「作家の収支」の購入はコチラ
「作家の収支」という本は、19年間で280冊の本を出し、総発行部数1400万部、総収入15億円の小説家が、その印税や原稿料、後援会、インタビュー、ラジオ、テレビ、ドラマ化などの収入や支出について赤裸々に具体的に明らかにしたものです♪
原稿料は、小説やエッセイでも同じで、しかも誰が書いたとしても原稿用紙1枚に対して4000円~6000円と相場が決まっているとは驚きましたね。
業界としてそうなっているようです。
また、印税率は8%~14%で売れてからではなく、印刷した時点で印税がもらえるとは面白いと思います。
それからこれは想像通りでしたが、単行本よりも文庫の方が安いし圧倒的に売れているとはナルホドと思いました。
そのほか以下のことについて書かれていて、興味深かったですね♪
・入試問題に小説が使用されることがあるが、入試問題は機密であるため事前の承諾を得る必要がない。ただ公開されるときに作者の承諾と著作使用料を支払う義務が発生する。
・文庫などの解説料は約10万円と相場が決まっていたが割に合わないので25万円に引き上げることができた。
・電子書籍の印税率は15%~30%が多い
・翻訳の場合は原作者と翻訳者で印税は50:50で折半するのが普通
・日本の著作権は作者の死後50年までだが、多くの国では70年
・単行本の強みは装丁の美しさにある
・サイン会は誰が得をするのかよくわからないイベント
・講演会は1時間40万円の講演料で受けた
・講演会で話したことも本として出版することができる
・インタビューは無料か数万円の謝礼が出るだけで、仕事して生産的ではない
・ラジオでもTVでもインタビュアがこちらへやってくる場合(取材)には出演料はない。スタジオへ出向いて話をするときは出演料がもらえる。
・小説がドラマになる場合、1時間の放映に対して著作使用料は50万円くらいの額である
・映画かされると原作は164%増で売れ、連続ドラマ化は10%増だった
・教科書に作品が採用されても毎年印税がもらえる
・作家の特典として取材旅行があり出版社が支払う
・発行部数が何百万部突破などの時に記念品をもらえた
・作家になったあと、自分の本の見本が10冊の他に、他の方の本もたくさん送られてきてびっくりした
・出版社との打ち合わせのための交通費や自動車購入は経費となるが、洋服は経費で落とせない
・作家は不安定さがあるからかクレジットカードやローンの審査が通らない
・最近はベストセラーが出にくくなっている。しかしマイナーなものが以外とファンが多く、メジャーな商売のターゲットとなっている。
・小説家志望の人は1作を書いたあと、その反響を待つのではなく、次の作品にすぐに取りかかるべき
・作品は無料で配布すべきではない。ボランティアでは仕事にはならないし一流にもなれない
・自分が考えた理屈にすがって、「正しさ」そして「美しさ」を目指して進み、「勤勉」を自分に課すこと!
「作家の収支」という本は、作家を目指す人や出版業界に興味がある方にとてもオススメです!
