秋麗(あきうらら)

うーちゃんの節約日記です。
不思議だなと思う心、いつまでも忘れずにいたいな

閉業のお知らせ

質店は2021年8月に閉店いたしました。 昭和21年9月創業で75年間にわたりご愛顧賜りありがとうございました。

梅の源平咲き

2012-03-22 | おでかけ・近畿
源氏と平家の旗の色にちなんで「源平咲き」
梅の源平咲きを初めてみました。
梅にもキメラあるのですねぇ~

見つけた場所は藤井寺市の誉田八幡宮境内です。

道明寺から東高野街道を南へ


右手に応神天皇陵(誉田山古墳)をみながらさらに歩くと誉田八幡宮。


クリックすると大きくなります

1kmはゆうに歩いたと思います。


画像左上あたりの道明寺から、↓ポイントの誉田八幡宮まで歩きました。




鳥居をくぐってすぐ左手に、梅の源平咲きがみられます。

想像以上に静謐で立派な神社でした。







誉田(こんだ)八幡宮

大阪府羽曳野市誉田(こんだ)に鎮座。
主神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で、帯中彦命(たらしなかつひこのみこと)、住吉大神を配祀。
誉田、ほんだ を こんだ と称するのは、後世の転訛でしょうか。

欽明天皇の勅命による創建と伝えられ、
社地は応神天皇(誉田別命)の御陵のすぐ近くで、天皇居住の地という。
皇室、武家の崇敬が厚く、源頼朝は社殿を造営し社領などを寄進。
織田信長は社領を没収し衰運の傾向を示したが、
豊臣秀吉、ついで徳川家康が社領を寄進、ふたたび隆盛をみた。

例祭日9月15日の夜には神輿が応神天皇陵へ渡御する。






今でも例祭の日には、神輿が放生池にかかる太鼓橋をわたり、
誉田山古墳の後円部山頂の祭祀場までご神体を御坐するそうです。

拝殿から左の放生池へ行く途中に当宗(まさむね)神社が鎮座します。


当宗忌寸(まさむねのいみき)の祖神は、王仁博士と同時期に楽浪郡から渡来した山陽公といわれています。

山陽公とは、後漢の献帝のこと。
曹操のもとに落ち着いてからは、その娘を娶り皇后とすることで、皇帝の地位を保つことができましたが、曹操の死後、曹丕に位を禅譲させられた悲運の皇帝です。
ホンとかウソかわかりませんが、へぇ~ !? でしょう。


PTAの同窓会

2012-03-22 | ケータイ・スマホから
下の子供が小学校を卒業してすでに16年?
その長女がすでに28歳で2子の母ですから。
彼女が小学校の時PTAでご一緒したした仲間の集いがありました。
そのときの先生が今年定年で花束贈呈。

花束贈呈された先生は、来年度大阪市で再雇用されるそうです。
橋下市長のもとで頑張ってください!

当時、PTAはまだまだにぎやかな時代でした。
来年は温泉で夜通し宴会やぁ~と盛り上がりました。