<金曜は本の紹介>
「ありがとう自衛隊(佐藤正久)」の購入はコチラ
この「ありがとう自衛隊」という本は、2004年からの自衛隊イラク派遣で第一次復興業務支援隊長を勤め「ヒゲの隊長」として注目を集めた著者が、2011年3月11日に日本を襲った東日本大震災直後から活躍する自衛隊について、その真実を明らかにしたものです。
自衛隊が地震発生直後から何をしていたのか、どういう問題が生じていたのか、どのように感謝されたのか、また米軍のトモダチ作戦の裏側、阪神大震災の教訓から改善されたこと等について詳しく分かりやすく書かれています。
その自衛隊の奮闘ぶりには涙しました。とてもオススメな本です。
以下はこの本のポイントなどです。
・普通に考えたら、どこから手をつけたらいいのかわからないほどの瓦礫の山の前に立たされたら、こんなことはやってられないと思うでしょうし、それこそ高額のボーナスでも支給されなかったら、引き受けたくないような作業です。ここで明確に申し上げましょう。自衛隊員が災害派遣に赴けば、手当はつきます。ただし、その金額は通常1日で上限1620円です。著しい危険を伴う場合は倍額となりますが、それでも決して高額ではありません。それこそ時給に直したら200円程度にしかなりません。
・現在、自衛隊は地震だけでなく、災害やテロを含めて、防衛出動や警備行動が発令される可能性に備えて、24時間体制ですぐに動けるようになっています。地震に関して言えば、震度5弱が観測されると、どんな夜中でも悪天候でも情報部隊が自動的に出動し、空からはヘリコプターで、陸上ではバイクなどで全体増だけでなく、細かいところまで状況を把握します。おそらく出動まで10分とかかりません。それは災害時の行動の基礎となる「情報収集」のため。情報がなければ迅速かつ効率的に動くことができないからです。
・地震発生から30分以内には、実際に被災地に向けて部隊が出動します。これは事前にどの部隊から出動するかを決めているからこそできる迅速な行動で、情報収集チームからの連絡ですぐに必要とされている場所へと移動できるのです。ただ、今回の震災ではそれが裏目に出てしまった事象もありました。宮城県の多賀城にある駐屯地でも、地震の一報を受けて、直ちに訓練を中止。すぐに出動できるよう車両の準備を整えていたところ、そこに大きな津波が襲ってきて、綺麗に整列しておいた車両がすべて浸水してしまったのです。
・実は宮城県沖で大きな地震が起こるのではないか、ということはかねてから懸念されており、2008年には自衛隊や防災関係機関、そして自治体も参加しての大規模な震災対処訓練「みちのくアラート2008」が実施されています。その時に想定していたのは「宮城県沖でマグニチュード8.0の地震が発生。仙台市内で震度6を観測し、三陸沿岸部に大きな津波が来襲」というもの。当時としては考え得る最悪の事態だったわけですが、今回の東日本大震災はすべてにおいて、その最悪の想定を超えたレベルだったことになります。しかし水没や瓦礫の飛散などその想定被災状況は今回の地震に極めて似ており、この訓練が今回の救助活動に大いに活かされたことは事実です。事実、瓦礫の中からの人命の救助や、津波によって孤立した被災者のヘリによる救助といった演習はこの「みちのくアラート2008」でも、しっかりと実行されています。訓練には自治体だけでなく、仙台ガスやNTTドコモなどにも協力していただいたのですが、自衛隊と警察、消防が連携する中でネックとなったのが、通信手段でした。陸上自衛隊では通常、トランシーバーなどの無線機を使って、現地の隊員は連絡を取り合っていますが、それだと自衛隊内でのコミュニケーションは取れても、警察や消防との連動ができません。その問題点は訓練ではなく、実際に救助活動を行なわくてはならなくなった今回、浮き彫りにされたわけですが、訓練の段階でそれを知っていたNTTドコモから「ぜひこれを使ってください」と、大量の携帯電話を提供いただいていました。これによって、捜索活動がスムースに進み、たくさんの方々を救助できたことは言うまでもありません。事前の準備や演習、そして関係各所との意思確認ができていたおかげで、前代未聞と言っても大袈裟ではない今回の大災害に際しても、極めて冷静な行動をとることができたのです。
・残念ながら、今回、たくさんのご遺体を収容・搬送することとなりました。自衛隊ではご遺体を発見した場合、できる限り、傷をつけないよう丁寧に収容することを心掛けています。また、絶対に礼を失することなく、必ずご遺体に手を合わせてから搬送します。生きている方を救助する時と、なんら変わりのない対応です。
・もっと根本的な話をすれば、戦闘服に関しても、ほとんどの隊員が2着しか被災地には持っていっていません。水中での救助活動で濡れてしまっても、それを洗い乾かす器具もなければ、任務が終わって脱ぐ頃にはすでに夕方になってるので、普段のように天日干しすることもできません。水で濡れただけならまだしも、ご遺体を背負ってきた隊員の戦闘服には腐敗した体液がべっとりと付着して、大変な異臭を放つことになります。それでも着回しするしかないので、消臭スプレーなどで応急措置的に異臭を抑え、愚直なまでに任務を遂行し続けたといいます。
・地震発生直後は救援物資がまだ被災地まで届かない状況下にあったので、自衛隊の各基地や駐屯地に備蓄してある食糧や燃料を提供しました。場所によって備蓄量には差がありますが、車の燃料がなく、身動きが取れない警察や消防の緊急車両にガソリンを提供したり、避難所の方々に当座の水や食事をお分けすることができました。
・食事については陸上自衛隊の「炊事車」がフル稼働しました。これは一度に2000人分の食事を、45分程度の時間で提供できる能力を持った車で(炊飯だけに特化すれば600人分が提供できます)、とにかく温かい食事を避難所のみなさんに提供することで、心のケアもできたのではないかと思います。
・自衛隊員の食事ですが、炊事車が出払っていて調理することができないので、必然的にメニューは限られてきます。
・乾パン
・缶詰
・レトルト食品(米飯含む)
連日、これの繰り返しです。もちろん、食事は任務の途中にある休憩時間に取ることになるので、いちいち食事のためにみんなでどこかに集まる、ということもありません。では、どうするのか?朝、出発する時に、その日の分の食糧(3食分)がすべて支給されるのです。渡された時点では加熱されていますが、当然のことながら食べる頃には完全に冷めきっています。作業現場では再加熱できませんから、そのまま食べるしかありません。
・被災地での食事には大切なルールがあります。それは「被災者の目に触れない場所で食べること」。たとえ冷めたレトルトであっても、隊員がそれを食べている姿を見たら、辛い思いをされている被災者はどのように感じるでしょうか?そういったことを考慮してのことですが、すべてを津波で押し流されてしまった被災地ではそれすらも難しく、基本的に車の中で食べることになります。
・そんな中でも、ちょっとした「ルール違反」があったそうです。お腹をすかせている被災者を見かねた自衛隊員が、自分の分の食糧をこっそりと配っていた、というのです。ルール違反ですから本来ならば認められない行為ですが、目の前で苦しんでいる被災者をなんとかして救いたい、という純粋な気持ちから起こした行動であり、これに関しては上官たちも「見て見ぬふり」をして不問に付したそうです。もちろん被災者も「本当にもらっていいんですか?あなたの食べる分がなくなってしまうのではないですか?」と何度も確認したそうですが、自衛隊員たちは必ず笑顔を浮かべて、こう答えたと言います。「しっかり食べていますから、大丈夫です!」自衛隊員の口癖は「大丈夫です!」。本当は大丈夫ではなくても、国民のみなさんに安心していただけるように、そして自分に言い聞かせるように「大丈夫です!」と笑顔で答えているのです。
・しかしそんな日々を送っていれば、いかに屈強な自衛隊員といえども、さすがに体に異変が生じてきます。最初に起きた問題は便秘でした。それは至極当然の現象です。食事をする時間が不規則で、しかもレトルト食品しか食べていないのですから、食物繊維が不足して便秘にもなってしまう。本音を言えば、おそらく新鮮な野菜を食べたいところでしょうが、あの状況下では難しく、ある程度、状況が落ち着いてきたところで私は野菜ジュースを差し入れしました。私も自衛隊のObですから、緊急時に必要なものがわかるのです。これならさほどかさばらないし、いつでもどこでも飲めます。これだけのことでも、多少は状況が改善されたようで何よりでした。もう一点は口内炎です。こRはかなり多くの自衛隊員の間で蔓延していたようで、やはり食事の偏りからくる栄養不足が原因だと思われます。歯を食いしばるような作業が多いので、口の中に異状があると、必要以上に体力を消耗してしまいます。これでは士気にも影響しますし、作業効率が悪くなってしまうおそれも出てきます。そんな時、自衛隊員たちに喜ばれたのは私たち有志からのビタミン剤の差し入れでした。野菜ジュース同様に効果はてきめんだったようで、「次にいらっしゃる時も、ぜひお願いします!」と懇願されたものです。
・さすがに生と死を目の当たりにする現場ですKら、特に若い自衛隊員たちは精神的に辛かったと思います。その点に関しては、とにかく自分の中にため込まないように、一日の作業が終わったあと、全員が車座になって、その日思ったこと、感じたこと、辛かったことをすべて吐き出させる、というメンタルケアは徹底していました。
・こんな過酷な状況下でも倒れることがないのは、日頃の訓練で「効率良く作業をし、効率良く休憩する」ことが身についているからでしょう。短い時間でも、しっかりと休憩すれば疲れは取れます。作業しているそばでダラダラと休んでいても、さして疲れが取れないばかりか、傍目からは「サボっているんじゃないか?」と思われてしまいます。終わりが見えない作業が続くだけに、現場から離れたくない心情もわかりますが、そこはあえて気持ちを切り替えて、人目につかない場所に移動して、リフレッシュをはかることが大事になってきます。
・今回は「即応予備自衛官」「予備自衛官」にも災害招集命令が発令されました。これは予備自衛官制度創設以来初となるケースです。彼らは普段、企業などに就職しながら、年間に規定された日数の訓練を受け、何か不測の事態が生じた際には、いつでも任務につけるように待機しているポジションですが、制度自体はあったものの、実際に招集がかかったのは初めてのことです。「即応予備自衛官」は基本的に自衛隊のObによって構成され、招集されると第一線部隊の一員として、現職自衛隊員とともに任務に就きます。「予備自衛官」は元自衛隊員だけでなく、予備自衛官補としての教育訓練を修了した者も含まれ、こちらは後方地域からのバックアップや、人手が足りなくなった駐屯地の警備に回ったりします。
・福島原発への放水作業には陸上自衛隊の大型輸送ヘリ「CH-47」が2機、投入されました。海水約7tが入った巨大な容器(バケット)を吊り下げて、3号機の上空から計4回、海水を投下する-こうやって文章にすると、なんとも単純な作業のようにも思えますが、実際にはかなりの危険を伴う「命懸け」の任務でした。なぜならば、放射線量がもっとも高くなっているのは、原発建屋の真上。ヘリはまさにそのポジションで作業をしなくてはいけないからです。放水の精度をあげ、効果を最大限まで引き出すには、どうしてもホバリング(空中停止)して高度を下げる必要があります。つまり、自ら放射線量の高いポジションへと突っ込んでいく覚悟を持っていないと遂行できない任務なのです。それだけではありません。もし炉心溶解が進んでいれば、放水することによって水蒸気爆発を誘発する危険性もありました。
・危険伴う放水用のヘリなんて、本音を言えば誰も乗りたくありません。いつもなら「オマエが行け」と命令を出す上官も、さすがに今回ばかりは悩んだそうです。結婚したばかりの隊員、まだ子供が小さい隊員。それぞれの家族の顔が浮かんでくると、さすがに「オマエが行け!」とは言い出せません。そこで放水作業の決行が決まった時、すべての隊員を集めて「オマエたち、行けるか?」と問いかけると、なんとそこにいた全員が手を挙げて「自分がいきます!」と志願したといいます。死をも覚悟しなければいけない任務に、自ら志願する。これがどれだけ勇気のいることかおわかりいただけますか?
・ヘリからの放水は水蒸気爆発を招くことなく、無事に完遂しました。その成果はどれぐらいあったのかは正直微妙だったかもしれませんが、少なくとも「もうダメなんじゃないか」と絶望にも似た感情を抱いていた国民に希望を与えられただけでも、決行した意味はあると思います。実際、避難所からこの光景を見ていた東京電力の社員たちは「自分たちもしっかりやらなければダメだ!」と決意を新たにしたといいますし、アメリカからは「彼らは英雄だ!」と賞賛の声が届きました。これがのちに米軍との「トモダチ作戦」が円滑に進められるきっかけにもなっていることをみなさまはご存じでしょうか?私も国民栄誉賞クラスの働きをした、と思っています。この本を読んでいただけた方には、命を賭してヘリに乗り込んだ自衛隊員がいたということ、現場にいたすべての自衛隊員が出動を志願したということだけは知っておいてもらいたいのです。そして、心の中でも構いませんから、大きな拍手を送って頂ければ、彼らにとって大きな励みになると思います。
・今回、「トモダチ作戦」と銘打たれた災害救助活動を始め、米軍の協力も絶対に忘れてはいけない重要なポイントです。空母2隻を含む、15隻という異例の規模で艦艇をを派遣。ピーク時には1万6000人の人員と、140機の航空機という大型の支援も実施。これは朝鮮半島や周辺地域での任務や訓練をすべて中止して、日本のために駆けつけてくれたことを意味します。艦艇による捜索活動や、ヘリによる物資の輸送はもちろんですが、北海道から被災地まで陸上自衛隊員と車両を搬送してくれたり、大きな被害を受けた仙台空港やJR仙石線などのインフラ復旧にも全力を尽くしてくれました。
・米軍のスキルの高さは想像以上でした。あそこまで壊滅的な状態になっていた仙台空港を復旧させたのは、やはり米軍の力あってこそだと思います。もちろん自衛隊でも復旧可能でしたし、自衛隊員たちは自分たちに任せてほしかったところでしょうが、3月31日までに復旧させて日本側に引き渡す、という工程表を作り、それをぴったり工程表通りに進めたのですから驚きです。日本側で進めていたら、安全性ばかりを優先して、もっと時間がかかっていたでしょう。私も仙台空港を視察しましたが、米軍のモラルの高さにも驚きました。
・私も何度となく被災地に入り、避難所にもお邪魔しています。最初に避難所にお伺いする時、私は現地の方にこう言われました。「佐藤議員、覚悟をしてお入りください」たしかに避難所を視察した政治家たちが、非難の的にされている映像は何度となく目にしていますし、テレビに映らないだけで、実際にはもっと被災者の不満が爆発していることは、容易に想像できます。これは仕方のないことですし、長期にわたって不安を抱かせてしまった政治家は不満の声を真摯に受け止める責任があります。ところが私が避難所に足を踏み入れると、近寄ってきてくださった方々は口々にこう言うのです。「本当にありがとうございました!」「自衛隊さんにはいつもお世話になっています!」これには私に「覚悟してください」と忠告してくださった方も、さすがに驚いていましたが、この時、自衛隊のOBである私は、被災者のみなさんに自衛隊員たちの”心”が伝わったんだなあ、と実感しました。
・阪神・淡路大震災の際には彼らは本当に悔しい思いをしたことでしょう。ベストの判断でいち早く駆けつけたというのに、知事からの要請がなければ、県境から1ミリたりとも前進できない・・・そうこうしているうちに救えるはずだった命がどんどん失われていくのですから、やりきれない思いでいっぱいだったはずです。さすがにこれを受けて法律は改正され、大きな災害の場合、自治体の要請を待つことなく自衛隊が出動することが可能になりました。東日本大震災で迅速に出動し、たくさんの命を救うことができたのは、実は阪神・淡路大震災での辛い教訓が活かされていたわけです。
・私は自衛隊だけでなく、警察、消防、海上保安庁など命を賭して任務にあたっている公的機関については、今こそ評価制度を変えるべきだと思っています。いきなり勲章を出せとはいいませんが、自己犠牲を払って大きな働きをした者に対しては、なんらかの名誉を与えるべきです。これがあるとないとでは大違いです。何がしかの名誉が与えられれば、自衛隊員たちも命を懸けて頑張ってきたことが報われるわけですし、それが誇りにもなります。そして、それが全体の士気を上げることにもつながるはずです。
・被災地でもたくさんの「ありがとう」をいただきましたが、私が感銘を受けたのは自衛隊に救助された80歳のおばあさんの言葉でした。「助けてくれてありがとう。私、生まれ変わったら、必ず自衛隊に志願しますから。何度生まれ変わっても自衛隊に入って、今度は人を助けますから!」これは勲章と同じくらい重みのある言葉だと思います。
<目次>
はじめに
第1章 自衛隊は東日本大震災でなにをしてくれたのか?
-その知られざる実績と、2万人を救った機動力の秘密
すべては「被災者のために」
地震発生の瞬間、すでに自衛隊は動いていた!
「30分以内に出動」と自衛隊の”自己完結性”
捜索・救助活動の鍵は大量の「携帯電話」
救助したらそれで終わり、ではない
必要な物資がない中での救助活動
食事だけでなく”心”も配る「民生支援」
自衛隊員たちの食事と栄養状態
休憩時間すら返上で奮闘する自衛隊員たち
留守部隊にも賞賛と拍手を!
どうしてヘリから物資を投下しないのか?
原発へのヘリ放水には心の国民栄誉賞を!
米軍との「トモダチ作戦」の裏側
被災地から届いた「ありがとう」の言葉
第2章 自衛隊とは何か?
-その成り立ちから彼らの心の内を知る
そもそも「自衛隊」とは何か?
自衛隊の主たる任務は「国を守ること」
誤ったシビリアンコントロールの解釈
陸・海・空、それぞれの役割
「災害派遣」と自衛隊
海外派遣でも”心”が大切
海外での自衛隊の評価はどうなっているのか?
自衛隊と住民のコミュニケーション
なぜ自衛隊員は制服で外出しないのか?
私がツイッターを活用する理由
人間として、自衛隊員として
第3章 自衛隊員はなぜかくも屈強なのか?
ーその知られざるメカニズムを解く
なぜ彼らは限界を超えて頑張れるのか?
どうすればかくも強い”心”を保てるのか?
東日本大震災、これは弾丸を撃たない実戦だ!
絶対に乱れない規律の秘密
自衛隊とは「教育の場」でもある
なぜ自衛隊は原発事故でも活躍できるのか?
女性隊員の扱いはどうなっているのか?
第4章 自衛隊は今後いかにあるべきか?
-もし「ヒゲの総理大臣」が誕生したら・・・・・
政府の指針は正しかったのか?
自衛隊員の人数は少なすぎる!
予算もモノも不足している!
今回は「有事」ではなかったのか?
指導者ならば「責任」を取れ!
あくまでも「国防」を軸にすべき!
自衛隊にもっと「名誉」を!
