大和には 郡山あれど とりよろふ 天の香具山
登り立ち 国見をすれば 国原は 煙り立ち立つ
海原は かまめ立ち立つ うまし国ぞ あきづ島 大和の国は
舒明天皇の歌です(巻1-2)
その昔、天から降りてきた山ともいわれる大和で最も格式の高い神聖な山ですからゴミはお持ち帰りください、という立て札です。
山頂からは木々が覆い茂りあまり見晴るかすことはできません。
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大和三山登頂の記事に、吉田さんがコメントに天香久山は特殊構造の山だと書いてくださってます。
もともとの山の性質が特殊で、天皇の国見と雨乞いの山で普段は禁足地だったと思われると。
私自身も、ど素人ながら何か感じる所が多々ありましたので、ちょっと詳しくレポートしたいと思います。
耳成山から藤原宮発掘地を通り上地図の右下から香具山登山。
奈良文化財研究所の左側になんか気になる場所でしたので歩きながら撮影しました。
家に帰ってから調べてみました。
畝尾都多本(うねおつたもと)神社
祭神は泣沢神、埴安の池の水神でその水源の地に祭られ、涙によって成ったという伝説を有す。
また今度見に行こう~
香具山は高さは知れてますが急坂が続きちょっとしんどい山でした。
生駒の暗がり峠みたいなれど、距離は短いので助かりました。
山頂には国常立神社
「祭神は国常立命(天地開闢とともに現れた国土形成の神)。俗に雨の竜王と称され、境内社として高靇神(竜王神)を祀る。向かって右側神殿の前に壷が埋められており、古来干天の時この神に雨乞いして壷の水をかえたが、まだ降雨のない節はこの社の灯明の火で松明をつくり、村中を火振して歩いたという」
2つの小さな祠のうちの右側は高靇神が祀られていて、
下前に井戸のような感じで壷が埋められていました。
かつてはここに天香山神社があったそうで、現在は北麓に移転しています。
登り道と違って、その天香山神社側へ下りました。
南麓に天岩戸神社があるも今回は行きませんでした。
天照大神を祀りますが社殿はなく、岩戸隠れの伝承地とされる岩穴や巨石を神体としているそうです。
国土地理院の地図では「天香久山」と記載されます。
万葉集で「天」という美称がつけられた山は香具山だけ。
大和三山の中で最も神聖視され「天の」を冠するのは天から降り来た山と言われています。
天から山が2つに分かれて落ち、1つが伊予国(愛媛県)天山(あめやま)となり、1つが大和国天加具山になったと『伊予国風土記』逸文に記されているそうです。
続く
畝傍山と耳成山の三山に新年早々に登山。よかったですね。
歴史に興味があって、研究熱心、今年も色々教えてください。
娘である持統天皇の歌は2番目に出てくるので覚えている方も多いですよね。
645年の乙巳の変で、姉の皇極天皇から譲位された孝徳天皇は難波長柄豊碕宮に遷都。
ところが653年中大兄皇子(後の天智天皇)は叔父にあたる孝徳天皇を無視して大和に遷都。
この大和は、自分の中で勝手に平城京を想像してました。
でも考えてみれば、まだ平城京も藤原宮もできてなかったんですよね。
歴史で地名は出てきても、飛鳥、藤原宮、平城京と位置を正確には把握してないもんだなと改めて実感した次第です。
やっぱりフィールドワークは必要ですね。
天孫降臨の櫛玉火明尊が富士山のコピーとしてつくらせた山。
だから天から降ってきた。
櫛眞智命はニギハヤヒの子のウマシマチかもしれませんね。
櫛=奇し。くしきマチ。
うまし=美し。うましマチ。
とも考えられそうな。
東京では大麻止乃豆乃天神社に祀られていて、御嶽信仰と関係しています。
愛媛の天山の話は、伊予の物部阿佐利って人と関係があるのかな。ウマシマチの子孫です。
おなじ松山市にある阿佐利がつくった國津比古命神社にはウマシマチが祀られています。
人工のお山、これは検索では出あわなかったので想定外でした。
金山というのはよくみかけたので何らかの鉱山かと思ってました。
富士山のコピーとするには形が美しくないので掘り返した結果ああなったのかしら。
奇しきマチ の「マチ」はどこから来てるのかなと調べてました。
私もウマシマチのマチかもとも思えました。
一方、真知の真に注目すると
真という漢字は二つという意味があり、
片帆にたいして真帆だったり真手だったり。
天の香具山の南側は真神の原というようですが、二つの神さまがおられる原ってこと?
としたらどなたになるのかな…
ニギハヤヒが二人の息子に大和の開拓と宗教的まつりごとをまかせたとしたら、
鉱山開発に天香久山神で、政=祭にウマシマチ
この二人の神さまが後の大和政権に隠されてるとか?