以下はこの本のポイント等です。
・小説雑誌などでは、原稿用紙1枚に対して4000円~6000円の原稿料がもらえる。たとえば、50枚の短編なり連載小説を書けば、20万円~30万円が支払われるわけで、毎月これがコンスタントに書ければ、生活には充分な額になるだろう。なにしろ、作品を書くために必要な資材がいらないので、売り上げがすなわち所得になる。ちなみに、マンガの原稿料は、普通1枚(1ページ)で6000円~15000円と聞いた。原稿用紙1枚に文字を書くのと、マンガ1ページ分の絵を描くのを想像してみてほしい。おそらく時間的に20倍以上は違うだろう。マンガの場合は、一人では〆切までに仕上がらないため、アシスタントを雇わなければならないが、この場合賃金を支払う必要がある。文章を扱う作家が非常に効率が良いことがご理解頂けると思う。原稿料でも、新聞などはもっと高い。そのかわり文字数がかなり厳しく規定されていて、何文字書いても良いというわけにはいかない。雑誌などでも、原稿料が高いところがあって文字数が規定され、1作で2万円とか5万円という具合に指定される。たいていの場合、小説ではなく短いエッセイの依頼だ。原稿用紙で計算すると、1枚で1万円以上になるとこともある。新聞の連載小説などは、1回分が5万円ほどで、これが毎日だから、1年間掲載すれば、この連載だけで1800万円の年収になる。
・僕が知っている限りでは、原稿料は小説でもエッセイでも同じである。内容には関わらない料金が設定されている。それどころか表向きは誰が書いたものであっても公平に同じ金額である。つまり、原稿用紙何枚かという長さだけで料金が決まっている。この平等意識というのは、ビジネスの目で見ると、非常に不可思議と言わざるをえない。どんな人気作家であっても、また駆け出しの新人であっても、また、その作品のファンがどれだけ待っていても、もの凄い傑作なのか、どうでも良いような駄作なのか、そういうことで原稿料が変わることはない仕組みになっている。
・作品がたくさん売れることの利潤を作家に還元する仕組みが「印税」と呼ばれるものである。「税」という文字がついているが税金ではない。著作権者に支払われる使用料(ロイヤリティ)のことである。本来ならば、作品を生みだした作者に対して、それを受け取る読者が支払うのが筋だが、間に出版社が入り、出版社が著作権者の承諾を得てこれを利用して本を作るので、ここで、出版社が作者に支払うことになるのが印税だ。すなわち、これは、作者と出版社の間の契約で定められる。
・印税というのは、法律などで額(あるいは比率)が決まっているものではないらしい。普通の書籍の場合は、僕が聞いた範囲では、印税率は、本の価格の8%~14%の範囲であり、僕自身が経験したのは、最低が10%で最高が14%だった。芸能人などが本を書いた場合などで、印税率として比較的低い例があるようだけれど、それはゴーストライタがいたり、あるいは所属事務所との契約で利益の一部が事務所のものになっていたりする。またライトノベルなどで8%という噂を耳にしたこともあるが、それはきっとイラストレータの取り分が2%なのだろう。基本的には、10%が圧倒的に多い。現在は、ほとんどの出版社が書き下ろしならば12%、書き下ろしでないときは10%である。
・単行本、ノベルス、文庫などの累計部数を示そう
単行本:1,502,000
ノベルス:4,031,700
文庫:7,913,500
新書:452,500
絵本:123,000
これは僕の本のうち、現在までの印刷書籍の集計である。「新書」というのは、小説ではなく、ビジネス書などに多い「表紙に絵のない」本である。やはり文庫が圧倒的に多い。ノベルスも健闘しているが、これは初期の頃のシリーズものが、単行本出さず、ノベルスからスタートしているためだ。単行本は価格が2倍であっても、トータルとしてはノベルスや文庫の売り上げには及ばない。
