いいね~おいしいね~

食べたり買って良かったもの等を実体験に基づき厳選紹介!ぜひご利用頂きより良い人生や日本経済等活性化につながれば幸いです♪

うなぎ米花(東京 築地場内)のうなぎはオススメ!

2016年07月31日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内8号館にある「うなぎ米花」へ行ってきました♪

うなぎのお店です♪


↑店構え

店に入って、「うな重」3500円を注文します♪
店内は撮影禁止なので写真はありません^_^;)

店のおじさんは、築地には珍しく、かなり客と楽しくしゃべって、いろいろと笑わせてくれます^_^)

しばらくして「うな重」が運ばれますが、うなぎは程よく焼かれて、タレも甘くて美味しい♪
「うな重」は持ち帰りもできるのは素晴らしいと思います。

それから、この「うなぎ米花」は海鮮丼も有名なようです。
かなりゴージャスな海鮮丼で、今度食べてみたいと思いましたね♪

築地場内でうなぎを堪能するなら「うなぎ米花」はオススメです!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

<今日の独り言>
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うなぎ 米花うなぎ / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.2


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大定(東京 築地場内)の卵焼きやプリンはとてもオススメ!

2016年07月30日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地といえば魚河岸で、寿司屋や海鮮丼を思い浮かべると思いますが、実は特に築地場外には卵焼き屋がたくさんあります♪

というのはこの卵焼き屋の卵焼きは、高級寿司店に使われるためです。
デパートなどでも売られているようですね♪

 築地場内にも7号館「大定」があって、食べ歩きように1串120円とリーズナブルに食べることもできます♪


↑店構え


↑卵焼き

この卵焼きが、想像以上に大きくて、そしてホカホカで美味しい!
この「大定」は手焼きにこだわるというのも素晴らしいです♪
もちろん、滋養卵を厳選と素材にもこだわりがあるようです♪


↑大定のこだわりのチラシ

それから実は「プリン」もオススメです!
こちらは300円とちと高いですが、ずっしりとたまごタップリで、とても甘く濃厚で絶品です♪
これもとてもオススメですね♪


↑プリン

なお、この「大定」は築地場外にあるお店が本店で、お店も綺麗ですね♪


↑築地場外の大定

ぜひ、築地へ来た際には、卵焼きも堪能してください♪
とてもオススメです!


美味しかったものまとめ(2016年上半期)

<今日の独り言>
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大定 市場内支店和食(その他) / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5

 
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「世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ(石倉洋子)」という本はとてもオススメ!

2016年07月29日 01時00分00秒 | 
「世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ」の購入はコチラ

 「世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ」という本は、一橋大学名誉教授で専門は営業戦略・競争力・グローバル人材で、各社社外取締役を務める石倉洋子さんが著者で、以下の28のテーマについて人生をよりよくするコツについて分かりやすく書かれたものです

 1 「正しいやり方」より「むやみにやってみる」
 2 気楽に声をかける、答える、質問する
 3 どこに座るかであなたの価値が決まる
 4 好奇心がポイントー朝食会、ランチ、ディナーの乗り切り方
 5 「ダメ元」で言ってみる
 6 先手必勝!-自信がない時こそ実践した発言法
 7 何を着ていくか?
 8 「鈍感」のすすめ
 9 完璧は目指さない
10 一に体力、二に体力!
11 「明日のリーダー」はこう育つ
12 周到に、しかし臨機応変にーパネル討論での議論のコツ
13 自分しか語れないことは何か?-プレゼンテーション必勝法
14 聞いている人の「自分ごと」にする-プレゼンテーション必勝法
15 予行演習とフォローアップを忘れない-プレゼンテーション必勝法
16 他人の知恵を借りる
17 成功か失敗かではない、何を学ぶか
18 当事者意識を持つ-協働がうまくいく前提条件
19 人を組織に合わせるのではなく、組織を人に合わせる
20 言葉で人を動かす
21 仕事は楽にするものー「すぐやる」「順序を変更する」
22 「友人のポートフォリオ」をつくる
23 活動の時間配分を振り返る
24 「やらないこと」を明確にする
25 「つながり」の賞味期限を意識する
26 「ひょっとしておもしろいかも!」-新しいことを始めるコツ
27 思い通りいかず挫折したら?
28 また気楽に始める!-「やめようか」と思った時の対処法

 特に「5ダメ元で言ってみる」は実践することが大切でうまくいけば楽しいし、「8鈍感のすすめ」で誘われたら一度は行ってみるというのも大切だし、「10体力」も大切だと改めて思いましたね。

また、「21仕事は楽にするもの」ですぐやることや順番を変更して生産性アップすることも大切だし、「22友人のポートフォリオをつくる」は年齢に関係なく「すごい」と思う人に出会ったらロールモデルにし、またいろんな分野で相談できる人を持つことも大切ですね。

そして、「24やらないことを明確にする」や「25つながりの賞味期限を意識する」ことも大切だと思います。


 それから以下の3つについて、毎日身近なところからすぐ始め、一時的にできなくても、あきらめずに続けて習慣にすることが大切なようで、確かにそうだと思いましたね。
①これまでの枠組みにとらわれないで自分で考えること
②世界の変化を見ながら、自分の市場価値・ユニークさを常に見極め、磨き、それを表明すること
③世界の可能性を取り込むために、少なくとも当面は英語ができること


 「世界で活躍する人が大切にしている小さな心がけ」という本は、人生をよりよくするヒントがたくさんありとてもオススメです!

以下はこの本のポイント等です。

・これまで重要と思われてきた考え方、アプローチで今や時代遅れになりつつあると私が思うのは次の4つです。
①既存のフレームワークを用いて世界を整理すること
②過去のデータを分析して正しい答えを探すこと、よく考えて答えを見つけてから行動に移すこと
③まず日本という身近な場で考えて、それから世界を目指すこと
④日本社会で通用する基準があり、それに従って自分の力やポジションが評価・判断されるという考え方。よほど才能がある人や地位が高い人などでない限り、普通の個人はあまり力がない、という考え方

・いろいろな情報が得られると、どこから始めたらよいかわからない、と手を動かす前から圧倒されてしまう人や、ガイドしてくれる人がいないと不安を思ってしまう人もいるかもしれません。「正しいやり方をしよう」「無駄はしたくない」などと思わず、とにかく自分ができるところから始めてみることです。自分で試してみる中で次第にコツがわかってきて、誰に何を聞いたらよいかもわかってきます。

・日本では提供されているサービスが当たり前、常識と思われて、決まっていることが多いので、それからあえて違う行動をとろうという気にもならないかもしれません。でも、海外では一般的に自由度が日本より高いようなので、「ダメで元々」と頼んでみたり、聞いてみたりすることをおすすめします。たとえば、レストランのメニューに載っていないものでも「○○はできますか?」と聞いてみると、「できる」と言われることもよくあります。また、「山羊のチーズは嫌いなので、他のチーズに替えてほしい」「つけあわせのフレンチフライを別の野菜にできないか」などと頼むと、多くの場合、対応してくれます。コース料理のデザートも「甘いものではなくフルーツがほしい」とリクエストしてみると、変更してもらえることが多いのです。ニューヨークなどでは、量が多すぎて食べきれない料理の場合、持って帰りたいと頼むと大体の場合はおみやげ用にしてくれます。飛行機の座席など事前に座席指定をしていても、チェックインカウンターで、もっと良い席(前方、座席の前のスペースが広いなど)はないかと聞くと、探してくれることがしばしばあります。もちろん変更できない時もありますが、何も聞かないと何も始まらないので、一応聞いてみる。実際、私は最近ニューヨークを往復したのですが、行き帰りとも良い席に替えてもらうことができました。求めないと何も始まらない、少なくとも自分の希望を伝えることが大事なのです。以前、こんなことがありました。事前に座席を指定していたのですが、チェックインをしようとしたところ、航空会社の人に「席を替わっていただけませんか」と聞かれたのです。どこに移るのかと聞くと、同じ列の反対側だったので、「いいですよ」と返事をしました。「ところで、なぜ?」と聞いたところ、「赤ちゃんをつれた乗客がいて、あなたが予約していた席の前に、赤ちゃんを寝かす台があるから」と言われました。「何だ、そういうことか」と思ったのですが、ついでに、「替えるなら、ファーストクラスに替えてくれてもいいのだけど(笑)」と言ってみました。ほんの冗談のつもりだったので、その時は、スタッフと笑っただけで終わり、すっかり忘れていました。しかし、ゲートに行ったら、ファーストクラスの搭乗券が待っていたのです!あれ!という感じで搭乗券を受け取り、「とりあえず言ってみるものだなあ」と実感したのでした。こんなことがよく起こるとは思えないのですが、気軽に冗談っぽく言ってみることが思いがけない幸運につながるかもしれません。

