退職祝いありがとう。
Mさんを中心に、卒業生が来てくれた。
15日は、6人で一人は翌日参加できず帰った。
16日は3人加わった。のべ9名。
香川、岡山、京都、滋賀、横浜、大阪、東京など。
小中高の教員と博士課程在学中や税理士事務所、放送局、NPO法人に勤める人も。
そもそもは、沖縄研修参加者初代ごろの人たちでという話だったようだが、
Mが「いろいろな人がいてもおもしろいかも」と自分の学校教育演習のクラスにも呼びかけ、ここで初対面という人たちも。
沖縄研修参加者には私の授業は全くとったことがない人もいて、
沖縄研修があったからこそのご縁。
15日は、最初の人が14時ごろに到着。
ひとまずその日の参加者が落ち着いてからI君の車でスーパーに買い出しに。
ところが台風の影響で、直前に閉店されたばかり。
急遽別の店に行くと開いていたので、無事買い物を済ませる。
この費用は、みんなで割り勘。
でも、うちは払わなかった。夫と二人食べたけれど。
夕食は、買った肉とMが実家から持ってきてくれた大量の野菜を焼く。
夫も加わり、全員自己紹介。
順に料理をしたり、食器を洗ったり、さすが社会人だけあって要領がいい。
アイランドキッチンなので、キッチンに立っていても全体が見渡せる。
話が尽きない彼らを残して風邪気味の私は早々ご就寝。
男性の寝室は離れ。
Y君によると、「自分が寝ようとしたらすでに布団が敷かれていた」と。
O君がやってくれたに違いない。
世話する人がいて、世話される人がいて。
女性は、和室。
Mによると、寝たのは5時だとか。
16日。
私たち夫婦は、いつもの通り7時には朝食。
最初にMが起きてきたのが9時すぎ。
それから少しずつ起きてくるものの、みんなぼーっとしいて食欲なさそう。
ところがIが卵を買ってきて、「何して食べる?」と聞くと
スクランブルエッグとハムエッグのリクエストが出て、ようやく朝ごはんらしくなる。
11時半ごろ、S君が来る。
「そろそろお腹がすいてきた」というが、他の人は朝ごはんを終えたばかり。
それでもぼちぼち昼の支度にとりかかる。
昼食はIのお土産のうどんと野菜の天ぷら。
ようやく1時まえにうどんをゆで始めると、K君が「2時に職場に戻らないと」という。
うどんの茹で時間は16分。間に合わない。
もっと早く言ってよね。
急遽そうめんを茹で、ぎりぎりのタイミングでKは出勤。
車で来たIが出入りのたびに送迎。
Iには本当に申し訳ない。
とにかく、話す、話す。
仕事の話が多いが、婚活や食生活、もろもろ。
実は、来れなかったけれど電話で参加のMIさんもいて、彼女は電話で連日数時間は参加していた。
MIがいう。「私、YやKみたいな変わった人と友達になれるなんて思ってもいなかったわ」
Y「いや、君は二つの意味で間違っている。私は変人ではないし、私たちは友達でもない」
MI「ショック!友達と思ってたのにぃ~」
実はYは私に、「あの授業はコミュニケーションを学ぶ大事な授業だった。もっとちゃんと参加しておけばよかった」と言っていた。たしかに欠席が多かったかも。
Kも授業を経る中で変身した。
最初は暗くてあまり話さなかったが、時間がたつにつれて話すようになっていった。
当時の授業報告書にKの写真がない。彼は「写りたくない」と写す側にまわった。
けれど今回の記念撮影には笑顔で写っている。
「成長したなあ」と私が言うと、Yは「みんな成長しています」と。
たしかにそうだ。
昼食が一段落して、みんなが持ってきたお菓子をつまみながら話が続く。
Yが「風呂に入りたい」という。
前日にふろ場の説明もしてあるので、いつでも自由にどうぞというが「まあ、あとで」という。
しばらくしてまた「風呂に入りたい」という。
仕方ないので、入れてあげた。栓をしてボタンを押すだけだが。
世話の焼けるやつ。これではOもYの分まで布団を敷かざるを得なかっただろう。
ところが驚いたのは、ちゃんと風呂の湯が抜いてあった。
むしろそこは、うちで湯を再利用したのだが。
17時過ぎ、最後の一団がIの車で帰っていった。
口々に「また来ます」と言ってくれたのがうれしい。
私は風邪がひどくなり、ほとんど声がでなかった。
それでも彼らが話しているのを聞いているのが楽しい。
実家みたいに甘えられない。
民泊みたいに宿舎として整ってはいない。
「自分のことは自分でする」のが基本だけれど
半分実家、半分民泊みたいな気分でこれからも来てくれたらと思う。
ただまあ、不便なのよね。
一番近い駅から徒歩15分。
バス停からは5分だけれど、バスがそもそも少ない。
それでも来てくれるのがまた嬉しい。
ナビのおかげで到着できます。