ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

沖縄の辺野古埋め立ての是非を問う県民投票 その1

2019-01-26 10:18:38 | 日記・エッセイ・コラム
県民投票を拒否していた5市を含め、全県で県民投票実現の見通しとなりました。
2月24日投開票の予定です。

県民投票するという県の決議に対して、予算を通さないという姑息な手段による5市の投票の拒否。
理由は、「賛成」「反対」だけでは県民の総意を反映できず「どちらでもない」という選択肢を加えるべきという主張。
本音は、投票に参加しないことで県民投票そのものを意味のないものにしたいという埋め立て賛成派の意図が見えています。

大事な判断に、「どちらでもない」ということはどういうことか。
「この人と結婚するのかしないのか」という選択に迷ったとき、「どちらでもない」があるのか。

大事な時に自分で判断する権利がある。そして、その判断には責任が伴う。
間違っているかもしれない。
でも、それも含めて、自分の判断を下していくことが、自分の人生を生きるということではないでしょうか。

自分で自分の人生を生きたいと思うから、学ぶということが意味を持つのです。
主体的に学ぶということは、自分の人生を生きるということです。

ハンガーストライキという身体を張っての元山さんの抗議。
それを支持する大きな声。
5市の市長は、自分の今後に不安を覚えたことでしょう。

「どちらでもない」という選択肢をつくったことは、今後各地で起こるであろう住民投票に影響を与えそうです。
私としては、賛成か反対か、きっちり決着のつく投票であってほしいと願っています。

しかし、ここで「どちらでもない」という選択肢を設けることで決着を図ったことを、私は高く評価したいです。
「どちらでもない」という選択肢は、あとに問題を先送りする可能性があります。
本来は無いほうが良い。私の考えでは。
けれど、前に進むために、話し合いを閉じず、落としどころをみつけようとすることは、大事なことだと思うのです。

「せやろがい」

コメント
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