・一方、ちゃんと予約しておいたのに予約が入っていないと言われたり、ホテルなどで、頼んでいたよりも低クラス(景色が見えない、暗いなど)お部屋に通されたりすることもあります。そういうときは、断固自分の権利を主張しなくてはなりません。そういうときはヒステリックになったり、どなったりしないで、クールに、しかし断固権利を主張するのがコツです。

・私がこうした交渉や喧嘩をする場合は、十分に睡眠をとり、エネルギーレベルを高くしておいて、自信を持って自分の立場をクールに、しかし力強く主張します。それでももめる場合は、「いい加減にしてほしい、ばかばかしい、ひどい」などかなり強い言葉を使いますが(そうしないと私の気持ちが済まないので)、こちらの希望を通すことが目的なので、それを忘れないようにして「喧嘩」します。私の知る限り、ダメで元々(ダメ元)と思っていろいろ要望を出してくる人が海外では多いのですが、相手の主張がおかしい時はロジカルにおかしい、と指摘すると、あっという間に要望を取り下げることが多いです。このあたりは、希望を入れてもらえそうだと思った時だけ要望する日本とはだいぶ状況が違うように感じます。頼む側になったら、ダメ元でいろいろ聞いたり頼んだりしてみる、頼まれ側になったら、ダメなものはダメときちんと断る、というのがよいでしょう。いずれの場合もカリカリしないで、余裕をもってことに当たるのがコツです。

・会合やディナーの席で、あるテーマについてコメントを求められたり、議論をしたりすることはありませんか。日本ではこうした機会は、一部の人に限られているので、どうしたらよいか迷うこともありそうです。その一番のコツは、「口火を切る」、あるいは「なるべく早く順番が回ってくるように位置取りをする」ことです。また、「先手」がとれなかった場合には、簡単なことでもよいので「自分にしか言えないユニークなことを言う」ように心がけることです。これは、その場の言葉が日本語か英語か、参加者が日本人か外国人かにはあまり関係がありません。

・もちろん興味深いすべてのイベントに行き、関心のある人全員に会うわけにはいきません。しかし、新しいアイデアは「組み合わせ」から生まれる場合が多いこと、「違ったもの」に触れるとそれまで考えていたことが新しい観点から見られること、意外なものがつながる可能性があることなど、いろいろな場に行って人に会い、学ぶことのメリットはたくさんあります。私の場合は、日程さえ合えば、誘われたら一度は行ってみることを自分のルールとしています。そして、一度行ってみて、内容や人に興味が持てそうにないとなったら、ほかにすることがなく退屈で所在ない日でも、二度と行きません。紹介されたり、会合で初めて知り合ったりした場合でも、初対面の時にこれからも会いたい人かそうでない人かはすぐわかるので、これからも会いたいと思う人にはかなりまめにフォローをします。自分のレベルよりずっとレベルが高いイベントであっても「出席しませんか」と声をかけていただいた場合、「少しだけ」考えて、結局は行くことにします。気後れしてしまうイベント内容や参加者の顔ぶれの場合もあるのですが、「言い訳リストをつくって避けたいという誘惑」に負けないようにして出席の返事をします。ただし、日程が合わないものは、どんなに行きたくてもすぐお断りして、忘れてしまいます。一度行くと言ったら、体の具合が悪いなどよほどのことがない限り、行くのが鉄則です。

・「完璧の呪縛」を脱するにはどうしたらよいでしょうか。簡単なコツは二つあります。一つは「いろいろ考えすぎないで、すぐ行動すること」。もう一つは「変化を認めること」です。いろいろ考えてしまうと、「完璧の呪縛」に陥りがちです。ああでもないこうでもない、こう言うべきかああ言うべきか、こんなこともありそうだ、と可能性を心の中で次から次へと考えてしまうと、わからないことが多すぎて、何もできなくなってしまいます。その場ですぐ反応する、その時の印象でものを言うことにする。つまり、すぐ行動すると、自分の中でグルグル回る対話はなくなり、対話が外へ出ていくのです。自分との対話も時として有効なことがありますが、普通は周囲と対話することにより世界が広がり、いろいろな意見も聞けるので、外との対話をすぐにすることを心がけてみてください。セミナーや会合で会った人の話に共感したので、何か一緒にやりたいと思った時も、すぐそう言ってみると思いがけない可能性が開かれることもあります。何が好きかわからない、好きなものがないというような場合は、手当たり次第にやってみることも大事です。実際やってみると、「好きだと思っていたけれど、実はそうでもない」ということもよくあります。国際機関で働こうと修士課程までいったけれど、ある日オペラを見たらその魅力の虜になってしまい、オペラの演出家になってしまった、という私の友人もいますから。質問にしても、「あれ?」と思ったことはすぐ聞いてみる。「何かヘン」と思った時に「自分が間違っているのでは?」と躊躇せずに、疑問として聞いてみるのがいいと思います。つまり、「自分がどう思われるかを意識しない」ことを心がける、とでもいえるでしょうか。

・もう一つは「変化を認めること」です。世界がとてつもないスピードで変化していることに異論をはさむ人はいないでしょう。「完璧を期する」という考え方の背景には、何か完全なもの、正しいものはいつの時代も正しい、それを見つけることが大切なのだ、という考えがあるようです。1年前はこう考えていたけれど、いろいろな人に会ったり経験をしたりしたので考えが変わった、というのは当たり前のことだと思います。それなのに、自分の変化を認めず、完璧になるまでは何もできないと考えるのは、自分が進化や変化していくことを放棄しているようにも思われます。科学や経済の世界を見ても、あるいはアートの世界を見ても、ある時点で正しいと思われたことが、新しい発見やアプローチによって、大きく変わってしまうことは多々あります。情報が増え、手段も豊富になってきたために、これまでは正しいと思われていたことがひっくり返ることはよくあります。音楽の世界でもベートーベンが出てきた時、彼の音楽はそれまでにあいような斬新なものだったので、いわば「ロックスターの出現」のようなものだったそうです。それが長い時を経て古典になった。これは、当時の「正しい答えではない」音楽が今や広く普及し、評価されるものになっている、という良い例だと思います。みなさんも、「一歩が踏み出せない」「ためらいがちになる」などと感じたら、「完璧の呪縛」なのではないか、と自問自答してみては?そして一歩踏み出し、自分の変化・進化のプロセスを追うようにしてみてはいかがでしょうか。「世界は刻々と変わっている」ということを忘れてはいけません。

