104歳の義父が入院したというので、お見舞いに。
15年ほど前に妻が施設に入ってから、ずっと独り暮らし。
10年ほど前に妻は亡くなった。
100歳になってようやくデイサービスやヘルパーさんを受け入れるようになった。
デイサービスに行くようになってからは、私たちが訪ねていくといつも上機嫌だった。それまでは、難しい顔をしていることが多かったのに。
若い(といってもみな40歳は過ぎているようだったが)女性からちょっと英語を話すと「すごい」と誉めてもらえるので、デイサービスはすっかり気に入っていたようだ。
そんな誉められ体験の連続が機嫌の良さに結びついていたのだろう。
けれど首に腫れ物ができ、今までのデイサービスでは世話ができないと言われ、別のところでショートステイで受け入れてもらったがそこも長期は難しく、腫れ物も治らないので病院に入院することになった。
ショートステイのところはコロナ対策ということで面会できなかったが、病院は面会できる。
3ヶ月ぶりの再会だ。
治療といっても包帯を換えるだけ。食が細くなっているということで栄養点滴もうけている。
退院ののち、ケアマネ―ジャーは在宅か施設か決めてほしい、と義姉に言ったようだが、義姉は病院が一番安心と、このままを希望している。
私が義父だったら、在宅を希望する。病院は行動を制限され退屈だ。施設はそれなりのプログラムがあるから、病院よりはましかも。
お義姉さんは洗濯や掃除のための週に一度の実家通いに疲れて、在宅は考えられないという。お義姉さんの家から実家まで車で20分ほど。この運転がすでに大変になってきている。
お義姉さんの大変さは分かる。
けれどお義父さんはそこそこお金を持っているので、家政婦さんを雇うとか、お義姉さんが楽できる方法は考えられる。
自分の最期を迎えるにあたって、自分の意思は聞かれず、子どもの都合で決められてしまうのは、何とも悲しい。まだ自分で食べられるし、トイレも行けるし、そこそこの判断もできるのに。
「子が親を看るもの」という固定観念から抜けられず、かといって共倒れにならないためには自分に出来ることは限度があり、入院や施設に頼ってしまうのだろう。
私自身がお義父さんのようにならないために、今から何ができるだろうか。
お義父さんは、カナダ移民の子として産まれ、収容所で終戦を迎えた。
一人で生きていける強さを持った人だ。
個人主義者で、子どもに頼って生きたいとは思っていない。
親子で話し合うということが全く無い家庭だった。
最期をどのように迎えるかということは、どういう関係性を築いてきたかに左右されるのだろう。
しかしながら、どんな人生を歩んできたにせよ、一人ひとりの最期が尊重される社会と制度であってほしいものだと思う。
お義父さんは、元気だった。
息子を思い出すのに少し時間がかかった。
孫に至っては本当に思い出したかどうか怪しい。
息子の妻の私については、さいごまで思い出さなかったようだが、私たちが来たことをとても喜んでくれた。
機嫌良く、日々の生活にもなに不自由無いとのことだった。
元気なお義父さんと息子、孫の三代を写真に収めることができた。