読みながら考えた。「対等な夫婦関係とはなんだろう」と。
夫の言葉によって、自己評価がどんどん低くなっていく専業主婦里沙子。
里沙子は裁判員の経験を通して、そのことに気づいていく。
里沙子の母親は里沙子を自分の分かる範疇に閉じ込めようとする。
少なくとも里沙子はそう感じる。
母親は主観的にはそうは思っていないだろう。
しかし、母親自身も世間体や自分の育ってきた環境の中で身につけた価値観から逃れられない。
里沙子はそういう環境から逃れようとして東京に出る。
結婚したいと思っていなかったが、陽一郎と出会い、この人ならと結婚する。
自分には育児と仕事が両立できるはずがないと、出産前に仕事をやめてしまう。
家庭・育児以外の場所があれば、里沙子の自己評価はずいぶん違ったのではないか?
いやどうだろう。
里沙子自身に、夫の価値観を優先するという考えがあれば、「家庭と仕事」を両立できないとよけいに自分を卑下したのだろうか。
夫のことばで傷つき自分は能力がないと自己評価を下げていく。
里沙子は裁判を通して、そうした自分に気づく。
夫にはもちろんその自覚はない。
おそらく里沙子の夫は世間的に言えば良い夫だ。
だけど里沙子は夫の愛を感じていない。
なぜか。
夫は里沙子をリスペクトしていないから。
この「リスペクト」を尊敬とか尊重とか書くと、どうも違うような気がする。
夫は支配的で、自分の価値観を押しつけようとする。しかしその自覚はない。
人間、お互いにリスペクトが必要だ。
夫婦や親子が同じ屋根の下で良い人間関係を築くには絶対必要だ。
だが夫婦関係において、夫は妻をリスペクトしない。
それはお互いさまと言うかもしれない。
けれど妻は相手に期待できないので、家庭がうまく回るように、基本的に自分が我慢の立場に回る。
そうでない家庭ももちろんあるだろう。あって当然だ。
だが家父長制度からまだ逃れられない日本の多くの家庭では、妻が我慢する。
夫はその価値観にからめとられ自分の価値観の押しつけや支配的な態度に気づけない。
妻が我慢しなければ言い合いになる、会話がなくなる、別居する、経済的に可能なら離婚する。
離婚を経験した友人が「私が我慢すればよかったのかしら」と言ったが、もちろんお互いに我慢しなければならないことはあるだろう。だが自分が一方的に我慢していると感じたなら、その我慢に限界が来るのは当然だ。
リスペクトするということは、お互い対等だということ。
まずは相手の言うことを認めるということだ。これは賛成するということと同じではない。賛成できれば賛成すればよいが、どうでも良いと思っても、あるいはそんなことはおかしいとか、「こいつバカか、こんなことも知らないのか」と思っても、一旦は「そうなんや」と言う、ということ。たとえ相手が自分の言ったことに間違ってとんちんかんなことを返しても、バカにすべきでない。自分の伝え方が悪かったのでは、と考えてみるべき。相手が何を言っているか分からないときも。まずは「あなたの話を私はちゃんと聞いたよ」と知らせるのがこの「そうなんや」なのだ。「ふうん」でも「ふんふん」でも構わないのだが。
「バカか」などとそしったり、気に入らないからとすぐに大声出すとかは、最低!
自分のほうが先にそしったり切れたりしておいて、こちらが大声出したとそしるのも最低!
でも、本人は自分が相手をそしっていると気づいていないことも。
そういうとき、やはり「私はそれが嫌だ」と言うべきだと思う。
私たちは家庭でこういった良好なコミュニケーションを学ぶ機会がない。
私も夫も、その両親が楽しく会話しているところをあまり見たことがない。
うちの場合は、父が一方的に話し、母は聞き役。
夫の親は、いつも口喧嘩ばかりしている夫婦だった。
うちの子どもたちはどうだろう。
長男のほうは妻に気を配っているようにみえるが(まだ結婚2年目だし)、次男のほうが配慮しているようには見えない。まあ、子どもとはいえよその夫婦のことは分からないけれど。
家庭以外でも学ぶ機会はない。学校ではひたすら「聞く」ことを教えられる。
リスペクトをもって相手を受け止めることは教えられない。
一方で、人間関係を壊したくないと、言いたいことも言えず一方的に受け止める関係を続けることも。
人間、言いたいことを言わなければ、自分が何を言いたいかも見失ってしまう。
でも、最近の教育は多少変わってきてる。少なくとも大学へ行けば、一度はコミュニケーションについて学ぶ機会はある。福祉関係なら絶対だ。
学んで身につくかどうかは、人それぞれだが。
というか、生育過程で刷り込まれた価値観を見直すことは容易ではなく、人間関係に上下や支配・被支配を持ち込もうとするのは避けがたく、相手へのリスペクトを持ち続けるのはカウンセラーのようなコミュニケーションの専門家ですら難しいことではある。
ただ、そういう自覚や戒めがあるがどうかは大切だ。
学ぶ機会が無いより有るほうが良い。
子どもが生まれる際に両親学級があるが、そのときに夫婦でコミュニケーションについて学ぶ機会があると良いのではないかと思う。
これまでの人間関係を顧みると、『ドラマと学びの場』のワークショップの企画、実施、本の作成の過程は、本当に楽しかった。男女半々、20代から50代までほぼ5歳刻みの世代も違うメンバーだったが、全員が「相手をリスペクトする」ということをやっていたのだなあ、と今になって思う。これは本当に人生の宝だ。