数年前に、葛城に一言主神社があり、一言だけお願いすれば叶う神として有名だと知りました。
地図をプリントアウトしたりしていく準備はしても、なかなかチャンスがなく現在に至っています。
先月、たまたま金剛登山に誘っていただいて、
山頂で葛木神社にお参りした話→
こちら
そのときは参拝できたご挨拶をしただけ。
後で、なんと祭神が一言主大神であるのに気づき、たった一言のお願いをしなかったことを悔やみました。
そしてここも一言主大神さまの神社だったのかと感慨深いものがありました。
樹氷が神秘的な参道を歩いていると、仁王杉を過ぎ立て看板が目に留まりました。
「矢刺神社 雄略天皇御猪狩遺跡 約1500年前」
少し坂を下った所に、矢刺神社らしきお社が見えました。
しかし結構急な坂で雪で足を滑らせてもいけないし、
他のメンバーは関心ないことで、ちょっと待ってもらうのもためらわれ、遠目でシャッター押しただけ。
帰ってから調べてみると、説明に
【雄略天皇が猪狩りに登山された時、葛木一言主神とご会見せられ、
また猪を蹴り殺されたと云う記紀ともに残る名高い場所で、葛木神社摂社矢刺神社として雄略天皇を奉紀されています】
雄略天皇と一言主との出会いのエピソードは、古事記、日本書紀などあちこちに載ってて、何度かネットで読んでました。
その出会いの場所が、葛城の山中とは書いてあったけれど、この金剛山山頂だったのかと、これまた驚きでした。
雄略天皇四年(460)、雄略天皇が葛木岳(当時は葛城山と呼んだ)に猪狩りに来たところ。
古事記では、全く同じ格好をした一言主の一団と出会い、
雄略天皇が名を問うと「吾は悪事も一言、善事も一言、言いはなつ神。葛城の一言主の大なり」と答えた
天皇は恐れ入り、弓や矢のほか、官吏たちの着ている衣服を脱がさせて一言主に差し上げた。
一言主はそれを受け取り、天皇の一行を見送った、とある。
712『古事記』雄略天皇から崇められる存在として記され
720『日本書紀』天皇と一言主神はいっしょに狩りをして楽しんだということに
797『続日本紀』獲物を争ったため、天皇の怒りに触れて土佐に流されてしまった
822『日本霊異記』一言主神が役行者に使役され不満を持ったため、「役行者が天皇を陥れようとしている」と讒言。このため役行者は伊豆に流された
土佐神社社伝によれば、祭神の高鴨神は、元は大和の葛城山に坐したが、雄略天皇の怒りに触れて土佐に流された
はじめは幡多郡の賀茂社に祀られ、後に土佐神社へ移ったという
雄略天皇の時代まで、この葛城に天皇に匹敵するような大きな勢力があったといわれています。
それが時代が下るにつれて、その勢力を無視、評価しなくなっていくのが、年代順に並べた歴史書に示されています。
一言主神社は、願いを一言だけ聞いてくれる「いちごんさん」として地元の人から親しまれています。
上の葛城古道の地図、真ん中少し上に黄色い銀杏の木と一緒に印されています。
地図左端上より、金剛山から郵便道を通り奈良県側の山麓に降りてくると、高天彦神社があります。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/04/77/d0eb0a96c642530f722c481b42eef0a7.jpg)
★画像は検索によりもらってきました
ちなみに、金剛山の葛木神社の住所は、奈良県御所市高天476
一方、高天彦神社の住所は、御所市高天 番地がないようです。
高天彦神社の由緒
古代豪族、葛城氏の最高神で、記・紀神話の中で、出雲へ国譲りのための使者を命令した高皇産霊神を祀っています。
他に市杵島姫命(福岡県宗像神社三宮に祀られている女神の一人)・菅原道真。
神社の形体は古く、桜井市の大三輪神社と同様にご神体は山(神社背後の白雲峰:694m)であるので本殿はありません。
高天の広大な大地は、記紀に登場する天孫降臨神話の舞台となったところではないかと言い伝えられています。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/6c/79/aee302de62533814fb9fc70e4bb93216.jpg)
★画像は検索によりもらってきました
美久具留御魂神社にある白雲宮はこの白雲峰に違いないような。
近いうちに葛城古道行って、この目で確かめてこないと。