ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

教育サポーター学生の役割

2019-01-17 10:00:33 | 授業・教育
理科教育研究は教育サポーター(ES)がついてくれます。

ESとは、若干のアルバイト料をもらいながら授業をサポートしてくれる学生のことです。
ESをするにはその授業を受けたことがある学生という規定があります。大学院生はなれません。
教師側が単にアルバイトとして使うのでなく、ESの学びにもなるようにという制度です。

今回(今年度後期)ESのキスケと話す機会があり、ESをすることでどのような学びがあったか、聞いてみました。

1.一度学んだことを学び直すことで深まる。
それはその通りだと思います。かつての受講者としていつ発言をふられるか分からないという緊張が良かったと言っていました。

2.学習者であると同時に、授業者側に立つので、そのずれに気付ける
「ここはもうちょっと丁寧に説明してほしい」ということや、「こういうふうにしたほうが分かりやすい」ということが見えてくる。
そういうふうに見えてきたことを言ってもらえるのは、とても役に立ちます。
また、教師になったとき、学習者と授業者のずれを探るという視点をもつということはとても大切ではないかと思います。

3.授業をさせてもらったことで、授業観が深まった。
学習計画を立ててそれを指導案として書けるようにする授業なので、ESには自分で指導案を書いてもらって、それに基づいて授業をしてもらっています。
一例として、彼は物理科学科で物理が得意なのですが、模擬授業は化学分野を選びました。準備の時、指導案の教材観に「原子・分子という観点がない」ということを指摘したら、物理でしか考えていない自分に気づいたと言っていました。
教材観を学生が考えるのはかなり難しいです。私はこのことで、学生の所属学科にも気を配る必要があることに改めて気づくことができました。

ESになれる学生は、ほんとうに一握り。こちらは、教師になりたいという熱意のある人にお願いします。「選んでもらって、本当に良かった。ありがとうございました」と言われました。

こちら側からいうと、資料の配布・回収、実験の準備・後片付けといった単純なことから、ディスカッションの活性化、ときには授業計画の変更の相談まで、とても助かる存在です。

特に、ディスカッションに関しては、同じ回生の学生だけになると、多様な観点からの問や発言が少なく、ESがいることで深まることが多々あります。

最後にキスケ曰く。「受講生が多いか少ないかで授業の質が変わるのは、不公平ですよ」

そんなことを言われても…。

確かに、今回は7名という少人数で、とても深まったのは事実。
でも、やはりキスケも含めて、このメンバーだったからということもあります。
キスケのクラスだって、11人で決して多くはなかった。

私は、この授業では資料をあらかじめ渡しておいて、それに対する質問から授業を始めることが多いのですが、キスケのクラスは活発に質問が出るクラスでした。

そして、活発なディスカッションをしていました。
そのおかげで、私自身授業のやり方を見直した点も多々あるのです。
そんなに質が悪かったとは思っていません。

ただ、今回はやはり現職の教員がいたということ。その人が哲学的な思考をする人だったということもあって、学生にはない視点が出されてディスカッションは深まりました。

同じような内容を提供していても、メンバーが変わると授業は変わります。
「私の力量のなさではない」と言いきることはできませんが…。
コメント
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする