京都ぶらり町歩き、最後に三十三間堂へ入りました。
ココは人生3回目です。
正式には蓮華王院という名と、今ごろ知りました。
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14:52
この後入場して、堂内の千と一体の観音像や国宝の雷神風神像観ました。
写真なし。
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15:28
裏側に出る、通し矢で有名なとこですね。
さすがにくたびれ果てて立ってられない。
縁石に腰下ろして説明も聞き流す中で、
「後白河院と平清盛の蜜月時代に、清盛が寄進した」と耳に留まる。
パンフレット書き写すと、
1164年鳥辺山麓の後白河上皇・院政庁「法住寺殿」の一角に平清盛が造進した。
1156年保元の乱で、平清盛は後白河天皇側につき、
1160年平治の乱で、源義朝を破る。
絶頂期の1164年蓮華法院を造進したんですね。
清盛の父、忠盛は今の博多で、すでに日宋貿易を始めていた。
平家は宋からもたらされる珍しいものを朝廷や公家に贈って出世を勝ち取ったとも聞きました。
めっちゃ儲けてたんでしょね。
三十三間の煌びやかな観音像見てると、当時の栄華がさぞかしと偲ばれました。
それにしても、後白河院のええとこどりは凄すぎて。
ある意味世渡り上手の抜け目なさ。
日本一の大天狗と源義朝は見抜いてたのでしょう。
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