源氏と平家の旗の色にちなんで「源平咲き」
梅の源平咲きを初めてみました。
梅にもキメラあるのですねぇ~
見つけた場所は藤井寺市の誉田八幡宮境内です。
道明寺から東高野街道を南へ
右手に応神天皇陵(誉田山古墳)をみながらさらに歩くと誉田八幡宮。
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1kmはゆうに歩いたと思います。

画像左上あたりの道明寺から、↓ポイントの誉田八幡宮まで歩きました。
鳥居をくぐってすぐ左手に、梅の源平咲きがみられます。
想像以上に静謐で立派な神社でした。
誉田(こんだ)八幡宮
大阪府羽曳野市誉田(こんだ)に鎮座。
主神は誉田別命(ほんだわけのみこと)で、帯中彦命(たらしなかつひこのみこと)、住吉大神を配祀。
誉田、ほんだ を こんだ と称するのは、後世の転訛でしょうか。
欽明天皇の勅命による創建と伝えられ、
社地は応神天皇(誉田別命)の御陵のすぐ近くで、天皇居住の地という。
皇室、武家の崇敬が厚く、源頼朝は社殿を造営し社領などを寄進。
織田信長は社領を没収し衰運の傾向を示したが、
豊臣秀吉、ついで徳川家康が社領を寄進、ふたたび隆盛をみた。
例祭日9月15日の夜には神輿が応神天皇陵へ渡御する。
今でも例祭の日には、神輿が放生池にかかる太鼓橋をわたり、
誉田山古墳の後円部山頂の祭祀場までご神体を御坐するそうです。
拝殿から左の放生池へ行く途中に当宗(まさむね)神社が鎮座します。
当宗忌寸(まさむねのいみき)の祖神は、王仁博士と同時期に楽浪郡から渡来した山陽公といわれています。
山陽公とは、後漢の献帝のこと。
曹操のもとに落ち着いてからは、その娘を娶り皇后とすることで、皇帝の地位を保つことができましたが、曹操の死後、曹丕に位を禅譲させられた悲運の皇帝です。
ホンとかウソかわかりませんが、へぇ~ !? でしょう。