・意外に思うかもしれませんが、グローバルで活躍していくための必須の要件であり、海外で活動する上で私が最も大事だと思うものは「体力」なのえす。これは、実際にMBAを取りに米国へ行った時の私自身の経験、以前に携わっていた経営コンサルティングの仕事、今でもやっている数々の国際会議に出席する経験から、確信をもっていえることです。ここでいう体力とは、丈夫で病気をしないということ以上に、時差や水、食べ物などかなり違う環境へ行っても元気でエネルギーレベルを保つことができる、ということです。世界各地で飛び回る生活をしていると、時差で頭が働かない、仕事にならないというわけにはいきません。いくら和食が世界遺産になったといっても、日本食しかダメというのでは世界でやっていくことは難しい。それ以上に、海外で病気をして病院に行ったり、医師に相談したりするのは、言語の問題もあり、かなり大変です。薬も簡単に薬局で買うわけにはいきません。保険が海外でも適用されるとは限らないし、医療費はとても高額なので、日本で考えるのとはけた違いに大きな負担になります。

・一番びっくりしたのは、夜どんなに遅くまで激しく踊りまくって遊んだりしても、翌朝は何もなかったかのように皆、時間通りに仕事を始めていたことでした。海外の人と仕事をするといつもこのパターンなので、なるほど「体力がないとダメなんだ」と実感しました。こうした経験がきっかけになって、それ以前からも好きだった運動を毎日するようになりました。留学したり、コンサルティングしたり、大学で教えたり、私のキャリアが変化する中、ジョギング、水泳、エアロビクスなどと運動の種類は変わってきましたが、必ずするのはこうした有酸素運動と筋肉を鍛える運動でした。筋トレについては、機械の使い方を教えてもらったことがあるので、世界中どこのジムに行ってもすぐできます。この数年は、以前からやりたかった合気道もやっています。毎年夏を過ごすカナダでは、1日1時間強のかなりハードなサーキットトレーニングを週6日、体力けた違いのカナダ人と一緒にやって、1年を元気に過ごせるような体力づくりをしています。

・毎年5月初めにスイス北東部のザンクトガレン州でサンガレン・シンポジウムが開かれます。日本では世界経済フォーラムのダボス会議ほど知名度はありませんが、同じくらい長い歴史と伝統を持つシンポジウムです。私は2008年から参加していますが、世界にはすごい人たちがいること、また若い世代に機会を提供すると実に素晴らしいことを成し遂げるということを、年々実感しています。

・プレゼンテーションでは、メッセージとともに、どんなストーリーを展開するかを考えます。そのときに自分の経験や事例をちりばめると話が生き生きとしてきます。辛かったことを思い出して、感極まることもあるかもしれません。いかにもプロ!という感じでなくてもよいと思うのです。どんなスタイルでするかにも「自分らしさ」が大切だと私は思います。自分の話をしている時、自分が興味を持っていること、情熱を傾けていることを話している時、人は誰でもとても目が輝いていて生き生きしています。聞いている側にも、話し手のエネルギーやパッションが伝わってきます。自分らしいストーリーを自分らしいスタイルで語る。そして、聞いている人が何か考えたり、感じたりするメッセージを残す。これができればプレゼンテーションは成功だと思います。形や見せ方にこだわらず、自分らしいメッセージを自分らsく伝えるところから始めてはいかがでしょう。「私だけ」が知っていること、自分自身の経験を話せば、ほかの人がマネすることができない。世界でただ一つのスピーチになります。

・プレゼンテーションを聞いている人に「自分にも関係があるなあ」と思ってもらうためには、何をすればよいでしょうか。コツは次の3つです。
 ・思いがけない問いかけをする
 ・意見や見解の違いを促すような設定をする
 ・聞いている人の「自分ごと」にする

・プレゼンテーションの準備ステップ
STEP1 主催者からの情報収集
 セミナー全体の目的と位置づけ、プログラム、ほかのスピーカー、予想される参加者(聴衆)を主催者に確認する。
STP2 資料集め
 ネットから関連資料を探す、自分で過去に書いたものから探す。
STEP3 ストーリー作成
 全体のストーリーを2ページ程度にまとめたアウトライン(レジメ)をつくる(ドラフトの作成)。聴衆に合わせること、他のスピーカーとの違い(ゆにーくさ)に留意。
STEP4 スライド準備
 写真などビジュアル素材(スライド素材)の準備。普段から自分でも撮り貯めておくと便利。
STEP5 フィードバックを経てスライド完成
 講演の聴衆に近い知人・友人からストーリーや素材についてコメントをもらいつつ、プレゼンスライドを仕上げる。必要に応じてビジュアル素材(動画など)の作成を手伝ってもらう。予行演習にもつきあってもらう。
STEP6 予行演習
 完成したプレゼンスライドを使いながら、自分で何度も練習を繰り返す。スマートフォンの「自撮り」も活用。時間の枠に収まるかにも留意。

・自分の思っていること、目指していることを「気楽」に人に説明すると、いろいろな意見や新しいアイデアが返ってきたり、意外なコメントが出されたりします。そうすると、自分自身でも何が言いたいのか、何を目指しているのかが、だんだんはっきりしてきます。自分一人で考えたり、うちにこもったりしないで、まずは言ってみることが大事ではないでしょうか。また、ある意見をきいたら、それにきちんとコメントしたり、質問をしたりすることも同じように大切だと思います。アイデアのキャッチボールや組み合わせからどんどん進化していくので、最初にボールを投げなければ何も始まらないと思うのです。自分で初球を投げてみることは、野球でなくても大切なことです。恐れていないで、まずは投げてみてはいかがでしょうか。そして、キャッチャーが良いとピッチャーも引き立つといわれるので、受けるほうもしっかり受け止めてあげることを心がけてみてはどうでしょうか。

・意見を聞くと、自分のアイデアに対する厳しいフィードバックが返ってくることはもちろん考えられます。しかし、これでもうだめだ、失敗だ、と決めつけてしまう必要はありません。そのフィードバックや評価を活用して、より良いものにすることができし、そして厳しいコメントにさらされながら、まわりを巻き込んでいくと、より大きな活動にできます。つまり成功か失敗かではなく、「何を学ぶか」、フィードバックをもらった後に何をするか、が重要なのです。これはプロジェクトや新商品、自分の就職・転職活動などについても同様です。最近のように社会が刻々と変わる中では、プロトタイプを数多く作って試しながらアイデアを磨いていくアプローチが有効です。完成してから市場に出す、完璧な活動計画を作ってから実行するよりも、周囲の意見や反応を聴きながら、より良いものにしていくやり方が時代にかなっているのです。

・自己評価において大事なのは、時間の流れの中で、また広い視点から客観的に今の自分の力や活動の評価をすることです。たとえば自分では力があると思っていても、周囲の進歩が速く、自分の相対的地位が下がっていることがあります。この点を強調するために、私は「二つの違い」を意識するとよいと提案しています。「ほかの人と比べて自分のユニークさは何なのか(他との違い)」、「昨日の私と比べてどう違うのか(自分自身の違い)」という二つです。「他との違い」とは、世界が大きく変わる中での自分のポジションを見極め、「私は誰で、どこへ行こうとしているのか」を、独りよがりでなく、周囲の環境の中で、世界の動きを見極めながらとらえることです。会議でも課題がどんどん新しくなるので、他の人と同じ意見しか言わないのであれば、参加する必要はありません。「自分自身の違い」は、学歴や資格に頼るのではなく、日々新しいことを学んだり、経験を積んだりしたことから自分はどう変わってきているのか、を意識することです。

