秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

⑱すみよっさん

2009-01-11 | 古代史のミステリー
大阪市住吉区にある住吉大社は、大阪では「すみよっさん」と親しまれています。
小学生の頃、近くの安立町(あんりゅうまち)に親戚があったので初詣などでもよくお参りしました。

神社の本殿は一般的に南または東向きに建てられているが、
住吉大社の西向きの本宮(本殿)は珍しいそうです。
大人になってから行ってないので記憶なし。
今となっては有名な太鼓橋しか覚えていません。

今日は久しぶりに時間があったので、「えべっさん」の帰り廻ってみました。
なんと40年以上もご無沙汰してました。

子供心に足元が怖かった太鼓橋は、
この年になってもやはり急な階段でした。
 

昔は、この橋の近くまで波が打ち寄せられていたそうです。

この橋を渡るのは、神さまに近づくのに罪や穢れを祓い清めるためで、反っているのは、地上の人の国と天上の神の国とをつなぐ掛け橋として、虹にたとえられているとか。

「すみよっさん」は、古代大和王権の外交・航海の守り神、海の軍神でした。
遣隋使や遣唐使の時代に、中国、朝鮮半島との航海ルートの拠点を抑え、武器、農耕機材の原材料となる鉄や銅をおさえ、大陸の珍しい珍宝を独占する。
港の部族にはこれらの珍宝を与え、連邦国家とする。
ここに政治権力の基盤があったのでしょう。

 

第三本宮~第一本宮まで縦一直線に、
一番手前の第三本宮を拝むとそのまままっすぐ第二本宮、第一本宮までまとめて拝めそうです。

左に神功皇后を祀る第四本宮が並びます。
この配置は全国的にもたいへん珍しく、住吉大社だけらしいです。
あたかも大海原をゆく船団のようで、
「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり よって八陣の法をあらわす」とも言われているそうです。

 
よくTVなどでも紹介される五所御前。
石の玉垣の内に杉の木が立っている場所は、別名を「高天原 (たかまがはら) 」ともいい、神霊をおむかえするミアレ所らしい。

神功皇后が住吉大神をお祭りするための土地を求められたとき、この杉の木に白サギが3羽きて止まったので、ここへお祭りしたと伝わる聖地です。

砂利の中には「五・大・力」と書かれた小石があり、これを集めてお守りにすると心願成就にきくとされます。

 
もちろん賜ってきましたよ。

平成23年の御鎮座1800年大祭を前に、浄財1万円以上の奉賛お願いの立て札が見られました。
49回目の式年遷宮祭が行なわれるそうです。

 

住吉大社のサイトの、宮司あいさつはこう書かれています。
「住吉の神さまは俗に海の神とされています。
正しくは、底筒男命(そこつつのをのみこと) ・中筒男命 (なかつつのをのみこと)・表筒男命(うはつつのをのみこと)という、
イザナギノミコトのミソギハラエに際して海の中から現れた神、
および息長足姫命(神功皇后)で、西暦211年、この地に鎮斎になったと伝えられています。
実際の年代では干支二運(120年)をくり下げて5世紀初頭と推測されますが・・・」

「海の神ということは、わたくしどもの生命の根源を守る神を意味します。・・・
われわれの生命は地球を覆っている水の中に生まれ、何億年もの循環をくり返して、空気の世界に生長してきました。そして自分を出現させています。・・・
この海の底・中・表の津の男神と称え、住吉の神と崇めてきた古人の智恵に深い敬意を表する次第です。」

えべっさんと大黒さん

2009-01-11 | 日々是好日
毎年商売繁盛祈願でえべっさんにお参りに行きますが
例年は平日の店を閉めた7時出発で夜のお参りでした。
そのあとの新年会「てっちり」が心の奥底のほんとの目的だったりしますが。

2006年も2007年も、福をもらいに行って記事に残しています。
  → こちらから

今年は「残り戎」が日曜日なので昼前に出発、同じ場所も昼は夜とは違った別世界を見た感じでした。

 

私の前で賽銭箱に小切手を投げ込む人がいて、
金額をみると、29,451
後でよく考えてみたら、フクヨコイの語呂合わせ?

地下鉄堺筋線の恵比寿駅まで行くと通天閣の新世界がすぐそこ。
 

いつもどおりここで初ふぐを食べて、今年は時間の余裕があるので、まだ次いくところがありました。

大国町(だいこくちょう)の地名の起因にもなっている神社です。
江戸期の十日戎では「戎大黒、両社詣でて本参り」と、
木津の大国さんは江戸時代からの参詣風習が根強く残っているそうなんです。

場所は、地下鉄大国町駅北200m、国道沿いにあります。

大国神社で検索すると、全国各地に同じ名前の神社があまりにもたくさんあって驚きました。
ココには敷津松之宮と二つの神社が境内を共有する相殿です。
国道沿いの鳥居から入ると正面が大国主神社、
南側の鳥居から入ると正面が敷津松之宮、
両神社の社殿と参道はクロスする形になっています。

 

 

大国神社と思って検索してもヒットしましたが、ほんとは大国主神社だった。
宗教法人としては敷津松之宮で登録されており大国主神社は摂社。
正式には「日出大国社」と呼ばれ、1744年のご神託で創建されたようです。

 

神功皇后が三韓征伐から凱旋の時、住吉浜に社を定めて住吉大神を祀り、さらに浜に沿って大阪湾を北上し敷津浜を通りかかった際に、松を3本植えて、そこに素盞鳴尊を祭るように指示したのが始まりといわれています。

遣唐使が唐に渡る際には、住吉大社と並んでこの敷津松之宮でも荒波が静まるように航海安全を必ず祈願したという。

その後876年、円如が播磨国から牛頭天王を京都の八坂神社に勧請する際、この敷津松之宮に立ち寄り、素盞嗚尊と牛頭天王が同神であると伝えらるので、明治時代までの敷津松之宮は、八坂神社や木津祇園宮と呼ばれていたようです。

 

敷津松之宮の本殿屋根の紋が二つ重なっているのが不思議でした。