コタツ評論

あなたが観ない映画 あなたが読まない本 あなたが聴かない音楽 あなたの知らないダイアローグ

知ってた?

2014-02-18 01:55:00 | 政治
知ってた。

国連が衝撃発表!国連「日本の最低賃金は先進国最低。生存基準を下回っている」
http://ameblo.jp/sekainosyoutai/entry-11750685125.html

だから、韓国や中国の動向に目を逸らさなければいけないの。サムソン栄えて国滅ぶ韓国や政治局中央委員候補ですら兆円の不正蓄財ができる中国が、そんな国内の深刻な矛盾や腐敗から国民の目を逸らすために、反日を扇動しているように、僕たちも原発や税金や賃金などより、韓国や中国の反日を注視して静かな怒りを抱かなければいけないの。現状打破の希望は戦争しかないと僕たちが思えるその日まで。つまり、安倍政権の日本は、韓国や北朝鮮や中国のパロディなの。

知ってた?

Youtubeはなし。
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今夜は、バイミ~ビスタシェ~ン♪

2014-02-17 21:36:00 | 音楽
誰でもどこかで聴いた覚えがあるはずです。"Bei mir bist du schoen" 「素敵なあなた」という邦題がついています。

Andrews Sisters


1938年、この歌を大ヒットさせたアンドリュー・シスターズです。1938年(昭和13)はナチスドイツがオーストリアを併合し、日本は国家総動員法を発令、重慶爆撃を行なって、第二次世界大戦へまっしぐらに進んでいました。「エクスプレェイン(explain)」の歌詞が聴きとれるでしょうが、「どうか素敵なあなたのことを私に説明させて」というたわいない歌がアメリカでは歌われていたわけです。

マックス・ラーベとパラスト(宮殿の意)オーケストラです。この1920~1930年の歌と演奏スタイルで、ドイツでは大変な人気を誇っているそうです。ナチ政権下で、「退廃音楽」と烙印をおされて追放された、耽美でエロでゲイなパフォーマンスを再現する狙いでしょう。

Palast Orchester Max Raabe


ライザ・ミネリの「キャバレー」を思い出しますね。もちろん、来日公演もしていて、日本発売のCDには、ボーナストラックとして、「野球小僧」と「夜来香」などの古い歌を入れているそうです。徹底していますね。

ケビンがすばらしく楽しくかっこよいですね。スペインはバロセルナから以外は不明です。ケビンの開けっぴろげの陽気さはアメリカ人にみえます。

Kevin & Carla


アンドリュー・シスターズのジャズアレンジで大ヒットしましたから、ジャズナンバーとして、世界中のデキシーやスイングバンドが演奏しています。この「熱いイワシ(The Hot Sardines)」バンドはニューヨークが根拠地のようです。クラリネットが入ると、俄然、ジューイッシュジャズになります。

The Music Playground Presents The Hot Sardines


もともとはユダヤ系のイデッシュ語ミュージカルの挿入歌で、「Bei mir bist du schoen(英語表記)」はイデッシュ語なわけです。イデッシュバージョンもありますが、なにせ、イデッシュ・ツイスト・オーケストラですから、かなりでたらめと思いきや、やっぱり歌い手は下品でした。

Yiddish Twist Orchestra - Bei Mir Bistu Shay


過去の動画風ですが、現代のバンドです。ポンチャクの李博士を思わせますね。変な帽子をかぶっているところも。

次はジプシースイングジャズバンドらしいのですが、ヴォーカルが小粋に歌っています。ユダヤ系の音楽はジプシー系にも近いのでぴったりはまりますね。

Jonny Hepbir Trio with Sara Oschlag - Gypsy Swing Jazz Band Hire UK


最後に。
オーストラリアのユダヤ系フォークシンガーが亡き祖父母を偲び、この歌を捧げました。古いアルバムの写真から、おたがいを "To Me You're Beautiful"(英語タイトル)と眩しげにみつめていた、祖父母の若き日々をひとつのラブストーリーに構成しています。絵に描いたような美男美女です。祖父が亡くなったのは昨年だそうです。