そして・・・・・福島のこれから
おわりに
面白かった本まとめ(2011年下半期)
<今日の独り言>
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この「ありがとう自衛隊」という本は、2004年からの自衛隊イラク派遣で第一次復興業務支援隊長を勤め「ヒゲの隊長」として注目を集めた著者が、2011年3月11日に日本を襲った東日本大震災直後から活躍する自衛隊について、その真実を明らかにしたものです。
自衛隊が地震発生直後から何をしていたのか、どういう問題が生じていたのか、どのように感謝されたのか、また米軍のトモダチ作戦の裏側、阪神大震災の教訓から改善されたこと等について詳しく分かりやすく書かれています。
その自衛隊の奮闘ぶりには涙しました。とてもオススメな本です。
以下はこの本のポイントなどです。
・普通に考えたら、どこから手をつけたらいいのかわからないほどの瓦礫の山の前に立たされたら、こんなことはやってられないと思うでしょうし、それこそ高額のボーナスでも支給されなかったら、引き受けたくないような作業です。ここで明確に申し上げましょう。自衛隊員が災害派遣に赴けば、手当はつきます。ただし、その金額は通常1日で上限1620円です。著しい危険を伴う場合は倍額となりますが、それでも決して高額ではありません。それこそ時給に直したら200円程度にしかなりません。
・現在、自衛隊は地震だけでなく、災害やテロを含めて、防衛出動や警備行動が発令される可能性に備えて、24時間体制ですぐに動けるようになっています。地震に関して言えば、震度5弱が観測されると、どんな夜中でも悪天候でも情報部隊が自動的に出動し、空からはヘリコプターで、陸上ではバイクなどで全体増だけでなく、細かいところまで状況を把握します。おそらく出動まで10分とかかりません。それは災害時の行動の基礎となる「情報収集」のため。情報がなければ迅速かつ効率的に動くことができないからです。
・地震発生から30分以内には、実際に被災地に向けて部隊が出動します。これは事前にどの部隊から出動するかを決めているからこそできる迅速な行動で、情報収集チームからの連絡ですぐに必要とされている場所へと移動できるのです。ただ、今回の震災ではそれが裏目に出てしまった事象もありました。宮城県の多賀城にある駐屯地でも、地震の一報を受けて、直ちに訓練を中止。すぐに出動できるよう車両の準備を整えていたところ、そこに大きな津波が襲ってきて、綺麗に整列しておいた車両がすべて浸水してしまったのです。
・実は宮城県沖で大きな地震が起こるのではないか、ということはかねてから懸念されており、2008年には自衛隊や防災関係機関、そして自治体も参加しての大規模な震災対処訓練「みちのくアラート2008」が実施されています。その時に想定していたのは「宮城県沖でマグニチュード8.0の地震が発生。仙台市内で震度6を観測し、三陸沿岸部に大きな津波が来襲」というもの。当時としては考え得る最悪の事態だったわけですが、今回の東日本大震災はすべてにおいて、その最悪の想定を超えたレベルだったことになります。しかし水没や瓦礫の飛散などその想定被災状況は今回の地震に極めて似ており、この訓練が今回の救助活動に大いに活かされたことは事実です。事実、瓦礫の中からの人命の救助や、津波によって孤立した被災者のヘリによる救助といった演習はこの「みちのくアラート2008」でも、しっかりと実行されています。訓練には自治体だけでなく、仙台ガスやNTTドコモなどにも協力していただいたのですが、自衛隊と警察、消防が連携する中でネックとなったのが、通信手段でした。陸上自衛隊では通常、トランシーバーなどの無線機を使って、現地の隊員は連絡を取り合っていますが、それだと自衛隊内でのコミュニケーションは取れても、警察や消防との連動ができません。その問題点は訓練ではなく、実際に救助活動を行なわくてはならなくなった今回、浮き彫りにされたわけですが、訓練の段階でそれを知っていたNTTドコモから「ぜひこれを使ってください」と、大量の携帯電話を提供いただいていました。これによって、捜索活動がスムースに進み、たくさんの方々を救助できたことは言うまでもありません。事前の準備や演習、そして関係各所との意思確認ができていたおかげで、前代未聞と言っても大袈裟ではない今回の大災害に際しても、極めて冷静な行動をとることができたのです。
・残念ながら、今回、たくさんのご遺体を収容・搬送することとなりました。自衛隊ではご遺体を発見した場合、できる限り、傷をつけないよう丁寧に収容することを心掛けています。また、絶対に礼を失することなく、必ずご遺体に手を合わせてから搬送します。生きている方を救助する時と、なんら変わりのない対応です。