・英語はコミュニケーションのための道具であり、一つのメディアですから、誰でも時間をかければできるようになり、特別なものではありません。言葉には、文化や社会を反映するという性格もありますが、使えば使うほど価値が上がる「道具」であることも事実です。金槌やはさみ、包丁と同じような道具なので、まず使い方の基本を教えてもらったら、どれだけ使うかによってどれだけ使いこなされるかが決まる、つまり使う頻度がカギだと、私は自分の経験から確信しています。まずは基礎力をつける上で、中学や高校のテキストを音読、丸暗記してしまい、文法の基礎を頭にたたき込むことと、英語の歌を歌うことなどが効果的です(私は最初、そうしたやり方で学びました)。後はひたすら頻度を高める。話す力、読む力、聴く力、書く力、いずれも始終触れる・練習することが成功のカギです。1週間に1度ではどれだけ長い時間をかけてもあまり効果がありません。パソコンやスマートフォンも同じですが、毎日使っていれば、細かいステップをいちいち思い出さなくても自然に手が動くようにんまs。英語も目、耳、手を使うものなので、たとえば日曜日に5時間使って勉強しても、次の日曜日にはまたステップを思い出さなくてはならず、自然に目や耳が働く、手が動くようにはなりまえん。毎日続ける、短時間でもよいから触れる、電車に乗っている時などスキマ時間を活用して、常に練習するのがコツです。また、日本では多くの人が中学から何年もかけて英語を学んでいるのに、実践的な力がついていません。それはインプット偏重-つまり文法、読むことが中心-で、書いたり話したりというアウトプットが少ないからだと思います。

・最近、痛切に感じるのは、すぐできることをその場で終えると、時間の無駄が少なくなることです。たとえば何かの会合に誘われた場合、自分の都合(すでに予定が入っているなど)で明らかに行くことができない場合は、その場でお断りする。質問への返事や何らかのコメントを求められた場合でも、すぐにできることはその場で答えることがコツです。もう少し考えてから返事をしようと思ってそのままにしておいたり、メールの下書きファイルに入れておいたりしても、それ以上考えることはほとんどありません。結局、下書きファイルのことが心の負担になるだけではないでしょうか。また打ち合わせや会議などで、次にやること(いわゆるネクスト・ステップ)を決めたら、すぐできることは必ずその日のうちに終えてしまうことがとても大切です。会議が時間切れになって、コメントがあったら担当者にメールで知らせるようにと言われた場合や、イベントのレビューをしなくてはならないといった場合も同じです。私は必ずその日のうちに、コメントをまとめて送ってしまいます。イベントのレビューやお礼なども、その日のうちに送れるものは送ります。別の仕事が迫っているからと、そちらを優先してしまうと、コメントを考えようにも元の印象が薄れてしまい、思い出してから作業しなければなないため、かえって時間がかかってしまい、とても非効率になります。

・原稿などの場合は編集を頼んでいるプロの予定も確かめて、ざっとした計画を立てています。短いコラムなどは、いくつかアイデアを書きとめておいて、一気にドラフトを書き上げ、2日ぐらいかけて見直すことが多いのですが、比較的長い記事の場合はかなり早い時期に大体の構想を考え、言いたいメッセージ、構成をドラフトにします(これは完成までに何度も書き直します)。セミナーなどで話す内容も同様で、メッセージとストーリーを含むレジメを早めに作成し、それを見直しながらスライドを準備していきます。矛盾しているように思われるかもしれませんが、締め切りギリギリにとりかかる(それ以前にざっと見ておき、全体観を持つ必要はありますが)というやり方をすることもあります。近い将来にセミナーをする、何らかのプレゼンテーションに行きコメントする、電話やリアルの会議をするなどの場合、あまり前から準備を始めると時間を無駄にしてしまうこともあります。それは、
 ・まだ余裕があると安心してしまい、集中しないので、なかなかはかどらない
 ・あまり前にやったことなので、当日、ほとんど忘れてしまっている
 ・準備をした時から(世界)情勢が変わってしまい、話が古くなる
などが起こるからです。
このやり方(ギリギリに取りかかる)の場合、突発的な事件(自分や家族の病気など)が起こる、予想以上に時間がかかる、心の平安が得られず(?)精神衛生上良くない、など、リスクはあるのですが、最初にちらっと見て全体観や仕事の量を見極めた後、ギリギリまで放っておき、そこから全力疾走!という感じで集中して一気にやります。時間が迫っているので、必死になり、それだけに集中して、結果的には時間を効率的に使うことができます。

・いろいろ優れた点や見習いたいと思う点がある人は、皆、ロールモデルにしてしまえばいいのです。年齢に関係なく、「すごい」と思う人に出会ったら、どんどんリストに付け加えてしまう、というのが私のやり方です。私はこれを「友人のポートフォリオ」と呼んでいます。課題、分野、場所、時期などに応じて、いろいろな役割をしてくれる友人グループ、あるいはサポートグループを持つというのが「友人のポートフォリオ」の意味です。株のポートフォリオも一つの株に投資全額や全財産をつぎ込んでしまわないようにという考え方が基本になっています。同じように、人についても、一人にすべて依存するのではなく、いろいろな役割を持つ知り合いや友人を持つようにするのです。仕事のことを相談する人、プライベートなことを相談する人、ある特定分野の今後の進め方について相談する人、よくわからない案件について相談する人といったように、分野や課題などに応じてそれぞれ相談できる人を持つことが大切です。

・私がおすすめするのは、自己紹介の時に「私は誰で、どこへ行こうとしているのか」を話すことです。「私は誰」というのは、名前と所属する組織(会社)、担当している仕事のことをただ話すのではなく、「私のユニークさは何か」「何がほかの人と違うのか」を中心とするのです。

・私たちの資源は限られています。中でも一番限られているのは、自分の時間とエネルギーです。やらないことを明確にしておけば、そのために時間を使うことはもちろん、「やるべきか、やらざるべきか」とハムレットのように悩んだり、「必ずやらなくちゃ」と脅迫観念に駆られたりすることもなくなります。また、この会合や会食は、行ったほうがよいか行かないほうがよいか、などと思い悩む必要もなくなります。

・やらないことを決めると、すっきりして、シンプルライフが実践できるようになります。やらないことがはっきりしているので、時間がかなり自由になるし、「どうしようか、やってみようか」と考える必要もなくなるので、心も自由になる感じがします。また、やらないことを決めると、「どうしてもやりたいこと」がはっきりしてきます。

・変化を身近なものにする簡単なコツは、大前研一さんが言っている「住む場所や働く場所を変える」「つきあう人を変える」、つまり周囲の環境を変えることによって、新しい発見のきっかけをつくることです。住む場所や働く場所を変える、ということの関連では、留学なども含めて海外に行くこと、海外の会議に参加することも新しい発見のきっかけになります。

・皆さんの中には、情報量が多く、スピードが速いSNSを追うことにかなりの時間を使ってしまい、世界を知ったような気になってしまっている人はいませんか。私も限りなく増えてしまうフェイスブックの友達やフォローしているツイッターに圧倒されてしまうことがあります。そういう場合、私が試しているのは、フォローする人、キュレーション、テーマなどをときどき見直し、まだ世界の潮流に合っているか、過去の遺物になっていないかを自分なりに検証することです。自分の活動の棚卸しと同じように、本来何を求めて「つながる」のかをもう一度思い返し、「つながり」の対象、ネットワークの棚卸しをするのです。たとえばツイッターをフォローするのではなく、アンフォローしたり、フェイスブックの友達やグループを期間限定にしたりすることもあります。世界が刻々と変化しているからこそ、SNSにも「賞味期限」があるのです。

・「あの時、チャレンジしていればよかった・・」と自分がその気になればできたことをしなかったという後悔の念を持つことのほうが怖いのです。やってダメなら、少なくともベストを尽くしたという意味では後悔は残らない。力が足りないのであれば、力をつける努力をすればいい。向いていないのであれば、この先、人生の時間を向いていないことのために使わなくてラッキーだった!そう考えればいいのではないでしょうか。

・多くの人が「自分のため」という感覚を持てれば、ずいぶん活動や仕事のやり方も変わるのではないか、と思います。「自分のために」というと利己的なように聞こえるかもしれませんが、そうではなく、この人生は自分の人生なのだ、ということを自覚して、行動することだと思います。スティーブ・ジョブズのいう「Follow your heart.」です。ジョブズの人生は、「自分が情熱を傾けられることをあきらめずに探す、周囲の雑音に惑わされず、自分の心に従う」という言葉を実践したものだと思います。これも自分の人生、「自分のため」が基本になっています。

良かった本まとめ(2016年上半期)

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茂助だんご(東京 築地場内)の甘味はとてもオススメ!