Recorded by Ange Takats


(敬称略)
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今夜はイン・マイ・ライフ

2014-02-16 11:40:00 | 音楽
都知事選は舛添が勝利したというより、細川と宇都宮が敗北した選挙でした。細川護煕の敗戦の弁。

原発が争点に取り上げられなかった。原発を争点にさせまいとする力が働いていた。

このマスコミ批判の敗戦の弁より、「大雪とソチ五輪のテレビ放送の影響で、投票率が下がり、無党派層を取り込めなかった」(細川選対)をマスコミの多くは採用しました。

そのソチ五輪の男子フィギアで金メダルに輝いた羽生結弦(19)の陰にも、敗者の言葉がありました。かつて「フィギアの皇帝」と呼ばれ、羽生のヒーローだったエフゲニー・プルシェンコ(31)は、ショートプログラム出場を前に、腰痛を訴えて棄権しました。

今日(13日)の朝、練習したけどうまくジャンプできなかった。それでも最後まで頑張ってみた。奇跡が起こるとも考えた。トリプルアクセルはうまく着氷できなかった。着氷したとき、右足の感触がなかった。障害者になりたくない。それで交代を決めたんだ。ファンに謝りたい。そして、私のことを信じてくれた全ての人に謝りたい。


「謝りたい」が悲痛です。若く伸び盛りのコフトゥンの出場枠を奪いながら、「ふがいない!」とロシア国内では批判されています。下は、羽生の金メダルを称えるプルシェンコのツイッター、ではありません。日時に注目。
ついでに、ユダヤ祝歌の Hava Nagila で踊る1999年のプルシェンコ

羽生と最後まで競い、やはりカナダ初のフィギア金メダルにあと一歩及ばなかった、世界フィギュアスケート選手権3連覇の「フィギアの王者」パトリック・チャンの敗戦の弁です。

集中しようとしたが、細かいミスをいくつもしてしまった。フィギュアスケートは難しい。がっかりしているが人生は続いていく。(スノーボード男子ハーフパイプの第一人者)ショーン・ホワイトでさえミスをするのだから

というわけで、今夜は、イン・マイ・ライフ(in my life)を。まずは、おなじみ、keiさん訳詞のビートルズから。

in my life 訳詞付 Beatles


ワイキキでジェイク・シマブクロが演奏しています。

ジェイク・シマブクロ IN MY LIFE   DFS WAIKIKI


フランク・シナトラの歌唱で有名なスタンダードナンバーのフォー・ワンス・イン・マイ・ライフ ”For once in my life ”です。今夜はトウ麗君で。

テレサ・テン Teresa Teng 1977 新橋コンサート For once in my life


日本で、in my life といえば、ビートルズでもシナトラでもなく、前野曜子のこの歌です。

蘇える金狼のテーマ Changes in my life 前野曜子

(敬称略)
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今夜はマイ・フェバリット・シングス

2014-02-14 20:56:00 | 音楽
そうだ 京都へ行こう」の曲です。

Julie Andrews


恥ずかしながら、映画「サウンド・オブ・ミュージック」を観ていません。ジュリー・アンドリュース! じつにチャーミングなショーガールぶりですね。

Brad Mehldau solo


ブラッド・メルドーです。なかなか主旋律に入らないと、もったいつけやがってと舌打ちしたくなることがありますが、これは惜しんでいますね。ずっと入りたくないって感じ。あるいはメロディを先取しているって感じ。

4sleepers(福島弁バージョン)


福島にからめたキワモノじゃないですよ(佐村河内某を叩くなら、いっそフクシマがらみのゲテモノ曲もすべてを破棄してほしいもんだ)。英語歌詞で歌うところでわかるはず。でも、「まつげと鼻っぽサねっぱる雪ヨ ♪」には沁みましたね。こんな雪の日は。

John Coltrane Quintet with Eric Dolphy - My Favorite Things (1961)


ジュリー・アンドリュースの歌と並んで有名なジョン・コルトレーンの演奏です。この曲には、コルトレーンだけが吹いている、いくつものバージョンがありますが、このエリック・ドルフィーが入った2サックス + フルートのセッションに、より魅入られるのは私だけではないはず。

Eric Dolphy (flute & alto saxophone)
John Coltrane (tenor & soprano saxophone)
McCoy Tyner (piano)
Jimmy Garrison (double bass)
Elvin Jones (drums).