・入試に使われる場合、事前に承諾を得る必要がない。入試問題は機密でなければならないからだ。したがって、学校側は黙って使用し、試験が終わったあと作者に報告をする。この時点では著作使用料は無料である。しかし、入試問題は最近は公開されることになっている。このとき、引用した文章の作者から承諾を得て、著作使用料を支払う義務が生じる。問題を無料で公開する場合であっても、承諾と使用料が必要になる。さらに、入試問題は、そのあと書籍になる場合が多い。大学であれば、赤本と呼ばれる本に収録される。こうなると、その問題集の印税の一部(引用された文章のページ数で按分)が支払われる。問題集は、そのあと毎年印刷されるし、相当な数が発行されるので、ページ数は少なくても、時には1件で毎年数万円の額になる。入試ではなく、模擬試験で使用されたり、予備校なおの問題集で使われたりする場合もある。僕の場合、ここ数年、1年間で100件近い使用があった。それが毎年あり、過去のものが蓄積される。著作使用料は、法律で決まっているわけではなく、著作者が自由に決めて要求できるようだ。あまり高ければ、つまりその問題は公開(掲載)されないことになるのだろうか。僕は、日本文芸家協会が規定している料金をいただくことにしている(ちなみに日本文芸家協会の会員ではない)。面倒だから無料にしている人もいるかもしれないが、著作権とものがこの世にあることを、なるべく多くの人に認識してもらう良い機会であるので、すべての連絡に応じ、料金をいただくことにしている。ちなみに、多くは1件が1000円~2000円程度である。
・僕は文庫の解説の原稿料を25万円に引き上げることにした。10万円ではやれない、という判断である。25万円もらえれば、必要な時間と労力に見合った仕事だと考えたからだ。それに、未読のものであれば、読んだあとに断れることを条件にした。読んで断れば一銭にもならないが、依頼側も時間を消費することになるので、これはしかたがない。原稿料や印税と同じく、この解説も報酬が事前に決まっている。出版界では、慣例として定められている料金が多いのだが、仕事というのは、本来引き受ける側が料金を設定するものだ。もし、仕事が欲しかったら安くし、面倒なものは高くする。従って、いずれも作家から料金を提示するのが自然だろう。少なくとも、出版社と作家の間で交渉の機会があってしかるべきだ。解説の料金を25万円に引き上げたあとも、依頼があった。出版社の編集部は驚いたようだが、その金額で折り合いがつき、僕は気持ちよく仕事をした。ほかにも自分で値段を決めたものつぃて講演料がある。1時間40万円と決めている。この金額は安くはないが、高くもない。ごく普通の相場である。
・現在では、電子書籍の印税率は15%~30%が多いようだ。定価の15%とか、最終価格の30%とかが作者の取り分になる。残りを出版社と電子書店で分け合うことになる。電子書籍は、価格も自由に変えることができるので、安売りも頻繁に行われるが、この場合の印税についえは、元の値段で計算するのか、売れた値段で計算するのかは契約時に定められる。印税率が印刷書籍の約3倍なので、売れる部数が3分の1でも、作家にとってはほぼ同額の印税収入が得られる(電子書籍は印刷書籍の文庫版よりも若干安いが)。さらに違っている点がある。印刷書籍は、印刷された部数に対して印税が支払われるが、電子書籍では印刷されないわけだから、実際に売れた部数によって印税が支払われる。定期的に販売数が報告され、そのつど印税が振り込まれるようになっている。こうなると、最初にまとまった収入がないので、作家は少々心細いかもしれない。もともと、出版社が抱えていたリスクが消えて、そのリスクを作家が受け持つ形といえる。これは、非常に「自然」である。電子書籍の場合、時間の経過とともに売れ行きの変化を把握できる、というメリットもある。本の価格も変化するので、その影響も把握しやすい。マーケティングのデータが得やすいシステムといえる。
・海外で作品が出版される場合の翻訳がある。この場合、まずその言語に翻訳する作業がある。すると、この翻訳者にも著作権が生じる。ここで、印税の割合をどうするのかはそれぞれの契約によるが、僕が経験したものでは、原作者と翻訳者で折半、つまり50:50で分けるのが普通のようだ。なにしろ、原作者としてはなにも作業はない(訳されたものを確認できる言語能力がない場合が多い)。異国で自分の作品が読まれるという精神体験をするだけであるし、ただオリジナルを作ったというだけで印税の半分がもらえるのだから、考えてみたらありがたいプロジェクトである。
