ドラマのとびら

即興の劇や身体表現で学ぶ、教える、浮き沈みの日々とその後

夫婦喧嘩はむかしから?

2022-05-12 07:35:46 | 日記・エッセイ・コラム
一時は口をきくのも恐ろしいぐらい険悪だったが
最近はようやく普通に話すようになった

先日、夫が「家をでて部屋を借りたい」という孫の従姉妹に「団地を3万3千円で貸すわ」と言ったことにひどくショックを受けた。
私が団地の部屋をこだわってリフォームした。
お気に入りの場所。今は次男の家族が住んでいる。
その家族が新しい家に引っ越そうとしている。
あとを誰かに貸そうと話していた。

けれど私に何の相談もなく、3万3千円ってどういうこと?
私に相談する気がさらさらないんだ。
悶々とする。
あげく、こだわりを捨てて、夫に大家さんをまかせる決断をする。
夫と話し合うことの困難さを思えば、こだわりを捨てるほうが楽だ。

母の日、めずらしく次男がやってきた。
話しているときに、つい「何の相談もなく家賃を決めた」ことを愚痴ってしまう。
聞いていた夫が「なら自分が大家をしたら?人に押し付けておいて」「いつも上から目線で言うから腹が立つ」という。

息子も「思い入れがあるなら、おかんが管理したらいいやん」という。
そして「あいかわらずの喧嘩やな」「まあ、仲良く暮らしてや」と言って帰っていった。

あいかわらずの喧嘩?
昔はこんなことで言い争った覚えはない、と思ったが。
ぼちぼち蘇ってきたのは、私は夫に対して気に入らないことがあると怒っていたし、時には地団駄踏んでまで怒っていたということ。
言葉で言っても分かってもらえないから。
夫はそういうことがあるといつもダンマリを決め込んでいた。
いつまでも口をきかないこともあった。
けれど私は一過性のこととしてすぐ忘れてしまった。
子どもからしたら、「あいかわらず」のことだったのだ。

あの頃は私にエネルギーがあったのだと思う。
だからいつまでもくよくよすることはなかった。
今は違う。

上から目線で話しているつもりはない。
むしろ話すときに感情をまじえないように気を使っている。
対等に話そうとは思っている。
それを上から目線と思うのは、常に私が下手に出るのが当たり前と思っているからではないか。
私から教わることを極端に嫌う。
「自分は何でも知っているし、いつも正しいと思っている」と私には思える。
アスペルガーだし、男尊女卑の風習から逃れるのもなかなか難しいことだから…と言えばそうなのだが。

夫には「口出ししないから大家さんをお願いします」と言った。
壁がカビだらけだが、そのまま貸すという。
それはどうかと思うが、そのことで言い争いはしたくない。
とにかく争いは避けたい。
一緒にいて、しかも私が楽しくくつろいて暮らせますように。そういう方法を探っていきたい。
コメント
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