・もっと根本的な話をすれば、戦闘服に関しても、ほとんどの隊員が2着しか被災地には持っていっていません。水中での救助活動で濡れてしまっても、それを洗い乾かす器具もなければ、任務が終わって脱ぐ頃にはすでに夕方になってるので、普段のように天日干しすることもできません。水で濡れただけならまだしも、ご遺体を背負ってきた隊員の戦闘服には腐敗した体液がべっとりと付着して、大変な異臭を放つことになります。それでも着回しするしかないので、消臭スプレーなどで応急措置的に異臭を抑え、愚直なまでに任務を遂行し続けたといいます。
・地震発生直後は救援物資がまだ被災地まで届かない状況下にあったので、自衛隊の各基地や駐屯地に備蓄してある食糧や燃料を提供しました。場所によって備蓄量には差がありますが、車の燃料がなく、身動きが取れない警察や消防の緊急車両にガソリンを提供したり、避難所の方々に当座の水や食事をお分けすることができました。
・食事については陸上自衛隊の「炊事車」がフル稼働しました。これは一度に2000人分の食事を、45分程度の時間で提供できる能力を持った車で(炊飯だけに特化すれば600人分が提供できます)、とにかく温かい食事を避難所のみなさんに提供することで、心のケアもできたのではないかと思います。
・自衛隊員の食事ですが、炊事車が出払っていて調理することができないので、必然的にメニューは限られてきます。
・乾パン
・缶詰
・レトルト食品(米飯含む)
連日、これの繰り返しです。もちろん、食事は任務の途中にある休憩時間に取ることになるので、いちいち食事のためにみんなでどこかに集まる、ということもありません。では、どうするのか?朝、出発する時に、その日の分の食糧(3食分)がすべて支給されるのです。渡された時点では加熱されていますが、当然のことながら食べる頃には完全に冷めきっています。作業現場では再加熱できませんから、そのまま食べるしかありません。
・被災地での食事には大切なルールがあります。それは「被災者の目に触れない場所で食べること」。たとえ冷めたレトルトであっても、隊員がそれを食べている姿を見たら、辛い思いをされている被災者はどのように感じるでしょうか?そういったことを考慮してのことですが、すべてを津波で押し流されてしまった被災地ではそれすらも難しく、基本的に車の中で食べることになります。
・そんな中でも、ちょっとした「ルール違反」があったそうです。お腹をすかせている被災者を見かねた自衛隊員が、自分の分の食糧をこっそりと配っていた、というのです。ルール違反ですから本来ならば認められない行為ですが、目の前で苦しんでいる被災者をなんとかして救いたい、という純粋な気持ちから起こした行動であり、これに関しては上官たちも「見て見ぬふり」をして不問に付したそうです。もちろん被災者も「本当にもらっていいんですか?あなたの食べる分がなくなってしまうのではないですか?」と何度も確認したそうですが、自衛隊員たちは必ず笑顔を浮かべて、こう答えたと言います。「しっかり食べていますから、大丈夫です!」自衛隊員の口癖は「大丈夫です!」。本当は大丈夫ではなくても、国民のみなさんに安心していただけるように、そして自分に言い聞かせるように「大丈夫です!」と笑顔で答えているのです。
・しかしそんな日々を送っていれば、いかに屈強な自衛隊員といえども、さすがに体に異変が生じてきます。最初に起きた問題は便秘でした。それは至極当然の現象です。食事をする時間が不規則で、しかもレトルト食品しか食べていないのですから、食物繊維が不足して便秘にもなってしまう。本音を言えば、おそらく新鮮な野菜を食べたいところでしょうが、あの状況下では難しく、ある程度、状況が落ち着いてきたところで私は野菜ジュースを差し入れしました。私も自衛隊のObですから、緊急時に必要なものがわかるのです。これならさほどかさばらないし、いつでもどこでも飲めます。これだけのことでも、多少は状況が改善されたようで何よりでした。もう一点は口内炎です。こRはかなり多くの自衛隊員の間で蔓延していたようで、やはり食事の偏りからくる栄養不足が原因だと思われます。歯を食いしばるような作業が多いので、口の中に異状があると、必要以上に体力を消耗してしまいます。これでは士気にも影響しますし、作業効率が悪くなってしまうおそれも出てきます。そんな時、自衛隊員たちに喜ばれたのは私たち有志からのビタミン剤の差し入れでした。野菜ジュース同様に効果はてきめんだったようで、「次にいらっしゃる時も、ぜひお願いします!」と懇願されたものです。
・さすがに生と死を目の当たりにする現場ですKら、特に若い自衛隊員たちは精神的に辛かったと思います。その点に関しては、とにかく自分の中にため込まないように、一日の作業が終わったあと、全員が車座になって、その日思ったこと、感じたこと、辛かったことをすべて吐き出させる、というメンタルケアは徹底していました。