・漫画家される場合には、原作に沿って漫画作品が作られる。オリジナルがあるため、やはり雑誌掲載時の原稿料や、単行本になったときの印税を、原作者と漫画家で分けることになる。この場合も、比率はそれぞれで契約をするわけだが、50:50になる場合が多いようだ。ただし、最初の原稿料については、漫画家の比率が高くなる場合もあり、たとえば、7:3とか、8:2といった按分になる。これは作業量を考慮した数字だろう。漫画の制作は文章の執筆よりもはるかに労力が必要だ。アシスタントの人件費もかかる。妥当なところだろう。しかし、単行本になったときの印税については、両者ともに作業は少ないので50:50でも理屈が合う。
・著作権は作者が生きているうちは作者のものであるが、作者が死んだ後は、日本では50年間遺族がその権利を持つことができる。これは、著作権の保護期間と呼ばれているが、50年というのは外国と比べると短い。アメリカやヨーロッパなど多くの国では70年だ。日本でも、70年に変更するように海外から圧力がかかっていると聞いている。一度創作すれば、ずっとその利用を独占する権利が生きている。ここが著作権の凄いところである。
・単行本の強みは、装丁の美しさである。僕は自分の本を作るときにカバーのデザインに口を出す。逆に言えば、印刷書籍のアドバンテージはそこしかないからだ。最初からそれがわかっていたので、作家になってすぐに、ブックデザインに力を入れるようになった。ただ、自分でデザインしたり、自分でイラストを描いたりした本は数冊しかなく、ほぼ専門のデザイナーにお任せしている。そして、ラフデザイン、イラスト候補、下書きなどの段階から何度もチェックをするし、数例のバリエーションを出してもらって選んだりもしている。(僕の本のカバーデザインをもっとも多くしていただいているのは、鈴木成一氏である。今では信頼関係があるため、出来上がるまでお任せの場合も多い。ただ、その鈴木氏でも、初期には喧嘩寸前の応酬もあった)。
・普通は、講演会よりもサイン会などが手軽に企画され、多く開催されるだろう。サイン会は書店で行われることが多い。新刊が出たときなどに、その本を書店で買った人に対してサインをする。ファンはサインが欲しいから、そこで本を買うわけだが、作家は特に報酬もなくこれを引き受けているようだ。謝礼が出ることもあるけれど、多くてもせいぜい10万円くらいである。これは出演料といえるかもしれないが、僕にしてみたら、文字を書きつつ人と会話をする「労働」である。なにしろ、100人もファンが集まれば、サインをするだけで1時間では済まない。僕は文字を書くのが苦手なのだ。サイン会は、出版社の広報部(営業)と書店が企画するものがだが、いったい誰が得をするのかよくわからないイベントである。もちろん、そこにたまたま来ることができた読者は得をするが、せいぜい100人だから、もし1万部売れる本であれば、僅か1%の客にだけサービスしたことになる。書店は本が100冊売れるが、この利潤は数万円だろう。出版社の人もスタッフとして駆けつける。みんな仕事をしたつもりになっているのだが、宣伝効果はほとんどないといって良い。ただ、書店の店長が、作家を呼ぶ力があると誇示できる、というくらいがメリットである。僕はサイン会ではあまりにも非効率であるので、名刺交換会というイベントを何度かやった。これだと名刺を交換するときに相手の顔を見て話ができ、顔を覚えることもできる。サインよりも短時間で済むので、300人くらいでも可能だ。ファンサービスとしては、こちらの方が有意義だと思われたので、サインをせず、名刺を交換する作家になったわけである。ただもちろん基本的に無料奉仕である。
・講演会は話すだけで何十万円ももらえるなんて良い仕事だと思われるかもしれないが、講演を録音してこれを文章に起こし、本として出版することもできる。話したことも、著作権が生じる。もし本になれば、その印税は講演料よりはずっと高い。特に講演料が高い有名人だったら本もそれだけ売れるから、何倍にもなるはずである。
