極東極楽 ごくとうごくらく

豊饒なセカンドライフを求め大還暦までの旅日記

松葉蟹と薬師寺

2010年02月18日 | 国内外旅行



青い空 白い大地を 半々に 気持良さそに 躍り跳ねてる




【遷都1300年/故郷に帰る】


薬師寺は、奈良県奈良市西ノ京町に所在する寺
院であり、興福寺とともに法相宗の大本山であ
る。南都七大寺のひとつに数えられる。本尊は
薬師如来、開基(創立者)は天武天皇である。
1998年に古都奈良の文化財の一部として、ユネ
スコより世界遺産に登録されている。



朝、名神→京滋バイパスを経由し唐招提寺を参
観後拝観する。薬師寺は、天武天皇が後の持統
天皇である鵜野讃良皇后の病気平癒を祈願して
薬師寺の建立を発願し、百僧を得度(出家)さ
せた(『日本書紀』)。しかし、天武天皇は寺
の完成を見ずに朱鳥元年(686年)没し、伽藍整
備は持統天皇、文武天皇の代に引き継がれたと
いう。その後、和銅3年(710年)の平城京への
遷都に際し、薬師寺は飛鳥から平城京の六条大
路に面した右京六条二坊(現在地)に移転した
という。

 

特に今回は、主要伽藍の北側にあり、1991年に
建てられたもので玄奘三蔵を祀る玄奘三蔵院の
日本画家平山郁夫が30年をかけて制作した(縦
2.2メートル、長さが49メートル→13枚の合計)
からなる「大唐西域壁画」の観賞がお目当てで
もあった。30数年前玄奘三蔵殿を造ることが決
まったとき、当時の高田好胤管主が壁画制作を
依頼。平山郁夫は30年間をかけ玄奘三蔵に捧げ
たとされる。壁画は長安を発ち、高昌故城の遺
跡を描き、最も難所であった天山を越え、ヒマ
ラヤ山を仰ぎ仏跡ナーランダーなどをたどり、
天竺に至る玄奘三蔵求法の旅とその精神を描く
もの。尚、玄奘三蔵殿は、宮大工の故西岡常一
棟梁がオリジナルとして建立。



尚、唐招提寺は、鑑真が建立した寺院南都六
の一つである律宗の総本山。本尊廬舎那仏
開基(創立者)は
鑑真である。井上靖の小説『
天平の甍』で広く知られる。




士やも 空しくあるべき 万代に 語り継ぐべき 名は立てずして  

               山上憶良/万葉集 (巻6・978)


もう残り少ない生をどう始末するか?歴史的大
作を前に、憶良の「男たるもの無駄に一生を終
ってよいものか永遠に語りつぐべき名声をあげ
もしないで」という歌が過ぎる。まぁ、あとチ
ョット、マイペースで?精一杯頑張るしかない
か。




帰路は柳生の里を経由し雄琴へ。奈良生まれに
して奈良を別角度?から見直す機会となった。
また、仏教文化世界の凄さを改めて感じかけて
いる自分だが、「神道物語」としてブログ掲載
している途上だが、何らかのアプローチを考え
てみようかとも思っている。ところで、雄琴は
『琵琶湖グランンドホテル』で宿泊することに
なるが、ここは職場の慰労会などで利用してい
たが個人的な宿泊は今回がはじめてで、平日と
いうこともあり、団体客が訪れるホテルなのだ
が、スケールの大きく、ひとりだけで貸し切り
状態の大浴場はなんともゆったりするものだ。



【松葉というズワイガニ】



ところで、豪華な夕食にだされた松葉蟹は、胃
腸の調子が敬遠することに。カニそのものは大
好きなのだが手が汚れる、面倒だというので敬
遠がち。ズワイガニ (Chionoecetes opilio) は、
エビ目・カニ下目・クモガニ科に分類される
。深海に生息する大型のカニで、重要な食用
種でもある。“ずわい蟹”の「ずわい」とは「
楚(すわえ(すはえ)」が訛ったもので「楚」と
は細い木の枝のことを指す古語。地域では、松
葉、越前、津居山、加能などの名称冠する。



図 ズワイガニ漁獲量



「蟹の女王」というぐらいだから高級イメージ
食品。大阪道頓堀の「かに道楽」はなじみ深い
が、ロブスターや鮪と同じく近い将来乱獲がた
たり高騰消滅する可能が高い魚介類のひとつに
数えられるが、寿司としての蟹はあまりお目に
かかれず、散らし寿司、軍艦巻、にぎり(炙り)、
甲羅寿司、押し寿司などは口にしてきた。かに
料理
も様々で、グラタン、かに玉、鍋、丼、し
ゃぶしゃぶなどあるが蟹の熟寿司はないようだ。
上海蟹の養殖には成功しているようだが、ズワ
イガニはどうなんだろう。



コメント
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