは、「カチンの森」に埋められたわけではなかった。埋められたのはソ連の名もなき森であったが、当初、この虐殺事件を告発したナチスドイツが、近くの覚えやすい「カチン」という地名に着目して、「カチンの森事件」と名づけた経緯がある。つまり、「カチンの森」などはどこにもなく、最初からつくられたものだったのである。
「カチンの森」に虐殺されたポーランド人が埋められた事実、それを隠蔽するため流された虚偽の事実、ポーランド人の多くがいずれの事実も知りながら、事実を追求することが許されなかった事実、その隠蔽と虚偽に抵抗し続けた人々がいた事実。ポーランドに限らず、世界のどこにでも起こりうる、起こっている、映像化が難しいそうした現実について、ワイダ監督はわかりやすい映画をつくった。カチンの森はどこにでもあると。
たしかに、「カチンの森」以降も、大量虐殺の事例は後を絶たない。観客の私たちにもその知識はある。ただし、「カチンの森」のような事実の隠蔽と虚偽については、その事実の隠蔽と虚偽が成功している限り、私たちには知りようがなく、したがって、わかりにくいはずだ。ポーランド国民の多くは、「カチンの森」について、その事実と虚偽について、虐殺の直後から、すでに知っていた。その前提があって、はじめてこの映画はわかりやすい。
映画「カチンの森」を観るとき、私たちはポーランド人になったような気になる。彼らに感情移入をする。映画を観終わったとき、私たちは日本人である。たいていの場合は。我慢していたトイレに立ち、お茶を入れて一服し、やはり、カチンの森はどこにでもある、と思えるだろうか。地図には記載されているが、そこには埋められていない死体を探して、名づけられない森を彷徨う気分になりはしないか。私は、なった。
*「カチンの森事件」70周年を記念する追悼式典に向かう大統領機が墜落して、大統領をはじめポーランド政府の中枢とされる人々が多数死んだ。
(敬称略)