・インタビューは無料か、数万円の謝礼が出るだけだ。消費する時間やそれに対する効果を考えると、仕事して生産的だとは思えない。話をするのではなく、メールで答えるインタビューも最近増えてきた。この場合、文章に起こす作業がなくなる。作家が自分で書くのだから、論点も狂わないし、間違いがない。これからはもっと増えるだろう。これに対しては、原稿料としてもらえる場合と、謝礼だけの場合があるようだ。掲載される媒体によって料金もさまざまである。また、コンテンツの著作権が質問者にあるのか、回答者にあるのかという点も不明な場合があるだろう。
・ラジオにも、何度か出ている。これはほとんどインタビューを受ける形式のもので、大した出演料にはなっていない。謝礼が出た程度である。一般にTVなどの出演料は思いのほか安い。これは、有名なタレントであっても、例外ではない。その番組のレギュラーとか看板的な主演者は人気に応じて値段が跳ね上がっていくが、スタジオにただ呼ばれるだけのゲストは、収録に時間がかかる割に出演料は微々たるものだ。TVというのは、出れば自身の宣伝になるという意味があって、皆が出たがっている。そこで顔を売って、別のところで(たとえば講演会とかで)稼ぐための広報活動といえる。しかし、以前に比べれば、その宣伝効果は確実に低下しているだろう。TV自体がかつてほど大勢が見るものではなくなっている。メディアの一つにすぎない。これは、新聞でも同じで、昔のような絶大な宣伝効果は失われている。
・ラジオでもTVでもそうだが、インタビュアーがこちらへやってくる場合(つまり取材)には出演料はない。こちらから、スタジオへ出向いて話をするときは、出演料がもらえる。そういう仕切りらしい。どちらも話すことは同じなのに、場所が違うというだけで区別されているようだ。
・TVの出演料は自分がTVに出たときの料金だが、自分の作品がTVに出ることもある。小説がドラマやアニメになる場合だ。幸運にも幾度かその機会があった。いずれの場合も、著作使用料がいただける。小説がドラマになる場合、1時間の放映に対して50万円くらいの額である。おそらく、あちらの業界でなにかしらの規定があるのだと思う。少なくともいくらにしましょうか、という話し合いはなかった。作家にしてみれば、宣伝になって本が売れるので、いくらであっても、普通は断らないだろう。ちなみに劇場映画だと数百万円になる。これがロイヤリティとしてまず頂ける額だ。その後、TVも映画も、DVDになったりすれば、その一部が印税として受け取れる。またその映画が、TVなどで放映されるごとに幾らかいただける。最初の使用料ほど多額ではないが、微々たる額ではない。さらに、どのドラマや映画などの関連グッズに対しても印税が発生する。こちらは微々たるものといっても良いかもしれない。
・押井守監督のアニメ映画になった「スカイ・クロラ」で原作がどんな影響を受けたのか、その部数の推移を見てみよう。映画の告知があったのは、2007年、公開は2008年だった。増刷に影響が出ているのは2007年からで、特に文庫で大きな影響が表れている。アニメと同じ表紙になったノベルス版は2年で6000部の増刷なので、それほど大きなセールスとはいえない。注目すべきは単行本の増刷数が予想外に多かったことで、これはカバーデザインが受け入れられたものと思われる(鈴木成一氏によるかなり斬新なデザインだった)。この作品では、映画が告知されたのは出版の6年後だが、その6年間で売れた13万4000部に対して、その後の部数は22万部と圧倒的に多い。連続ドラマは10%増の効果だったが、映画化は164%増になる。さらに、この「スカイ・クロラ」もシリーズものの第1作で、ほかに5作の続編がある。これらも販売数が伸び、映画の影響と思われるセールスで、シリーズは合計100万部を突破した。特に値段の高い単行本で数が出ているため、映画化で得られた印税はほぼ1億円にもなった。164%増という数字は母数が少ないことによる。もともと売れていないシリーズだったのだ。それから、やはり押井守というブランドが普通ではないということが大きい。DVDは海外でかなり売れていると聞く。またTVでも何度か放映されている。そのたびに印税収入が原作者にもたらされる。この映画に関係した人で1億円も得をした人がいるだろうか。