・こんな過酷な状況下でも倒れることがないのは、日頃の訓練で「効率良く作業をし、効率良く休憩する」ことが身についているからでしょう。短い時間でも、しっかりと休憩すれば疲れは取れます。作業しているそばでダラダラと休んでいても、さして疲れが取れないばかりか、傍目からは「サボっているんじゃないか?」と思われてしまいます。終わりが見えない作業が続くだけに、現場から離れたくない心情もわかりますが、そこはあえて気持ちを切り替えて、人目につかない場所に移動して、リフレッシュをはかることが大事になってきます。
・今回は「即応予備自衛官」「予備自衛官」にも災害招集命令が発令されました。これは予備自衛官制度創設以来初となるケースです。彼らは普段、企業などに就職しながら、年間に規定された日数の訓練を受け、何か不測の事態が生じた際には、いつでも任務につけるように待機しているポジションですが、制度自体はあったものの、実際に招集がかかったのは初めてのことです。「即応予備自衛官」は基本的に自衛隊のObによって構成され、招集されると第一線部隊の一員として、現職自衛隊員とともに任務に就きます。「予備自衛官」は元自衛隊員だけでなく、予備自衛官補としての教育訓練を修了した者も含まれ、こちらは後方地域からのバックアップや、人手が足りなくなった駐屯地の警備に回ったりします。
・福島原発への放水作業には陸上自衛隊の大型輸送ヘリ「CH-47」が2機、投入されました。海水約7tが入った巨大な容器(バケット)を吊り下げて、3号機の上空から計4回、海水を投下する-こうやって文章にすると、なんとも単純な作業のようにも思えますが、実際にはかなりの危険を伴う「命懸け」の任務でした。なぜならば、放射線量がもっとも高くなっているのは、原発建屋の真上。ヘリはまさにそのポジションで作業をしなくてはいけないからです。放水の精度をあげ、効果を最大限まで引き出すには、どうしてもホバリング(空中停止)して高度を下げる必要があります。つまり、自ら放射線量の高いポジションへと突っ込んでいく覚悟を持っていないと遂行できない任務なのです。それだけではありません。もし炉心溶解が進んでいれば、放水することによって水蒸気爆発を誘発する危険性もありました。
・危険伴う放水用のヘリなんて、本音を言えば誰も乗りたくありません。いつもなら「オマエが行け」と命令を出す上官も、さすがに今回ばかりは悩んだそうです。結婚したばかりの隊員、まだ子供が小さい隊員。それぞれの家族の顔が浮かんでくると、さすがに「オマエが行け!」とは言い出せません。そこで放水作業の決行が決まった時、すべての隊員を集めて「オマエたち、行けるか?」と問いかけると、なんとそこにいた全員が手を挙げて「自分がいきます!」と志願したといいます。死をも覚悟しなければいけない任務に、自ら志願する。これがどれだけ勇気のいることかおわかりいただけますか?
・ヘリからの放水は水蒸気爆発を招くことなく、無事に完遂しました。その成果はどれぐらいあったのかは正直微妙だったかもしれませんが、少なくとも「もうダメなんじゃないか」と絶望にも似た感情を抱いていた国民に希望を与えられただけでも、決行した意味はあると思います。実際、避難所からこの光景を見ていた東京電力の社員たちは「自分たちもしっかりやらなければダメだ!」と決意を新たにしたといいますし、アメリカからは「彼らは英雄だ!」と賞賛の声が届きました。これがのちに米軍との「トモダチ作戦」が円滑に進められるきっかけにもなっていることをみなさまはご存じでしょうか?私も国民栄誉賞クラスの働きをした、と思っています。この本を読んでいただけた方には、命を賭してヘリに乗り込んだ自衛隊員がいたということ、現場にいたすべての自衛隊員が出動を志願したということだけは知っておいてもらいたいのです。そして、心の中でも構いませんから、大きな拍手を送って頂ければ、彼らにとって大きな励みになると思います。
・今回、「トモダチ作戦」と銘打たれた災害救助活動を始め、米軍の協力も絶対に忘れてはいけない重要なポイントです。空母2隻を含む、15隻という異例の規模で艦艇をを派遣。ピーク時には1万6000人の人員と、140機の航空機という大型の支援も実施。これは朝鮮半島や周辺地域での任務や訓練をすべて中止して、日本のために駆けつけてくれたことを意味します。艦艇による捜索活動や、ヘリによる物資の輸送はもちろんですが、北海道から被災地まで陸上自衛隊員と車両を搬送してくれたり、大きな被害を受けた仙台空港やJR仙石線などのインフラ復旧にも全力を尽くしてくれました。
・米軍のスキルの高さは想像以上でした。あそこまで壊滅的な状態になっていた仙台空港を復旧させたのは、やはり米軍の力あってこそだと思います。もちろん自衛隊でも復旧可能でしたし、自衛隊員たちは自分たちに任せてほしかったところでしょうが、3月31日までに復旧させて日本側に引き渡す、という工程表を作り、それをぴったり工程表通りに進めたのですから驚きです。日本側で進めていたら、安全性ばかりを優先して、もっと時間がかかっていたでしょう。私も仙台空港を視察しましたが、米軍のモラルの高さにも驚きました。
