あけましておめでとうございます。
今年もどうぞよろしくお願いいたします。
毎年お正月は実家に帰りおせちをいただきます。
ここ10年は、妹が毎年趣向を変えて作ってくれています。
子供たちはお正月の祝いものが好きではないので、少しでも口にするよう、お重ではなく一人づつ盛ってくれます。
今年の新作は24時間サラダ。
あの鳩山家のパーティで一番最初になくなるメニューらしい。
ちぎったレタスの上に、炒めたベーコンや刻んだセロリやスライスたまねぎ、クレソン、その上にゆで卵スライスとクリーム入りマヨネーズで蓋をする。
24時間寝かせて食べる寸前にあえる。
次は大学2回の甥っ子が作った中華風おつくり。
から揚げした春雨とアサツキを芯にしてマグロやタイの薄切りが巻かれています。
中華風ソースをかけていただきました。
おせちといえば、いつのまにか家で作るより、デパートでセットを買う方が増えられたのか年末のデパ地下は満員盛況です。
この不況で、外食よりは家で高価な食材やお酒を求める方が激増しているそうです。
ところでこのおせち(御節)が重箱に詰めた正月料理を指すようになったのは第二次世界大戦後らしい。
朝廷の節会(せちえ)の席で振舞われる御馳走を御節供(おせちく)
節日に行われる宴は元日節会(がんじつのせちえ)
1月7日に白馬節会(あおうまのせちえ)
3月3日に上巳祓(じょうしのはらえ)
5月5日に端午節会(たんごのせちえ)・・・毎月続きます。
この節日に神に供えたり、お客さまに出された「御節供」が、「おせち」と略され、主に正月料理を意味するように。
ひな祭りと端午の節句は、「お節句」へとなっていったらしいです。
一方庶民の間では、お正月料理を「蓬莢」(ほうらい)「食積」(くいつみ)と呼んでいた。
戦後デパートで「おせち」という名前で正月料理を売り出したのは、高級感をねらった戦略だったのかも。
ではその蓬莱とはどんなものだったのか?
年末に南天苑で泊ったときは「蓬莱の間」でした。
蓬莱って、あの徐福伝説に出てくる蓬莱???
「蓬莢」(ほうらい)で検索すると、505の豚マンがたくさんでてきますが、元を正せば関西方面で新年の祝儀に使っていた飾り物の1つ、との事。
これはお正月の蓬莱飾りですって。
さかのぼると歴史は古く、平安時代から祝儀の席や宴会での飾り付けに使われていたようです。
室町時代になると、「蓬莢」は主にお正月の飾りとされるようになり、飾りとしてだけでなく、実際にお客さまへ出して食べていたらしい。
三方の盤の上に白米を盛り、熨斗鮑(のしあわび)、搗ち栗(かちぐり)、昆布、野老(ところ)、馬尾藻(ほんだわら)、橙(だいだい)、海老などを盛って飾ったもの。
貯蔵品が主で、家によって様々なものを飾っています。
戦後の大阪南部にはもうこうした風習はなかった。
簡易化して鏡餅になったのかしら?
皆様のご家庭ではどうでしょう?