・小説は1万人が買えば商売として成立する。10万人が買えばベストセラーである。しかし、映画は100万人が見ても、成功とはいえない。もう1桁上なのだ。エンターテイメントは、どんどん多様化していて、昔のように大勢が同じものを見る、という時代ではない。これから、どんどん難しくなっていくだろう。逆に言えば、小説のマイナーさは、ここが強みだということ。
・試験問題ではないが、教科書に作品が採用されることもある。新潮社の雑誌に発表した僕のエッセイが高校の国語の教科書に掲載されたことがある(現在も使われている教科書だ)。この場合も、教科書の部数に価格と印税率(通常は5%程度)とページ占有率(教科書全ページのうちどれくらい文章が占めているか)を乗じて印税が計算される。教科書は毎年使われるので、毎年印税が頂ける。さらに、その授業を行う先生たちが読む指導要綱のような本があって、そこにも文章が掲載されていれば印税が発生する。この教科書の文章が、塾や予備校で模擬試験に使われれば、その問題を公開するときに承諾と著作使用料が必要になる。こえらの著作使用料は、一つ一つは少額であるが、数が多くなり、年々蓄積すると、けっこうな額になる。ここ数年、僕は1年に50万円ほど頂いている。ただ、承諾書に捺印して送り返す事務手続きは大変面倒だ。少しずつネットでの処理が可能になっているので、メールで書類を送り、メールで返答するといった具合にして頂きたい。今はまだ、半数以上が封筒と手紙で届く。
・収入ではないが、「特典」というのか、そう呼べるものは作家には幾らかある。たとえば、取材旅行などがそうだ。これは小説を書いてもらうために、出版社が企画するもので、僕も海外取材の経験が4回ある。いずれも僕の奥様も同伴した。その2人分の旅費、宿泊費、食事代などをすべて出版社が出してくれた。僕は、どこへ行っても土産物は買わない。買うのは、模型店で売っている店主の自作品くらいだが、これはさすがに自分の金で買う。行ったのは、イギリス、フランス、スイス、イタリア、そして台湾である。まだ出版不況と大きく騒がれる前のことで、飛行機もファーストクラスだったし、ホテルも一流、レストランも5つ星、みたいなゴージャスな旅行だった。それで取材をして何を書いたのかとうと、確かな記憶がない。ようするに、はっきりとした契約が事前にあるわけではなく、むしろ作家へのボーナス的な意味合いなのだろうか(と勝手に解釈しているが、叱られるかもしれない)。
・海外ではなく、国内の取材旅行も方々へ出かけた。地方の遊園地を巡ったりしたのだが、これは何を取材したのか、まったく作品に活かされていない。取材ではなく、札幌とか長崎とかの遠方で名刺交換会をすることにして、その前後で観光するといった旅行も幾度かあった。例外なくいえることは、僕から「行こう」と言い出したことは一度もない、という事実である。行きたいのは編集者なのかということになる。それはわからないでもない。編集者は大変に忙しい重労働だから、たまには羽根を伸ばしたいと考えるのだろう。森博嗣なら酒につき合うこともないし、面倒な指示を受けることもない。気楽に楽しめたのではないか(と勝手に解釈しているが、叱られるかもしれない)。
・「役得」という観点で話を続けると、たとえば、発行部数が何百万部突破みたいな記念で、「なにか希望はありませんか?」と聞かれることがある。何度かそれがあった。この場合も、こちらから言い出したわけではなく、編集者が「なにかしましょう」と提案してくるのである。彼らにしてみれば、旅行とか高級レストランで食事会なおが良いのかもしれないが、僕は時間がかかることはできるだけ避けていた。大学は忙しく、休みはなかなか取れない。それに、僕は自由時間には自分一人でやりたいことがある。大切な時間を無駄に消費したくなかった。そんなわけで、「記念品を作りましょう」といった話になる。たとえば、森博嗣がよく登場させる「のんたくん」という小熊のキャラがいるのだが、このぬいぐるみを作ったことがあった。全部で100匹作って、半分くらいは読者に抽選でプレゼントした。編集者や親しい作家の友人にも配ったが、まだ30匹くらい残っている(友達が少ない証拠だ)。のんたくんは、もともと僕が持っているぬいぐるみなので、ぬいぐるみがぬいぐるみになっただけである。
