コタツ評論

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女子バレー銅メダル、おめでとう!

2010-11-15 23:23:00 | ノンジャンル



32年ぶりのメダルだという。ニュース番組のハイライトシーンしか観ていないけれど、おめでとうをいいたい。前評判は高かったが、本当にベスト4入りをするとは思わなかった。少年時代にバレーボールの選手だったから、多少なりともわかるのだが、身体能力の点では、各国の強豪に劣るとも勝らないのに、鍛え抜かれた技術とチームワークで勝ち進んだのは驚異の一言に尽きる。バレーボールチームは、ラグビーのチームに似て、不断に積み上げた練習以上の成果を試合で出すのは、至難のことである。とくにスーパーレシーブから、トス、スパイクへつなげる流れは、これまで男女を問わぬバレーボールの歴史としても、最高の完成度ではないか。このチームにおいては、「よく拾いました!」「よくつなげました!」「よく打ちましたねえ!」ではなく、ボールとコートの床面に、手の甲が入る数センチの空間があれば、「拾って上げて打つ」が当然の流れにしている。どこの国のチームも、厳しく精密な練習は当たり前だから、よほど考え抜かれた濃い練習がなされたのだろう。46年前の東京オリンピックで金メダルを取った女子バレーチームを思い出した。最近の若い娘も、昔の娘と変わらないのである。若者は、けっして、劣化していない。それでも、あきらかに、日本が、社会が、劣化して見えるとすれば、その「直接的」な責任は、中年と老人が負うべきだろう、若者ではなく。

アントニオ・バンデラス

2010-11-15 00:37:00 | レンタルDVD映画
いま、TUTAYAでは、旧作をジャンル分けしたランキング企画が、新作コーナーまで出張っている。それほど、ハリウッドの新作に魅力が乏しく、「売れない」ということなのだろう。それでも、新作や準新作コーナーの目立たぬ下段や最上段の棚に、2~3本しか入荷されず背表紙で並べられた中から、わるくない作品を見つくろうのも、それはそれで楽しみのひとつである。私の目安は、俳優である。好きな、気になる、俳優の出演作を探す。ならば多少、映画の出来がわるくとも、そう腹は立たない。



で、今回は、アントニオ・バンデラス。マッチョでセクシーな役柄が多いハリウッドスターの一人だが、いわゆるラテンアメリカ系ではなく、もともとはスペインはマラガ出身のヨーロッパ俳優。中年から初老にさしかかり、マッチョでセクシーというハリウッドでは粗野と紙一重の役柄をこなすのに、無理がかってきたせいか、本来の繊細で陰のあるヨーロッパ俳優の味が復活したのが、「アザーマン ―もう一人の男」。

リーアム・ニーソンと共演したイギリス映画だが、アントニオ・バンデラス、別人のように、キュートなのである。がさつに見えるほど男臭いリーアム・ニーソンの妻を盗むだけあって、ちょっと貧相なほど小柄で華奢なところが、対照的に哀愁を漂わせて、リーアム・ニーソンの出番なし。

かつての名画、デビッド・リーンの「旅情(1955)」、デシーカの「終着駅(1953)」を下敷きにしたと思わせるイタリア・ミラノが舞台。ところが、「旅情」のキャサリン・ヘップバーンとロッサノ・ブラッツィや、「終着駅」のジェニファー・ジョーンズ とモンゴメリー・クリフトのような、アントニオ・バンデラスと人妻(ローラ・リニー)のツーショットの場面は、ほとんどない。ラブシーンがないのに、不倫男の存在感を際立たせたのは、アントニオ・バンデラスの手柄であり、この映画の重要なモチーフとなっている。



もう1本は、モーガン・フリーマンと組んだ泥棒映画、「ザ・エッグ ロマノフの秘宝を狙え」。ロマノフ家の秘宝をロシアマフィアから奪えるか、ハラハラドキドキ、どんでん返しのアクション活劇なのだが、やはりアントニオ・バンデラス、堂々たるモーガン・フリーマンに圧倒されながら、女がからむと「マッチョでセクシー」とは正反対の生彩を発揮する。はにかみそらす視線、気弱で寂しそうな横顔、女の笑みを引き出そうとする切実な微笑み。

ハンサムではあるが、もう若くはなく、力強くもなく、知性と教養が溢れているというのでもなく、そう金があるわけでもない、ありふれた中年男が、なんとか女の真意をつかみ、その心を得たいと、ときに苛立ち、しょげ返り、気にしない振りをしようとする。そんなキャラクターなら、アントニオ・バンデラスがいま旬である。



(敬称略)

車輪の下

2010-11-11 23:12:00 | 詩文
補助輪の自転車が踏む欅の葉

[言葉の綾]掲示板より転載(S 11/08)