2016年07月28日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地といえば魚河岸ですが、実は築地場内に甘味屋もあり驚きます♪

「茂助だんご」というお店ですが、かなり有名なようで、私の周りでも知っている方が多くて驚きました♪


↑店構え

少しお値段高めかもしれませんが、さすが上質でどれも美味しいです♪

定番は「茂助だんご」だと思いますが、回りが餡の「甘」と「焼」の2種類があります♪


↑茂助だんご

そして私が結構好きなのが草餅で、緑色で、いい色を出していますね!


↑草餅

それから季節によっては、春に、いちご大福などがあって、明るくて嬉しいですね♪


↑いちご大福

なお、持ち帰りだけでなく、店内でも食べることができます♪

東京の築地場内の「茂助だんご」は、上質な甘味を楽しめ、とてもオススメです!!
お土産にも最適です♪

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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茂助だんご甘味処 / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5

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すしまる(東京 築地場内)のお寿司はオススメ!

2016年07月27日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の10号館にある「すしまる」へ行ってきました!


↑店構え


↑メニュー

店の前にあるメニューの限定30食!2000円という築地場内ではありえない破格値のメニューがありますが、お店の方の説明によるとそれは本マグロがないとのことなので、お店の人が勧める「おまかせ握り」3240円を注文しました♪
築地場内の他の寿司屋の「おまかせ」は4000円前後しますが、3240円とはリーズナブルですね♪

最初に熱いお茶と、そして寿司が少し握られると味噌汁も運ばれました♪
味噌汁にはシャケや黒ムツ?の身が入っていて出汁がよく効いていて美味しい♪


↑お茶と味噌汁

そして、笹の葉の上にガリと玉子が置かれ、そして次々と寿司が握られて行きます♪
まずは本マグロの赤身と白身魚です♪
美味しい♪


↑玉子、マグロ赤身、白身魚

このお店はテンポよく握られるので、気持ちが良いです♪
時間がない方にはオススメかと思います♪
マグロのトロにホタテ、イカ♪
さすがにトロがとろけます♪
ホタテも柔らかくて大きい!!


↑マグロのトロ、ホタテ、イカ

そして、軍艦の定番ウニとイクラ!
ウニが溶けているのはちと残念です^_^;)


↑ウニとイクラ

そして、このお店は築地では珍しく、炙りがありますね♪
塩が効いていて、おぉぉ美味しい♪
これは醤油に付けなくて良いです♪
エビは置き石、アジ、穴子も美味しい♪


↑炙り、エビ、アジ、穴子

「すしまる」はリーズナブルに、本マグロのトロやウニ、そして炙りも堪能できオススメです!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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中栄(東京 築地場内)のカレーはオススメ!

2016年07月26日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内にある中栄へ行って来ました!
もちろん築地場内では唯一の印度カレー屋です♪


↑店構え

さっそくメニューを見て注文しますが、ここはやはり築地ならではの、「築地魚河岸シーフードカレー」1000円にします♪
紅ズワイガニやエビ・ホタテ・イカ・アサリなど毎日仕入れる新鮮な魚介類が入っているのが嬉しいです♪
またここのカレーは香辛料などで保存料など無添加というのは嬉しいです♪
そしてヘルシーに、野菜スープ小200円も注文します♪


↑メニュー

この店で面白いのは、カレーにキャベツがトッピングされていることですね♪
キャベツをカレーに絡めながら食べるのが特徴で、キャベツのシャキシャキ感と甘みがカレーの辛さと絶妙のハーモニーを奏でるようです♪


↑キャベツ等トッピングメニュー

そして、野菜スープとシーフードカレーが運ばれます♪


↑野菜スープ


↑シーフードカレー

カレーがなみなみと注がれているのが嬉しい♪
新鮮なキャベツも山盛りで、シーフードもたくさん見えますね♪
野菜スープも野菜がたっぷりで嬉しいです♪

なおカレールーは瓶詰のものを持ち帰ることができます♪
原材料を見ると、確かに保存料など無添加で嬉しいです♪
そのため、消費期限が4日間とかなり短いですね♪


↑持ち帰り用カレールー

築地場内でカレーを楽しむなら中栄ですね♪

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

<今日の独り言>
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中栄カレーライス / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.0

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東海道五十三次 街道をゆく 三島塚原~沼津宿 (1)一里塚~三嶋大社

2016年07月25日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画する「東海道五十三次 街道をゆく」の第12回目の三島塚原~沼津宿(1)一里塚~三島大社について紹介したいと思います。

 いつものように東京駅前に7:30に集合し、貸し切りバスで高速道路を使って三島塚原の伊豆フルーツパークまで行きます。
今回も少し渋滞があり、準備運動をして10:20頃出発します♪
今回の三島塚原~沼津宿は基本的には箱根峠を過ぎたので、なだらかな下り坂を沼津に向かってずっと歩くので、とても楽でしたね♪
しかも天気が良く風も強くて気持ちが良かったのですが、富士山が霞んであまり見えなかったのは残念でした^_^;)

歩き始めてすぐに、錦田一里塚がありました♪
江戸の日本橋から28番目の一里塚ですので、江戸から約112kmの距離となります。
この一里塚は、珍しく街道の両側に一対で残っているとのことで、国の指定史跡となっているようです。
明治以降、鉄道や道路の整備により一里塚は次々に取り壊されたので、このままの形で残っているのは珍しいようです。

 徳川家康が一里塚を作らせたのですが、家臣が「一里塚にはどのような木を植えましょうか?」と訊ねると、「え~(良い)木が良い!」と言ったのを「榎(えのき)」と聞き間違えて榎を植えたという逸話もあるようです。

 ただ、榎は成長すると直径1m以上、高さ20m余りの大木になり、大きく枝を張った姿は遠くからもよく見えることから、街道の一里ごとの目印の役割をするだけでなく、夏になると枝いっぱいに葉を繁らせて、その木陰は旅人に格好の休憩場所を提供したり、寒い冬は格好の風除け、馬や籠などの賃金の目安として重宝されてきたようです♪


↑錦田の一里塚


↑一里塚の説明

それから、箱根旧街道の松並木などの説明がありました。
箱根旧街道には松や杉の並木が植えられましたが、当時の杉並木が今まで残っているのはこの辺りの約1kmほどとのことです。
また、石畳の道は最近復元されたもののようで、これは少し歩きにくいですね^_^;)


↑箱根旧街道の松並木の説明


↑石畳

それから、雲助備前繁(三界萬霊塔)の墓がありました。
備前繁は暴れん坊で有名な雲助だったようですが、ある時、大名行列が通った時に当時の大名は通行の安全のために各街道の雲助に心づけを渡していたようですが、その金額が少ないと備前繁は腹を立て、そのお金を投げ捨てたようです。
 大名たちはそのまま放って進み始めたようですが、怒った備前繁はその大名行列を追いかけ、尻を丸出しにして「切れるものなら切ってみろ!」と叫ぶと、その大名の人足頭がその尻を真っ二つに切り、大きく尻の割れ目が新たにできてしまったようです^_^;)
それでも、怒った備前繁は尻を切られながらも追いかけ、茶屋のある今井坂で息切れたようです。
そんな逸話が今までも残っているというのは凄いし、当時は物流の要として雲助の立場は高かったのだなぁと思います^_^)


↑雲助備前繁の墓

それから、愛宕坂へ到着しました。
確かにかなりの下りの急坂です。
当時も急坂ですべって大変だったので、1680年に石畳の道になったようです。


↑愛宕坂の説明


↑愛宕坂

それから大場川の新町橋へ到着しました。
江戸時代には三島宿の出入口として多くの旅人がこの橋を渡っていたようです。
また、この辺りに三島宿の江戸側の見附があったようです。
ここから見える富士山はとても素晴らしかったようで、安藤広重の浮世絵にも描かれています♪
しかし、この日は天気は快晴ながらも、霞んでいて残念ながら富士山を見れませんでしたね^_^;)
写真や浮世絵の感じと比較するのも楽しいです♪


↑天気が良いのに霞んで富士山が見れない!