・私も何度となく被災地に入り、避難所にもお邪魔しています。最初に避難所にお伺いする時、私は現地の方にこう言われました。「佐藤議員、覚悟をしてお入りください」たしかに避難所を視察した政治家たちが、非難の的にされている映像は何度となく目にしていますし、テレビに映らないだけで、実際にはもっと被災者の不満が爆発していることは、容易に想像できます。これは仕方のないことですし、長期にわたって不安を抱かせてしまった政治家は不満の声を真摯に受け止める責任があります。ところが私が避難所に足を踏み入れると、近寄ってきてくださった方々は口々にこう言うのです。「本当にありがとうございました!」「自衛隊さんにはいつもお世話になっています!」これには私に「覚悟してください」と忠告してくださった方も、さすがに驚いていましたが、この時、自衛隊のOBである私は、被災者のみなさんに自衛隊員たちの”心”が伝わったんだなあ、と実感しました。
・阪神・淡路大震災の際には彼らは本当に悔しい思いをしたことでしょう。ベストの判断でいち早く駆けつけたというのに、知事からの要請がなければ、県境から1ミリたりとも前進できない・・・そうこうしているうちに救えるはずだった命がどんどん失われていくのですから、やりきれない思いでいっぱいだったはずです。さすがにこれを受けて法律は改正され、大きな災害の場合、自治体の要請を待つことなく自衛隊が出動することが可能になりました。東日本大震災で迅速に出動し、たくさんの命を救うことができたのは、実は阪神・淡路大震災での辛い教訓が活かされていたわけです。
・私は自衛隊だけでなく、警察、消防、海上保安庁など命を賭して任務にあたっている公的機関については、今こそ評価制度を変えるべきだと思っています。いきなり勲章を出せとはいいませんが、自己犠牲を払って大きな働きをした者に対しては、なんらかの名誉を与えるべきです。これがあるとないとでは大違いです。何がしかの名誉が与えられれば、自衛隊員たちも命を懸けて頑張ってきたことが報われるわけですし、それが誇りにもなります。そして、それが全体の士気を上げることにもつながるはずです。
・被災地でもたくさんの「ありがとう」をいただきましたが、私が感銘を受けたのは自衛隊に救助された80歳のおばあさんの言葉でした。「助けてくれてありがとう。私、生まれ変わったら、必ず自衛隊に志願しますから。何度生まれ変わっても自衛隊に入って、今度は人を助けますから!」これは勲章と同じくらい重みのある言葉だと思います。
<目次>
はじめに
第1章 自衛隊は東日本大震災でなにをしてくれたのか?
-その知られざる実績と、2万人を救った機動力の秘密
すべては「被災者のために」
地震発生の瞬間、すでに自衛隊は動いていた!
「30分以内に出動」と自衛隊の”自己完結性”
捜索・救助活動の鍵は大量の「携帯電話」
救助したらそれで終わり、ではない
必要な物資がない中での救助活動
食事だけでなく”心”も配る「民生支援」
自衛隊員たちの食事と栄養状態
休憩時間すら返上で奮闘する自衛隊員たち
留守部隊にも賞賛と拍手を!
どうしてヘリから物資を投下しないのか?
原発へのヘリ放水には心の国民栄誉賞を!
米軍との「トモダチ作戦」の裏側
被災地から届いた「ありがとう」の言葉
第2章 自衛隊とは何か?
-その成り立ちから彼らの心の内を知る
そもそも「自衛隊」とは何か?
自衛隊の主たる任務は「国を守ること」
誤ったシビリアンコントロールの解釈
陸・海・空、それぞれの役割
「災害派遣」と自衛隊
海外派遣でも”心”が大切
海外での自衛隊の評価はどうなっているのか?
自衛隊と住民のコミュニケーション
なぜ自衛隊員は制服で外出しないのか?
私がツイッターを活用する理由
人間として、自衛隊員として
第3章 自衛隊員はなぜかくも屈強なのか?
ーその知られざるメカニズムを解く
なぜ彼らは限界を超えて頑張れるのか?
どうすればかくも強い”心”を保てるのか?
東日本大震災、これは弾丸を撃たない実戦だ!
絶対に乱れない規律の秘密
自衛隊とは「教育の場」でもある
なぜ自衛隊は原発事故でも活躍できるのか?
女性隊員の扱いはどうなっているのか?
第4章 自衛隊は今後いかにあるべきか?
-もし「ヒゲの総理大臣」が誕生したら・・・・・
政府の指針は正しかったのか?
自衛隊員の人数は少なすぎる!
予算もモノも不足している!
今回は「有事」ではなかったのか?
指導者ならば「責任」を取れ!
あくまでも「国防」を軸にすべき!
自衛隊にもっと「名誉」を!
そして・・・・・福島のこれから
おわりに
面白かった本まとめ(2011年下半期)
<今日の独り言>
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