(敬称略)
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不覚にもパンツに驚いた

2014-02-12 23:08:00 | レンタルDVD映画
「愛か罪か」とか「愛の絆」とか、宣伝惹句は愛に寄り切ろうとしているが、「さよなら渓谷」は復習の映画だった。もとい、復習ではなく復讐である。ま、どちらでもかまわないのだが。

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というのは、「嘆きのピエタ」と「悪いやつら」と韓国の復讐映画を続けて観たところに、この「さよなら渓谷」でもまた、レイプされた女性の屈折した復讐心がモチーフに描かれていたおかげで、はからずも韓国復讐映画の復習になったからだ。

いや、韓国映画では、復讐はモチーフというより直截なテーマだった。とくに、「嘆きのピエタ」は、借金取りに自殺に追い込まれた息子の仇を母親がうつため、借金取りの生き別れた母親になりすます残酷寓話的な復讐譚だった。「悪いやつら」は、コネと汚職の韓国社会に、血縁をテコに贈賄を重ねて「悪人」ながら上昇し、うだつの上がらなかった人生と社会に復讐する元税関職員のピカレスクロマンだ。

一方、「さよなら渓谷」では、復讐はモチーフであり、赦しがテーマのはずだ。観客は、いつどのようにして、レイプされたかなこ(真木よう子)はレイプした尾崎(大西信満)を赦すのか。それを注視するように、この映画は作られている。結局、赦さないという赦しをかなこに与えられた尾崎はそれを受け入れ、行方を告げずに出ていったかなこを、「どこにいようと探し出す」と週刊誌記者・渡辺(大森南朋)に決意を告げて終わる。

もちろん、先にふれた韓国映画に赦しがないわけではない。ただ、「ピエタ」の場合、そのタイトル通り、赦しは神話伝説レベル。人類すべての救済がなければ、一人の赦しもないほどだ。「悪い」では、法治とすら癒着する血縁社会に復讐したつもりの「悪人」もまた、ほんとうに心が通い合った血族から復讐を受けるという結末に赦しが待っていた。くらべて、「さよなら渓谷」では、復讐も贖罪もただ二人の男女のみに終始する。

誤解をおそれずにいえば、韓国の復讐映画は、韓国社会の後進性を入り口にしている。「ピエタ」の場合、映画表現としても、後進性を露呈していると思える。よくいえば、シンプルな寓話なのだが、わるくいえば稚拙で洗練を欠く。しかし、作品としてはプリミティブな力強さが横溢している。傑作という評も頷けるが、宗教的な西欧への受け狙いがうかがえ、そこに映画パッケージとしての後進性をみてしまう。

「悪い」は、韓国社会の後進性そのものがモチーフでありテーマだ。が、自らの社会の後進性を指摘できるのは、成熟の証でもある。反日さえも、後進性のひとつに数え上げた場面があった。後に「悪人」となるきっかけは、税関職員のときに、密輸された覚醒剤を横取りしたことからだった。怖じ気づく同僚を主人公(チェ・ミンシク)はヤクザに売って金にしようとかき口説く。「日本に覚醒剤売って何が悪い! 日本の植民地時代が何年続いたか知っているか? 36年だ、36年だぞ!」と云うのだ。

そんな人間の業や社会の不条理ではなく、どこまでもいつまでも男女の対幻想に拠る「さよなら渓谷」の地平は、韓国映画からはみることができないものだ。もちろん、それを日本の先進性というつもりは毛頭ない。ただ、日本的な成熟のひとつの達成だと思うのだ。

吉田修一の原作を読んでいないが、たぶん、「さよなら渓谷」の主人公は、かなこや尾崎ではなく、渡辺だと思う。映画においても、主演は大森南朋だと思う。予告編や映画を観た人の多くは、即座に否定するだろうが。

シャーロック・ホームズでもあるまいし、そんなにたちどころに何かを見抜けるものか、はじめて会った人間にそうペラペラ喋る奴がいるものか。ジャーナリストや記者、あるいは刑事でもいいが、彼らが映画やドラマに登場する度に、ありえないご都合主義だらけに苦笑を抑えられない。

