今日のワークショップは、かぜのすけのファシリテーションのもと「しゃべらない」で70分を過ごすことでした。
私は主催者でもあるわけで、最初は「みんなのようすをみているほうがいいのかなぁ」なんて思ったりしていたのですが…。
いろいろ用意されているものが気になりはじめ、小枝を手に取ってみました。するとよくしなるので、「かごでもつくれるかな」と思い始めました。やってみるとポキッと折れる。折れるとよい香りがする。「ありゃ~?、香りのする小さいオブジェみたいなものをつくって、へやにつるしたらどうかな?」
気がついたら、夢中になっていました。
一段落したところで、「あと何分かなあ」と思ったのですが、時計を見るのはこらえて「次は何をしようかな」。紙でハートを折りました。ハートが白では味気ないので、クレヨンで色塗り。これがまた、夢中になりました。
こうして夢中になっているうちに、70分があっという間に過ぎました。とても豊かな時間が持てた気がしました。
なぜ日常にこういう時間がなかなか持てないのでしょう。しゃべらない時間はあるのに。
「 」に書いたことは、「しゃべらない」という制約がなければ、独り言として出たであろうことばです。「しゃべらない」を意識するのは苦痛かと思っていたのですが、まったくそうではありませんでした。良い刺激(もの、ひと)があったからでしょうか。
私は主催者でもあるわけで、最初は「みんなのようすをみているほうがいいのかなぁ」なんて思ったりしていたのですが…。
いろいろ用意されているものが気になりはじめ、小枝を手に取ってみました。するとよくしなるので、「かごでもつくれるかな」と思い始めました。やってみるとポキッと折れる。折れるとよい香りがする。「ありゃ~?、香りのする小さいオブジェみたいなものをつくって、へやにつるしたらどうかな?」
気がついたら、夢中になっていました。
一段落したところで、「あと何分かなあ」と思ったのですが、時計を見るのはこらえて「次は何をしようかな」。紙でハートを折りました。ハートが白では味気ないので、クレヨンで色塗り。これがまた、夢中になりました。
こうして夢中になっているうちに、70分があっという間に過ぎました。とても豊かな時間が持てた気がしました。
なぜ日常にこういう時間がなかなか持てないのでしょう。しゃべらない時間はあるのに。
「 」に書いたことは、「しゃべらない」という制約がなければ、独り言として出たであろうことばです。「しゃべらない」を意識するのは苦痛かと思っていたのですが、まったくそうではありませんでした。良い刺激(もの、ひと)があったからでしょうか。