↑富士山が見える時の風景


↑安藤広重の浮世絵

それから近くに三嶋暦師の館があるとのことでした。
三嶋暦(みしまごよみ)とは、太陰太陽暦(旧暦)を代表する暦で、三嶋大社の社家である暦師の河合家で代々発行されてきたようです。
三嶋大社が発行するこの三島暦は当時は全国に名を知られ有名だったようですね。
応仁・文明(室町時代)頃から1872年(明治5年)まで発行されたようです。
五十代続いた暦師を廃業したその河合家は、当該屋敷を三島市に寄贈したため、平成17年4月より「三嶋暦師の館」として一般公開を始めているとのことです。
今度行ってみたいと思いましたね。


↑三嶋暦師の館の案内


↑当時の三島暦

それから三嶋大社へ到着しました♪
かなり敷地も広く、立派な大社で、結婚式も挙げられていましたね。
三島の地名の由来となった大社で、伊豆国の一宮とのことです。
祭神は「三嶋大明神」で、創建の時代は不明ですが延喜式神名帳(927年)にその名が記載されているのでかなり由緒があるようです。
源頼朝はここで100日間お家再興を祈願し、再興を果たした後はそのお礼に、この三島神社にたくさん寄進をしたようです♪
また江戸時代は、三島暦を発行していたのでかなり全国で有名だったようです。


↑三嶋大社


↑三嶋大社


↑三嶋大社

それから、樹齢約1200年の金木犀の木があるとは驚きましたね♪
すごい!


↑樹齢約1200年の金木犀


↑金木犀の説明

三嶋大社は素晴らしい神社でしたね♪

次は、(2)御殿川~常夜燈です。


お勧めなお話(2016年上半期)

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富士見屋(東京 築地場内)の蕎麦はとてもオススメ!

2016年07月24日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内で唯一の蕎麦屋で10号館にある富士見屋へ早朝7時ごろに行って来ました!


↑富士見屋

生蕎麦と書いてあるのでおそらくそば粉100%の蕎麦だと思います♪
この店はさすがに外国人の観光客はいないようです^_^;)
せっかく築地に来るなら寿司か海鮮丼を食べたいですからね・・・・。

空いているカウンター席に座り、さっそくメニューを見ます♪


↑メニュー


↑メニュー

お得なセットメニューがあるのでそれから選ぶことにします♪
そのメニューから目につくのは「ホタテ丼セット」1130円!
ホタテ丼とは珍しい!
さすが築地ですね!
普通の蕎麦屋であれば「カツ丼セット」ですが、さすが魚河岸築地ならではの「ホタテ丼」ですね♪
ここは迷わず「ホタテ丼セット」を注文します^_^)
もう夏で暑いので「もりそば」で注文しますが、何とサービスで海苔を付けてくれるとのこと♪
「ざるそば」ですね♪

テーブルに置かれているスポーツ新聞を斜め読みしていると、しばらくして「ホタテ丼セット」が運ばれました♪


↑ホタテ丼セット

おぉぉ蕎麦は透明感があり、そしてホタテ丼も美しい♪
蕎麦は表面がツルツルで、もちろんひんやりしていて、コシがあり美味しい!
さすが生蕎麦!

そしてホタテ丼も確かに厚く柔らかいホタテが入っていて、そして出汁がよく効いていて、卵も柔らかくて美味しい♪
美味しくてついつい食が進みますね♪
冷ややっこがあるのも嬉しい♪

築地場内で唯一の蕎麦屋である富士見屋は、上質な蕎麦や築地ならではのホタテ丼を堪能できとてもオススメですね!


美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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ふぢの(東京 築地場内)の中華はオススメ!

2016年07月23日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の1号館にある「ふぢの」へ行ってきました!
私のような一般客が魚市場である築地へせっかく来たのに、魚以外を食べるのは勇気が必要ですが、思い切って入ってみました♪
さすがにこのお店は観光客は少ないようです^_^;)


↑店構え


↑メニュー

7月に入り、蒸し暑くなってきたので、ここは「特製冷し中華」850円を注文しました♪


↑特製冷し中華

さっそく冷し中華が運ばれますが、おぉぉ何だか美しい♪
麺はしっかりとコシがあり、スープはひんやりしていて、酢が甘く美味しい♪
想像以上に美味しくて、朝から食が進みます♪
きゅうりやもやし、卵焼きもいい感じです♪

想像以上に「ふぢの」の特製冷し中華は美味しくてオススメです♪

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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「小説家という職業(森博嗣)」という本はとてもオススメ!

2016年07月22日 01時00分00秒 | 
「小説家という職業」の購入はコチラ

 「小説家という職業」という本は、著者が小説家となった経緯や、小説家になるにはどうすれば良いのか、小説家として続けるための心構えや姿勢、小説執筆のポイント、出版界の問題等について自らの体験を踏まえて分かりやすく正直に書かれたものです♪

 「小説家になりたいのだったら、小説など読むな」というのには驚きましたが、人の作品を研究したところで生まれる作品など、たかが知れるようです。
 オリジナリティのあるものを生み出すことが最重要のようです。

これは、他のいろんな世界でも共通ですね♪

 そのため小説を楽しく書こうと思うのではなく、金儲けのために小説を書くという決意が重要なようです。

 そして、どうすれば良いかと考える暇があったら、とにかく小説を書くこと、これに尽きるようです。

 著者は、初めにトータル20時間ほどで原稿用紙300枚程度の小説を書き上げ、出版社に応募し、そしてその結果を待つまでにも次々と小説を書き、半年後には4作目から小説家としてデビューし、最初の1年で3冊の本が出版され、その年の印税は当時の本業(国立大学勤務)の給料の倍にもなり、それで驚いていたら翌年には4倍になり、3年後には8倍、4年後には16倍となったようです♪

 売れる作家というのはすごいですね♪

 そのためにも作家を続けることが大切で、ビジョンを持って長い目を持つことが重要なようです。

 「小説家という職業」という本は、そのほか小説家や出版社の世界もよく分かり、とてもオススメです!

 なお、以前このブログで紹介した同じ著者の続編?の「作家の収支」という本も小説家の具体的な収支が分かりとてもオススメです!

