青い空 白い大地を 半々に 気持良さそに 躍り跳ねてる
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【遷都1300年/故郷に帰る】
薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺
院であり、興福寺とともに法相宗の大本山であ
る。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は
薬師如来、開基(創立者)は天武天皇である。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネ
スコより世界遺産に登録されている。
朝、名神→京滋バイパスを経由し唐招提寺を参
観後拝観する。薬師寺は、天武天皇が後の持統
天皇である鵜野讃良皇后の病気平癒を祈願して
薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)さ
せた(『日本書紀』)。しかし、天武天皇は寺
の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整
備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれたと
いう。その後、和銅3年(710年)の平城京への
遷都に際し、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大
路に面した右京六条二坊(現在地)に移転した
という。
特に今回は、主要伽藍の北側にあり、1991年に
建てられたもので玄奘三蔵を祀る玄奘三蔵院の
日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した(縦
2.2メートル、長さが49メートル→13枚の合計)
からなる「大唐西域壁画」の観賞がお目当てで
もあった。30数年前玄奘三蔵殿を造ることが決
まったとき、当時の高田好胤管主が壁画制作を
依頼。平山郁夫は30年間をかけ玄奘三蔵に捧げ
たとされる。壁画は長安を発ち、高昌故城の遺
跡を描き、最も難所であった天山を越え、ヒマ
ラヤ山を仰ぎ仏跡ナーランダーなどをたどり、
天竺に至る玄奘三蔵求法の旅とその精神を描く
もの。尚、玄奘三蔵殿は、宮大工の故西岡常一
棟梁がオリジナルとして建立。
尚、唐招提寺は、鑑真が建立した寺院で南都六
宗の一つである律宗の総本山。本尊は廬舎那仏、
開基(創立者)は鑑真である。井上靖の小説『
天平の甍』で広く知られる。
士やも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして
山上憶良/万葉集 (巻6・978)
もう残り少ない生をどう始末するか?歴史的大
作を前に、憶良の「男たるもの無駄に一生を終
ってよいものか永遠に語りつぐべき名声をあげ
もしないで」という歌が過ぎる。まぁ、あとチ
ョット、マイペースで?精一杯頑張るしかない
か。
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帰路は柳生の里を経由し雄琴へ。奈良生まれに
して奈良を別角度?から見直す機会となった。
また、仏教文化世界の凄さを改めて感じかけて
いる自分だが、「神道物語」としてブログ掲載
している途上だが、何らかのアプローチを考え
てみようかとも思っている。ところで、雄琴は
『琵琶湖グランンドホテル』で宿泊することに
なるが、ここは職場の慰労会などで利用してい
たが個人的な宿泊は今回がはじめてで、平日と
いうこともあり、団体客が訪れるホテルなのだ
が、スケールの大きく、ひとりだけで貸し切り
状態の大浴場はなんともゆったりするものだ。
【松葉というズワイガニ】
ところで、豪華な夕食にだされた松葉蟹は、胃
腸の調子が敬遠することに。カニそのものは大
好きなのだが手が汚れる、面倒だというので敬
遠がち。ズワイガニ (Chionoecetes opilio) は、
エビ目・カニ下目・クモガニ科に分類されるカ
ニ。深海に生息する大型のカニで、重要な食用
種でもある。“ずわい蟹”の「ずわい」とは「
楚(すわえ(すはえ)」が訛ったもので「楚」と
は細い木の枝のことを指す古語。地域では、松
葉、越前、津居山、加能などの名称冠する。
図 ズワイガニ漁獲量
「蟹の女王」というぐらいだから高級イメージ
食品。大阪道頓堀の「かに道楽」はなじみ深い
が、ロブスターや鮪と同じく近い将来乱獲がた
たり高騰消滅する可能が高い魚介類のひとつに
数えられるが、寿司としての蟹はあまりお目に
かかれず、散らし寿司、軍艦巻、にぎり(炙り)、
甲羅寿司、押し寿司などは口にしてきた。かに
料理も様々で、グラタン、かに玉、鍋、丼、し
ゃぶしゃぶなどあるが蟹の熟寿司はないようだ。
上海蟹の養殖には成功しているようだが、ズワ
イガニはどうなんだろう。
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