その彼らがたいていは、物語の筋や事件の動機などを観客に説明したり示唆する「狂言まわし」という役どころなので、興ざめすること倍増となる。TVの2時間ドラマなら、そんな記者や刑事が登場すれば、べつにナレーション役も兼ねているのだなと諦めるが、映画でそれをやられちゃかなわない。

かつて社会人ラグビー選手として鳴らしながら、怪我をして挫折した週刊誌記者・渡辺(大森南朋)は、そんな扱いではない。同僚の若く優秀な女性記者(鈴木杏)に原稿を押しつけたり、チェックを頼んだり、要領はわるくないが、上司に「ちゃんと仕事をやれよ!」と怒鳴られたりする。ごくふつうに無能で怠け者なのだ。

おまけに、不仲の妻に苛立つ毎日、セックスを拒まれて怒鳴り、深夜、洗面所の鏡に映した、たるんだ身体に愕然としたりしている。元ラグビー選手どころか、小学校の運動会の父兄パン食い競争さえ出場が危ぶまれる、だらしなく緩んだ裸体がさらされたとき、主人公であり主演男優はこの渡辺・大森南朋だと直感した。

ほとんど寡黙を通す尾崎に代わって、いや尾崎こそが渡辺の投影なのだと了解したわけだ。映画の身体性の観点からは、哀しく華奢なかなこ・真木よう子の裸体以外には、男の裸体は渡辺・大森南朋だけだからだ。おいおい、かなこと尾崎が睦み合う場面で、何度も大西信満のたくましい裸体が登場したよという声も出るだろう。

いや、尾崎・大西信満はかなこに追いすがり、就いて歩き、かなこを前に立ち尽くし、かなこを組み敷く身体であり、奥多摩の渓谷を足許を見ることなく歩ける強健な身体だ。けっして哀しくはない身体だ。

裸体といえば、真木よう子のパンツが現れたときは、ちょっと驚いた。奥多摩渓谷が近い安アパートの部屋で、かなこと尾崎がからみあう場面だった。裸の上半身から下にカメラが下がると、ダイソーに100円で売っているような白い木綿パンツに覆われた尻が大写しにされた。

かなこが上にかぶさり、かなこの脚の間に尾崎のすね毛の足が割って入っている。かなこの白パンツから太もも、3脚がもどかしげに動く。こんな撮り方ははじめて観た。裸の男女のからみなんて、手足がもう一本でも増えないかぎり、どう見せられても食傷気味と思っていたが、まだまだ工夫のしようがあるものだと感心した。

美しい場面もあった。たとえば、かなこが椅子に座って窓辺を眺めている。射しこむ西日に光る埃は、春の野に舞うキンポウゲに似て、浮かんで泳ぐように漂う。穏やかで安らぎに満ちた美しい時間を切り取っていた。すぐ次の場面で、かなこは受話器を取って、尾崎を警察に通報するのだが。

政治性がまったくないわけではない。かなこと再会する前、野球部を退部して大学も中退した尾崎が先輩に拾われて証券マンとなり、かつての大学の後輩を接待している場面。裕福な家の後輩は株を2000万円買ってくれたのだった。はべらせたクラブホステスたちに後輩(新井浩文)は聞こえよがしに話す。

「あの人さあ、昔、女の子をレイプしちゃってさあ、俺も巻き込まれてひどい目にあったんだよお」と酒の肴にして笑うのだ。「どこの国にも慰安婦はいた。日本だけが悪いわけじゃない」と云った橋下徹や籾井勝人に、このレイプ共犯の後輩はどこか重ならないだろうか。

「衝撃のラスト」がある。衝撃はなかったが、尾崎・大西信満がなぜ沈黙を守ってきたか、それが明かされる。ライティングが決まった見事なショットだった。

俳優はみな好演。真木よう子はすばらしい表現力だった。代表作を持つ幸せな女優はめったにいない。大西信満ははじめて知ったが、沈黙に耐える姿勢が強くて、弱々しい真木よう子をより際立たせていた。助演男優賞ものだ。大森南朋、いうことなし。鈴木杏もいい。鶴田真由もちょい役ながら、はまっていた。ほかには、刑事役の木下ほうかが絶品。

長々とおつきあい下さいましてありがとうございました。最後に、エンディングテーマ曲「幸先坂」を。


作詞作曲は椎名林檎、雰囲気のある声ですね。

(敬称略)


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