ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

道徳 落語「一文笛」より

2018-06-14 13:14:53 | 授業・教育
今日の応用ドラマ教育論の授業、教室へ行ったら誰もいないのであせった。
JRの電車が遅れたらしい。

荒木紀幸編著『新モラルジレンマ 教材と授業展開』より、一文笛の教材を使って道徳の授業をしてみました。

上記の本の指導案では、まず教材のあらすじを知り、ビデオやCDで落語「一文笛」の後半を聴かせる。
主発問は、「スリの秀が医者から財布を盗んで子どもを入院させようとしたことをどう思うか。またどうしてそう思うのか」です。

けれど、落語の中で兄貴分も「命には代えられない」「よくやった」という感じなので、これを聞いてからどう思うかと言われても、そりゃ「命は大事」になるでしょう。

それでは議論が深まらないと思い、落語を読む前に「出ていけ」と言ったばかりに井戸に身を投げた子どもの父親について考えました。
子どもの命を助けるために、盗みをするべきか、するべきではないか。

まず最初の判断をしました。

次に、父親役と母親役になってロールプレイ。

母親は「あなたのせいで」と追い詰める。
お金を工面するあてはない。
父親は盗むしかないと思う。

次に、盗んで父親が捕まったら、どうなるかを考えました。
子どもは盗人の子になる。盗んだお金で助かったとうしろ指さされる。一家の家計がやっていけなくなる。ちりぢりになる。

盗まなかったら、どうなるかも考えました。
子どもの命は助からない。

医者に訴えてみる必要があるのでは、という意見も出ました。
盗んだお金で命が助かっても、そのあとの生活の悲惨さを考えると、何度でも医者に訴えるということもやってみる必要はあると。

そして、3ページあるうちの2ページまで落語を読みました。
この段階で、秀が医者から財布をするということについて。

盗みをする。
子どもの命は助かるし、他人の秀なら子どもがうしろ指さされることもないのでは。

盗まないで、自分が笛をとったと正直に言えば、周りの同情が子どもに集まる。

指を落としたので、掏っても成功しない。
成功するなら、やっても良いかも。

ここで、残りの1ページを読みました。

スリは成功。「めでたしめでたし」となっているのですが、

もしスリをやってもよいなら、自分が秀ならどういう条件の時にやるのか。
自分が原因になっているからなのか。
自分の子どもだったら、自分の親だったら。
他人だったら。

いろいろ考えると、命がいくら大事でも、知らない人のために盗んででもお金を工面するということはしないだろう。

ここで、新幹線の中で切りつけられて亡くなった人に話が及びました。
止めに入ったために、殺されてしまった。
彼がいなければ、もっと惨事になっていたかもしれない。

実際、その場に置かれたとき、自分はどう判断し、どう行動するのか。
本当のところは、そうなってみないと分からない。

ただ、人生の大事な時に、ちゃんと自分で判断したい。

授業のふりかえりで、結論を一人ひとりにゆだねて教師が答を出さないのが良かったという話になりました。
安易な答えより、深く考えてみることが道徳授業の大切なことではないでしょうか。
コメント
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