以下は本書のポイント等です。

・最低限守らなければならないことがある。それは、「意味が通じる」ということ。あなたが書いたものを読んでくれる人に、あなたが書きたかったものが理解されること。これこそが、文章の最も重要な機能である。もちろん、100%伝わるということはありえない。個人の能力的なこともあるし、また知識や価値観の差もある。それでも、書かれている文章の示すところがまったく伝わらないのでは話にならない。また、読むに耐えないといった悪文も問題がある(これは実は微妙だ。というのも、意図した悪文には、それなりの効果が認められる)。言葉が通じるということは、人間関係においても重要なファクタであって、信頼は、すなわちこのコミュニケーションの確かさから築かれる。作家と読者の間のコミュニケーションも、まずは「通じる」レベルから始まり、しだいにもっと深いもの、もっと多様なもの、というレベルへ至る。読み手は、自分がなにかを感じることができると、それをもたらした作り手に信頼感を抱く。通じない、あるいは通じにくい作品でも、何度か繰り返し読んでもらえれば、いずれは通じるようになるかもしれない。しかし、世の中にはいくらでも作品が存在するわけで、わざわざ通じにくいものを続けて読んでくれる人は少ないだろう。当たり前のことを書いているようだが、このポイントは実にクリティカルである。なにしろ、「小説家になりたくてもなれない」という人の大半は、この部分をクリアしていない。もっと具体的にいえば、自分だけが読める作品を書いている。それでは暗号文を作っているようなものだ。

・デビューをして、そのあと作家専業で一生食べていける、という人が割合として非常に少ないのは事実なのだ。それどころか、編集者たちが話すところでは、10年以上続けられる人が、既にほんの一握りだという。これを聞いたとき、僕は「一握りって、具体的にどれくらい?」と尋ねた。すると「10人に1人くらい」という答えが返ってきた。もちろん、統計データが示されたわけではなく、編集者たちの「感覚」なのだとは思う。だから、「作家であり続けることは難しい」という表現にもなるわけである。

・作家が続かない理由を考えてみよう。一般的なものとしては、ほぼ3つではないかと想像する。まず、デビュー作に全力を注いだために、後続の作品がそれを超えられなかった、という理由である。最初の作品というのは、それ以前の人生の長い時間において蓄積されたものすべてがネタにできるため、情報量が豊富であるし、また作家になりたい時間が長かった場合には、それだけ熟成期間も長くなる。練りに練った作品になった下地がある。よく聞かれるものに、「誰でも1作は小説が書ける」という格言(?)がある。創造をしなくても、自分自身の経験を記録すれば、それが物語になる、という意味もあるだろう。だが、2作目となると、処女作で出し切ったあと、まったくゼロの状態から書かなくてはならない。

・2つ目の理由とは、「読者の慣れ」によるものである。読者も、1作目は初体験の作家なので、そこには必ず何かしらの新しさが発見できる。また、どんなものを書く人なのかわからない、予備知識のない白紙の状況は、まさに「無心」の境地と同じ。この理想的な読書体験をするわけだから、作品が気に入ったときの感動の度合いは増幅される。2作目になると、もう好きなことはわかっている作家になるので、もっと面白いものを、という期待が自然に生まれる。そこそこ同じ程度のものならば、インパクトに欠けるものの、「やはり思った通りの面白さ」と好意的に見てくれるかもしれないが、それでも、「1作目よりは落ちる」という評価を受けるだろう。まして、1作目よりも冴えない作品であれば、がっかりされることは間違いない。その2作目を最初に読んでいれば「面白い!」と叫んだかもしれない読者であっても、である。人間は飽きる動物だ。

・3つ目の理由は、僕自身は感じたことがないもので、これは何人かの人を観察して見出したことだ。特にそれは、「作家になりたい」という強い動機によって突き動かされた結果、運良くデビューした人に見られる傾向である。簡単にいえば、「作家になりたい」一心で努力をしてきた、まさにどの動機が、作家になったことで失われる。つまり、作家になること、自分が書いた作品が出版されることがゴールだったわけで、処女作が本になった時点でゴールインしてしまうため、その後の動機が見つけられなくなる、という症状らしい。これに似たことは、「結婚」でもあるようだ。結婚にあまり憧れていると、結婚したことでゴールインしてしまい、そのあと生き甲斐を失ってしまう。そのゴールだけを思い描いていたため、その先のことがビジョンとして頭になかった、あるいはその思い(もっと正確にいえば計画、予定、方針)に欠けていたということである。作家になるというイメージは、「自著が書店に並ぶ」「他人が自分の作品を読んでくれる」「印税がもらえる」「ファンレターが届く」など、いろいろあるだろう。これらは、最初の一冊が出るとすぐに実現することばかりである。案外、作家志望の人というのは、「書きたいものがたくさんあって仕方がない」というよりは、前記のようなあこがれの未来像を抱いている場合が多い。「とにかく書きたい衝動が抑えられない」というような人間ならば、本が出ようが、ファンレターが来ようが、無関係なはずだ。どんどん次の作品を書き続けるだろう。書いていれば、しばらくは必ず本になる。書いていれば、スランプに襲われることもない。一方、「作品を書きたい」よりも「作家になりたい」という思いが強い人は、作家になったあと、創作の原動力が弱まることは確実である。このタイプの作家志望の人は、「生涯に100作は発表したい」とか、「ベストセラー作家となって1億部は出版したい」とか、そこまでいかなくても、「最低でも20年間は作家活動を続けたい」というようなデビュー後の未来像を持っていない。デビューしたすぐあとのイメージは頭にあっても、作家生活数十年後の未来までは考えていない(これも結婚志望の人が、結婚して数十年後の生活を夢見ないのと同じだ)。無理もない。作家も結婚生活も、未然の立場からは、最初の関門が目前に立ちはだかり、どう見てもそこが最も難しそうだからである。その難関さえ切り抜ければ、あとはどうにだってなるだろう、という楽観が生じるのも人情といえる。しかし、ここで僕が述べたいのは、「人間というのは、自分が望んでいる以上のものには絶対にならない」ということである。「デビューができればそれで充分だ」と考えている人は、デビューして消えていくだろう。「○○賞作家になってやる」と思わない人は、そのとおり○○賞作家にはならない。芸術であれ、ビジネスであれ、この法則は適用できる。なぜなら、人間の行為というのは、自分の価値観と周囲の要求のせめぎ合いに常にさらされ、こうしたときの一つ一つの細かい判断によって道筋が少しずつ決まっていくからだ。本人が望まない方向へは、けっして進まない。「当たるかもしれない」と期待している人にだけ、くじは当たる。「当たる」ことが頭になければ、くじを引く機会さえ見過ごすからである。以上のような3つの理由に気をつけていれば、作家を持続することができるだろう。つまりは、早い段階からそれらを意識しておくことが重要だと思われる。

・まずはその作家がどんな本を出しているのか、という情報を整理したホームページが必要だろう。本の巻末や見返しなどにリストが載っていることはあるけれど、それは同一出版社内のラインナップでしかない。読者は「その作家の本」について知りたいのに、出版社側はそういった情報を提供していなかった。さらに、過去の情報だけではなく、僕は先々の予定についても公表すべきだと考えた。いつどんな本が出るのか、1年くらい先までは予告をした方が読者の期待も高まるだろう。その予定に従って遅れることなく本が発行されることが、ビジネスとして最低限必要な姿勢ではないか、とも思えた。それが、信頼というものだ。こんな当たり前のことが、出版界では実現されていなかったのである(現在もあまり変わっていない)。

・僕は「近況報告」なるものを自分のホームページで公開することにした。デビューして半年後(1996年夏頃)だった。そして、最初からその「日記」を本にして出版するつもりで書いた。当時、ネットで無料で見られるコンテンツをわざわざ印刷するという発想はなかった(あるいは無謀だと認識されていた)けれど、その後、僕はこの形式で、日記を18冊、日記以外でも10冊以上出版した。今では日記h(入力方式の簡素化によって)「ブログ」と呼ばれるようになり、ブログ本もごく一般的な存在となった。そのほか、僕はファンからのメールにはすべてリプライすることにしていた。郵便で届いたファンレターには一切返事を書かないことに決めて、そのかわりにネットで応答をする、と公表したのだ。全リプライは、読者にはかなりの驚異だったと思うし、出版界でも「よくやりますね」と呆れられた。けれど、小説家というビジネスを考えたとき、これは宣伝効果があったと自己評価をしている。この全リプライ作戦は約12年間続けた。2008年末で終了したので、現在は行っていない(理由は、宣伝の必要がなくなったためだ)。1日に届くメールは200通以上になったし、新刊が出れば、その1冊について何千通もの感想メールが届くようになった。

