桜餅に関東風と関西風があるなんて知らんかった。
関西では、桜餅に使われるもち米は、正確には「道明寺または道明寺粉」といいます。
もち米を一度蒸して乾燥させたものを粗く砕いたもので、
道明寺粉の由来は大阪は藤井寺にある道明寺からきています。
一方、関東系は長命寺桜餅

あんを包む餅は練った小麦粉を銅板でクレープ風に薄く焼かれてあります。

道明寺にはこの道明寺糒(どうみょうじほしい)が売られていました。
しかし自分で桜餅を作ることはないので見てただけ。
野中寺へと行く途中の和菓子店青木松風庵で、桜餅と鶯餅を1個づつ買い、
そして野中寺僧坊で前栽を眺めながらあっという間に完食。
「青木松風庵 桜餅 鶯餅」で検索したら見つかったのが最初の画像です。
道明寺糒(どうみょうじほしい)
紙紐で口が絞められた筒状の分厚い和紙のパッケージのラベルには
「大日本帝国、道明寺製造、登録商標」

「巴里大博覧会金牌受賞」
1900年のフランスで開催されたパリ万博へ出品して、金賞獲得!
「ほしいひ」の文字は豊臣秀吉の文字だそうです。
道明寺糒(ほしい)の起源、道明寺ウェブサイトより引用
菅原道真公の伯母上が、この寺に住んで居られ、道真公が築紫に左遷された後、毎日、伯母の覚寿尼が九州に向ってお供へされたご飯のおさがりを、分かち与へたが、これをいただくと病気がなほるといふのが評判となり、希望者が多くなるにつれてあらかじめ乾燥、貯蔵するようになったのが糒のはじまりで、千年以上前の事です。
「ほしい」は純粋のもちごめを二日間水につけて、のち、むしあげ屋内で十日程乾燥し、のち二十日程天火で干してから石ウスにかけて仕上げます。
和紙の袋の上の「ほしいひ」の文字は豊臣秀吉の文字です。
江戸時代には金裡、将軍家に献納したのち、諸侯の求めに応じて少量づつわかつていたが明治以後は一般民間にも販売するようになりました。
寒中に作つてあり幾年をすごしても変質、変色せず、昔は軍糧にしたもので行軍、山登りなどには欠くことの出来ないものです。
道明寺は黎明期の大和朝廷の有力豪族、土師(はじ)氏の根拠地であり、
「糒」の備蓄に関わり大きな力を保持していたと言われています。

像高98cm
国宝の木造十一面観音立像は、秘仏で18日には開扉されます。
平安時代初期、9世紀の菅原道真公作。
カヤ材の一木造で、彩色を施さない素地仕上げ
東日本大震災は、869年貞観地震の再来 といわれます。
菅原道真公は845年生まれで、貞観元年(859年)元服。
貞観12年(870)方略試(高等文官試験)に合格。
若き菅原道真が受験した貞観12年の高等文官試験には「地震を論ぜよ」という問題があったそうです。
貞観地震の9年後878年に関東南部で発生した大地震
菅原道真らが編纂 した『日本三代実録』にはこの地震の被害が記されています。
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西日本では
貞観10年(868年)播磨地震(山崎断層を震源とする地震)
仁和3年(887年)仁和地震(南海地震、M 8.0~8.5)