俳句や短歌については、まったく知らないのに、僭越ながら感想を述べてみたいと思いました。

ケヤキの落ち葉を踏む音が聴こえます。自転車の車輪が踏んでいく音です。その自転車には補助輪がついています。以前は、小さな子どもを乗せていた自転車だからです。もしかすると、後ろの荷台だけでなく、前にも乗せて、母子3人、買い物へ行ったり、幼稚園に送り迎えするために使っていた自転車かもしれません。

そう、過去形です。いまはもう、子どもは成長して、一緒に自転車に乗ることはない。それぞれが別の自転車に乗っています。ですから、このお母さんの自転車は軽くなっている。家事や時間に追われて、懸命にペダルを踏み込んでいた頃からみれば、ずっと気持ちに余裕があります。だから、ケヤキの落ち葉を踏む音が聴こえるのです。

子どもと一緒に乗っていたときは、まず子どもの声を聴いていました。子どもが話しかけるのに、耳を集中させていました。「あのね」「な~に」「それでね」「うんうん」「聴いてる?」「聴いてるよ~」。その秋も、自転車のタイヤはケヤキの葉を巻いて進んでいました。

下からのカシャカシャたてる音ををもちろん聴いてはいたのですが、眼は前方に注ぎ、耳は後方にそばだて、脚は踏ん張らねばならず、全方位にとても忙しかった。そのときのケヤキの葉を踏んでいく重い音とこの軽い音は違うと、いまあらためて知ったのです。

それはそうです。以前は、母子の体重がかかった前論と後輪、補助輪と合計4輪のタイヤが、茶色いケヤキの落ち葉を重く踏みしめていたのです。いまは、補助輪にはほとんど重みがかかっていません。ときに接地していないかのようです。つまり、時を隔てて、同時に落ち葉を踏む進む音を聴いているわけです。

子どもは成長し、自分も以前のような体力は失われたように思える。車輪の下から、規則正しくカシャカシャと上がる音に、この一年の、ここ幾とせかの、時の移り変わりを感じているのです。車輪のスポークのように、規則正しく時間は銀色に回り、景色は行き過ぎていきます。

いうまでもなく、道路に敷きつめられたケヤキの絨毯と木々の紅葉は眼に入ってきます。しかし、これはすぐれて聴こえる詩です。ときどき空回りする補助輪の音も聴こえます。

真に偉大な西条八十

2010-11-09 03:31:00 | 詩文
大阪と大阪人を歌った歌詞のなかでは、これが絶品ですね。大阪の「わが心のジョージア」といえます。作詞した西条八十は、まったく大阪と関係ないのですが。

王将 作詞 西条 八十 作曲 船村 徹

吹けば飛ぶよな将棋の駒に 賭けた命を 笑わばわらえ
うまれ浪速の 八百八橋 月も知ってる 俺らの意気地

あの手この手の 試案を胸に やぶれ長屋で 今年も暮れた
愚痴も言わずに 女房の小春 つくる笑顔がいじらしい

明日は東京に 出て行くからは 何が何でも勝たねばならぬ
空に灯がつく 通天閣に おれの闘志が また燃える


島津亜矢の「王将」(http://www.videosurf.com/video/-66820957)もいいのだが、ついでに、「無法松の一生 度胸千両入り」。ドライブ感横溢しています。この歌は暴力団関係の方々の前では、けっして歌ってはいけません。親分以外には、歌ってはならぬ禁歌です。

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無法松の一生



愛国心とは鳴らす者の最後の取手

2010-11-09 02:19:00 | ノンジャンル
悪魔の辞典』でアンブローズ・ビアスが引用したサミュエル・ジョンソンの警句として知られる原文は、Patriotism is the last resort of a scoundrel らしい。

 愛国心とは、ならず者の最後の砦である。
 愛国心とは、ならず者の最後の避難所である。


いずれかの訳で紹介されることが多いが、砦や避難所と訳された元の英語が、resortだったとは知らなかった。そうか、一部の人にとって愛国心とは、モルジブやセイシェルみたいなものだったのか。それでああも陶酔できるのかとようやくわかった。幸福感に浸っているところを水を差してすまなかった。ついでに、取手市民にもすまない。で、コタツ訳は、以下となる。

 愛国心とは、ならず者に残された最後のリゾートである。

しかし、「ならず者」がいまいちだな。そう呼ばれて、かえって強がり得意がるかもしれない。「カサブランカ」のボガードを気取るように(なわけないか)。何かうまい表現がないものか。

もちろん、以下の記述も、正しいとする根拠はない。しかし、バランスのとれた筆致から、信頼できそうだと判断するのも、リテラシーというものだ。新聞や週刊誌が書いているから、TVで放映しているから、まったくのウソはあり得ないだろう。それはコンスピラシーというものだ。

どうしても海上保安官を「殺したい」愛国者たち
http://blog.zaq.ne.jp/blueocean/article/719/