2週間前の日曜日5/15にTV番組「ソロモン流」に断捨離の著者
やましたひでこさんが出演されていた。
実際に作者の家がすか~んと片付いているのを見てすごいわぁの連発だった。
台所用品を収納する引き出し一番上に、おたまや茶漉しなどの調理器具5個程度だけが並んでいるのが写されたときはたまげた。
どこのお家もたぶん台所の引き出しって物があふれてます。
山下さんちはお箸だって、スプーンだって家族人数分だけ。
余分なものは一切持たない、を徹底されてます。
素敵なカップ&ソーサーは飾って年月が流れるのではなく、普段にじゃんじゃん使うと。
実際この番組をご覧になられて、早速翌日不用品を持ってこられたお客さんがいた。
この番組の話で盛り上がりました。
あそこまで徹底できないのが庶民のうちらですよね~って。
この2週間、気温が定まってきたこともあり、大震災もあり、
例年より洋服や食器のとかの持込がとても多くて裁ききれないぐらい。
昨年流行語大賞にもノミネートされた新片づけ術「断捨離」
提唱者の山下さんは長年ヨガを行っておられます。
大学時代に入門したヨガ道場で「断行.捨行.離行」というヨガの行法哲学に感化されたと話されていた。
私も毎週火曜日はパワーヨガのレッスン日です。
このレッスンの中でポーズをとるとき、過去・未来にひきづられるのではなく
現在ただ今に重心を持ってくるようにしましょう、とよく注意されます。
過去の思い出や縛りから捨てきれない
まだ来ぬ未来の不安から予備で備えたくなる
そしてものがあふれる今を見たくないため逃避して家にいない
この3つが「断捨離」を阻む3大要素らしい。
ものが使えるか否かではなく、
自分が今使うか使わないかを判断基準にふるいにかけるのが「断捨離」ですって。
主役は、ものではなく自分! 時間軸は今!
ダイレクトメールもあっという間にたまるものです。
近所の友人は玄関のポストで郵便物を手に取ったら、部屋に持ち込む前に要不要を判断し処分すると言ってました。
今を快適に生きるために、
自分で管理できないものはバサッと処分する勇気も必要ですが、
また今度ではダメですよ~
やましたひでこさんが出演されていた。
実際に作者の家がすか~んと片付いているのを見てすごいわぁの連発だった。
台所用品を収納する引き出し一番上に、おたまや茶漉しなどの調理器具5個程度だけが並んでいるのが写されたときはたまげた。
どこのお家もたぶん台所の引き出しって物があふれてます。
山下さんちはお箸だって、スプーンだって家族人数分だけ。
余分なものは一切持たない、を徹底されてます。
素敵なカップ&ソーサーは飾って年月が流れるのではなく、普段にじゃんじゃん使うと。
実際この番組をご覧になられて、早速翌日不用品を持ってこられたお客さんがいた。
この番組の話で盛り上がりました。
あそこまで徹底できないのが庶民のうちらですよね~って。
この2週間、気温が定まってきたこともあり、大震災もあり、
例年より洋服や食器のとかの持込がとても多くて裁ききれないぐらい。
昨年流行語大賞にもノミネートされた新片づけ術「断捨離」
提唱者の山下さんは長年ヨガを行っておられます。
大学時代に入門したヨガ道場で「断行.捨行.離行」というヨガの行法哲学に感化されたと話されていた。
私も毎週火曜日はパワーヨガのレッスン日です。
このレッスンの中でポーズをとるとき、過去・未来にひきづられるのではなく
現在ただ今に重心を持ってくるようにしましょう、とよく注意されます。
過去の思い出や縛りから捨てきれない
まだ来ぬ未来の不安から予備で備えたくなる
そしてものがあふれる今を見たくないため逃避して家にいない
この3つが「断捨離」を阻む3大要素らしい。
ものが使えるか否かではなく、
自分が今使うか使わないかを判断基準にふるいにかけるのが「断捨離」ですって。
主役は、ものではなく自分! 時間軸は今!
ダイレクトメールもあっという間にたまるものです。
近所の友人は玄関のポストで郵便物を手に取ったら、部屋に持ち込む前に要不要を判断し処分すると言ってました。
今を快適に生きるために、
自分で管理できないものはバサッと処分する勇気も必要ですが、
また今度ではダメですよ~
でもこれがゴミのもとなんですね。スパッと捨てるのは難しいです。
最近通勤電車のなかでよく見るのが、若い女性が「片づけるコツ」について書いた本の広告です。「これを読んだら、すぐ片付けたくなった」なんて感想が載っていました。
みんなあふれる物に悩んでいるんですね。
老母が捨てるのをいやがるので(父の遺品や私たち子供の賞状始め家族の写真、自分の服やバッグ、客用の布団や食器などなど、果てはどこかへ送る用の段ボールまで)狭い家に置いています。私もまだまだ服(大昔、母が大学の卒業式にあつらえてくれた黒いスーツもよう捨てず…)や靴やバッグやコレクション品…を少しずつしか整理できていません。「狭い日本、そんなに急いでどこへ行く」なんて標語がありましたが、「短い人生、そんなにため込んで(お金だったらいいのですが)どう捨てる」ですね。「未来への不安」や「現実逃避」はないのですが、買ったものに対して、何か捨てるのが申し訳ない気持ちにはなって、捨てられないということはあります。
時代は変われど、そのときの習性がしみこんでいてなかなか捨てれませんね。
今はこうした梱包材や箱、袋はすべて店で利用できますので、お客さんからもいただいているぐらいです。
やはり今回の大震災は、多くの人々の意識を変えるインパクトがあったと思います。
大事になおしてあることすら忘れているものは不用品だと割り切れるようになってきました。
育った時代はまだまだ物がなかったので、大量生産・大量消費は性分に合わないところがあります。
少ししか使わないのに、ため込む習性ってありますよね。
子供たちが成人して家を出てからは、調味料をはじめとする食品など特価してるから買いだめすると、使わないうちに賞味期限が切れることに気づいたので、これはさすがにやめました。
まだまだ物の寿命があるもの
自分はそのものを使わないけれど、捨てるのが惜しいと思われるもの
これらはどなたかに使っていただけるなら、ものも喜ぶだろうと思って、リユース品をバトンパスする仕事をさせてもらっています。
箸やスプーンが家族の分だけ余分な分は一切持たない生活は一生無理です。
仕事の原稿かきとかで行き詰った時、暮らしてる周りで澱んでいるところを片付けるんだそうです。
例えば外の溝掃除だったり。
こうした作業で淀みが取れるのはその溝だけではないというのが、さもありなんと思われました。
捨てる基準は、これを残して、子供が欲しがるかなあ?です。子供が使ってた20年以前の鉛筆やホッチキスの針、山ほどあります。ふ~と、ため息です。
相変わらずブログこまめに更新してますので、これからもよろしくね。
>捨てる基準は、これを残して、子供が欲しがるかなあ?
私もそう思います。
たいてい欲しがらないでしょう。
だって私自身うちの親のものを整理して欲しいと思ったものはほとんどありませんもん。
自分で捨てられない時は、ひと様に頼むか、あるいは遺品として残された家族に捨ててもらうしかありません。
しょうむないもん残してると思われたくなかったら、きゃたつに乗れるあいだに自分で頑張るしかない。
遺品として片付けてもらう場合は、あちこちにお金を挟んでおくと喜んで整理してくれる、と近所の友人の話です。
義理の親の遺品整理してて、バッグの中や服のポケットにお金が入ってるのが見つかり、腹立たしい思いが喜びに変わると言ってました。