・作家になった後、たくさんの本が送られてきてびっくりした。自分の本も発行のたびに見本が10冊届くが、それ以外に新品の本がたくさん届くのだ。出版社が送ってくるものもあるし、作家が送ってくるものもある。なかには、頼んでもいないのにサインがしてあるものもある。僕は小説を滅多に読まない人間なので、このような贈呈本のうち小説はほとんど読んでいない。読まないからといって捨てるわけにもいかず(サインがあったらなおさら捨てにくい)、どんどん部屋に溜まってしまった。引越の時に整理して箱詰めしたが、2000冊くらいにもなっていた。売ったら、ちょっとした額になったのではないだろうか。このような本が届いたのは、僕がブログを書いていて、誰某から本をもらった、と感謝の一文を書くことが多かったからだ。それだけで宣伝になったのだ。そういう時代だった(15年以上まえの話だ)。今では、その程度のことではまったく影響はないだろう。
・もちろん「経費」は完全にゼロではない。たとえば、出版社との打ち合わせをするために東京へ出向くことがあるが、このときの交通費は、「経費」としても良いだろう。前は新幹線で行けたが、今は飛行機だ。仕事なのだから、自腹は切りたくない(といって、ここまで出版社に負担させるのもおかしい)。税金というのは、国税が40%(2015年から45%)、住民税が10%くらいであるから1億円の所得があれば、半分の5000万円を納税しなければならない。もし、交通費の10万円を経費として計上すると、その分所得が減るので税金も減る。結局いくら得になるのかというと、10万円の50%つまり5万円だ。このように考えると運賃が50%引きなんだな、半額セールなんだな、と意識できて、ものすごく得をした気持ちになれる。まるで国税局が割り引いてくれたみたいにも錯覚できるので、精神衛生上もよろしい。
・不思議なことに、洋服は経費で落とせない。著名な作家と対談をすることになったから、恥ずかしくない格好をしていきたい。それで、新しい服を買うことがままあるのだが、それは個人持ちであり、つまり単なる生活費に含まれる。洋服というのは、そういう位置づけらしい。その対談のときだけしか着ない、といっても駄目らしい。貸衣装だったら経費になるのかもしれない。
・洋服は経費にならないが、自動車は経費で落とせるのである。税理士さんから聞いてびっくりした。ポルシェを新車で買ったことがあるが、償却資産で経費になった。自動車は仕事で使うもの、という古い観念があるらしい。お医者さんがみんな高い外車に乗っているのはこのためである。ゴルフなんかも交際費として落とせるのではないか(これは想像で書いている)。とにかく、皆さん、節税になるものなら、財布の紐が緩むらしい。まあ、50%引きならば、と気持ちが動くのではないか。
・書いておかなければならないのは、作家という職業の不安定さである。僕は48歳まで国家公務員だったので、その比較を身をもって体験した人間になる。給料をもらっている人は簡単にクレジットカードもつくれるし、ローンも組める。しかし、その何倍も稼いでいても、作家はなかなかそれらの審査が通らない。不思議な話であるが、将来にわたってその収入があるとは見てもらえないということだ。従って、今が良くても、少しは将来に備えなければならない。病気にあったら、仕事はできなくなる。しばらくは失業保険がもらえるが、それ以上の保障はない。このあたりの人生設計は自分で計算して考えるしかない。1作が当たっても、次が当たるとは限らない。多くの場合、当たるのは単なる偶然が重なった結果であって、けっして実力とか作品の魅力ではない。そういう分析は危険である。偶然であれば、当たれば当たるほど、落ち込みも激しいだろう。あぶく銭だからといってぱっと使うのではなく、将来の自分のために幾らかは配分しよう。
・絶対数でいうベストセラーはとにかく出にくくなっている。ベストセラーにランクインするものの部数自体が、かつてよりも一桁低い。ミリオンセラーなど奇跡的な現象となってしまった。これは書籍だけではない。あらゆる商品、あらゆるメディアで観察される現象だ。この傾向はさらに進むだろう。したがって、今はまだヒット作があっても、これからはもっと出にくくなる。平均的にはその方向へ進む。エントロピーが増大する自然現象と同じ理屈と理解する以外にない。
・マイナーなものは、マイナー故に根強い固定客がいる。マイナー故に、そのジャンルのものならすべて買うといった豪快なマニアもいて、通常よりも生産者と消費者の絆が強い。そして、そのマイナーと認識されてきたものが、実は意外に数が多いのである。たとえば、鉄道ファンは小説ファンよりもずっと多い。雑誌の売れ行きが芳しくないと、飛行機か鉄道の特集をするなんて話が昔からあった。マニアが買ってくれるからだ。この頃では、TVでも鉄道ファンを当て込んだ内容のものが増えてきた。鉄道ファンデあることを売り物にするタレントもどっと増えた。マイナーなものが、メジャーな商売のターゲットになっている。
・出版社にこれから必要な業務とは、出した本の宣伝を、もう少し長いスパンで行うことだと感じている。今の出版社は、ただ本を作る。発行時に宣伝をする。そこまででおしまい。そのあとは、もう商品を見ていない。作品だけでなく、作家についてももう少しマネージメントをして、長い目でプロモートしていく業務がこれからは必要になると思われる。作家とそういう契約をするというスタイルもあるのではないか。これはつまり、名作と呼ばれる古い作品でフェアを企画するような営業も含まれる。今あるコンテンツを最大限に利用する。それと同時に、未来のコンテンツについても、なんらかの働きかけが必要だと思われる。そういう仕事は、今は作家が個人的にしているだけで、実質誰も担当していない。やはりビジネスとしてもったいないように感じることが多い。これは以前から何度か書いていることだが、出版社も、最近少しずつその動きを見せるようになった。
・小説家志望の人が一番陥りやすいトラップは、1作を書いたあち、その反響を待って時間を無駄にしてしまうことである。投稿したら、その返事があるまで待つ、なんて悠長なことは絶対にしないように。ネットで公開しても、反響など待っている必要はない。それよりも次の作品にすぐに取りかかるべきだる。それが既発表昨への最良の援護射撃にもなる。公開すると、多少の反響はあるだろう。それを気にしてはいけない。マイナスの反響で落ち込まないことは当然だが、プラスの反響で有頂天になるのはもっと良くない。数人に褒められても仕方がない。良い気持ちになっても、さっと忘れること。この切り換えができないとプロにはなれないと思った方が良い。大事なことは、個々の反響ではなく、反響の「数」なのである。
・僕は。無料で作品を配布するのには大きな抵抗を感じている。作品の執筆には自分の時間を使ったのだし、「奉仕」のつもりもない。奉仕ならば、小説など買いている場合ではない。もっとやれることがあるだろう。奉仕で無料とするというのは、かなり思い上がった精神だと僕は感じる。10円でも100円でも良い、価格を設定する。それは、なんらかのものを交換するという意味だ。すると、金を払っても良い、つまり本当に「読みたい」「読んでみたい」「興味がある」という人が手を出す。逆に言えば、読み手にそう思わせられない作品、興味を持たれない作品が、価格ゼロなのだ。たとえば、タイトルだけでも、あらすじだけでも、なんらかのアピールをして、ちょっと目を留めさせるくらいの魅力を持っていなくてはいけない。それを生み出すことが、創作者の基本中の基本なのである。極端な話をすれば、手に取ってもらいたい、読んでもらいたい、ではなく、手に取りたい、読みたいという人に応える仕事なのだ。これは、思い上がりと受け取られるかもしれないが、仕事の需要と供給の大原則である。最初からボランティアでは、仕事にはならないし、一流にもなれないだろう。
・小説家になるためにはこれこれこうしなさい、といった既存の「ノウハウ」に惑わされてはいけない。とにかく自分の作品を書けば良い。「手法」はどうでも良い。「どう書くか」ではなく、「書くか」なのである。自分の勘を信じること。自由であり続けること。その場かぎりでも良いkら、自分が考えた理屈にすがって、「正しさ」そして「美しさ」を目指して進むこと。あとは、とにかく「勤勉」を自分に課すこと。これくらいしか、僕にアドバイスできることはない。
良かった本まとめ(2015年下半期)
<今日の独り言>
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