・出版社は自分たちが作った書籍という商品に対して、そのユーザの意見を集める努力を熱心にはしていない。出版社(特に営業)が「お客」だと認識しているのは、「書店」であって、「読者」ではない。そこの意識がまるで間違っている。なにしろ、出版社はその商品をコピーしているだけで、自分たちで創作しているのではない。メーカーではなく商社なのだ。だから、こうなるのも仕方がないかもしれない。

・小説は、家庭用品などの実用品ではない。人間の感性を売り物にした芸術的な商品であり、歴史的に見ても特殊な存在である(この種の商品は数百年の歴史しかない)。便利さや使いやすさ、あるいはそれらの性能向上が売れるベクトルではない。では、何を目指して作るのか?それは大変難しい問題だけれど、あえて一言でいうならば、「新しさ」である。今までにないもの、珍しいもの、そういうものを消費者は無意識に求めている。また、整ったもの、安心して消費できるものは、既に「名作」として膨大な数のストックが揃っていることも念頭に置かねばならない。「さらに生産する理由」がどこにあるのか、を生産者は常に考える必要があるだろう。

・僕が採用した方針はマイナーな路線であり、「隙を突く」作戦だった。大当たりはしないけれど、「今までにないものならば、ある程度のニーズがある」という観測に基づいている。これまでの世の中では、このようなマイナーなものは、大宣伝でもしない限り存在さえ気づいてもらえない。しかし、今はネットがある。発行部数が少なくて、目にする機会がほとんどなくても、ネットの口コミでその「新しさ」なり「珍しさ」なりが必ず伝わる環境になった。ここが昔と全然違う点である。マイナーは、競争相手がいないという状況で、それを求めている消費者を確実に引きつける。むしろ、メジャーな商品よりも安定して売れるだろう。このことは、インターネットが普及する以前からは兆候はあった。ガンダムがそうだし、コミケット(同人誌即売会)がそうである。「そんなマイナーなもの」とマスコミが取り上げようとしないものが、いつの間にか、とんでもない人数を集める一大勢力になった。数でいえば、メジャーなものをとっくに凌駕していたのだ。ネットの普及によって、それらがより明確になり、より確実になり、さらに世界へと輪を広げるようになった。これからも、このような状況が当分は続くだろう。

・ネットの活用に関して、僕が小説の執筆に取り入れたものは多数ある。一例を挙げるなら、ミステリーにおいて「結論をしっかりと書かない」結末や、作品の中にちりばめられた答のない謎である。このようなものは、それまでのミステリーにはほとんど例がなかっただろう。ミステリーとは、読後にすべての謎がすっきり明かされるものだった。そうでないと、解答編のない問題集のように、爽快感は味わえない、気持ちが悪い状態のままになる。だが、ネットがある世の中ではそうではない。気持ちが悪いままの読者たちは、きっとネットにアクセスするはずだ。そこで、作中には書かれていなかった解答を、他の読者が導いていたり、あるいは大勢が議論していたりするのを見ることになる。「ああ、そうなのか」とようやく納得すると同時に、「他の読者」の存在を体感し、大勢の仲間に入れたという安堵を感じる。そもそもこの感覚は、読後に「ほかの人たちは、これを読んでどう感じるのだろう?」という好奇心として昔から存在したものだ。ネットは、そういった欲求m同時に解決する機関(新しい社会)なのである。

・僕は、図書館や古書店の問題には、「何度も読みたくなるような作品」で対抗するしかない、と考えた。作品の随所に、簡単には読み解けないものを織り混ぜておく。その作品ではなく、別の作品でそのヒントを見せる。ネットで、こういった部分が話題になれば、「もう一度読みたい」と思う人が増えるだろう。再読するためには、本を手許に置いておかなければならない。「いつかもう一度読んでみよう」と思わせるような作品とは、初読時にはすっかり消化ができないようなものだ。そういう理屈になる。また、ネタばれについても、簡単にそれができないような機構を盛り込むことで対処ができる。一言で説明できないネタにすれば良い。あるいは、人によって解釈が異なるようなネタにする。他人の意見が自分と違っていれば、もう一度確かめたくなるだろう。さらには、わざと問題点を忍ばせておく、という手法もある。誤解を誘うようなものでも良い。「なんか、おかしい」「これ、間違っているんじゃないか?」と思わせるような部分を故意に入れておくのである。読み手は、これで苛立つことになる。そしてネットでそのことを指摘したり、あるいは「間違っている」と糾弾するような書き方もするだろう。しかし、それが作品を広める。つまり、宣伝効果があるという計算である。

・「小説家は芸術家なおであって、良い作品を書いていればそれで充分。商売をするのは、出版社の役目である」という主張も当然ながらあるだろう。僕だって、そういうものだと最初は少なからず信じていた。しかし、それは間違いである。なぜならば、作家を将来にわたってプロモートするようなビジネス戦略を出版社ではまったく誰一人考えていないのだ(せいぜい、目の前の一冊だけについて、オビやポップのキャッチ文など、効果の極めて小さなものに優秀な頭脳を使っている程度である)。小説家には、マネージャがいない。出版社はしてくれない。だから、自分で自分の作品のマネージメントをしなければならない。それをしないでも売れる人も、もちろん一部にはいる。運が良ければ何かのブームに乗って、自然にマネージメントが機能することもある。しかし、ほとんどの場合は、まったくの放置といって良い。今から小説家になろうという人は、このことを肝に銘じてほしい。あなたの作品は、値段をつけて売られる商品になるのだ。読んでくれた人のうち、有志だけがあなたに寄付をするのではない。これはどう見たって、立派なビジネスなのだ。きれいごとでは済まされないはずなのに出版界には芸術的なきれいごとがまかり通っている。

・ネットでもう一つ重要な要素は、読者の個々の意見が直接作者に伝わるということである。読者との関係というのは、作家という仕事を継続する上で非常に重要だからである。結局のところ、この信頼関係が上手く成り立っていれば、作家として長く活動ができるのではないかと想像する(僕にはまだ十数年の経験しかないので想像する以外にない)

・もし読者の多くがある作品に対して「ここが良かった」と指摘してきたら、同じことはやりにくくなる。「もっとこうしてほしい」と書いてきたら、そちらへ進んではいけない。逆に、読者が「ここがつまらなかった」と批評してきたら、もう一度それに挑戦してみる。そういうあまのじゃくの方針が、より「創作」にふさわしいと僕は考えている。極端にいえば、「たえず読者の期待を裏切ること」が作家の使命なのだと信じる。

・けなされている書評の方が、僕にとっては価値がある。そういうのを読んでいると、頭がにやけてしまうほどだ。明らかに誹謗中傷とと取れる類もあるけれど、それも含めて面白い。「どうして、この人はここまで人の悪口を言いたいのか」と考えると、人間の心理がさまざまと垣間見えてくる。まるで小説のように面白い。意外なものの一例を挙げると、たとえば「こんな主人公は好きになれない」という理由で作品をけなす人がいる。これには、目からうろこが落ちた。何だろう、小説の中に恋人でも見つけようというのだろうか。嫌いな人間が出てくるものは読めない、というのであれば、小説の大半は読めなくなる。主人公だけには感情移入したい、という気持ちはわからないでもない。そういう読者がわりと多いこともわかった。ついでに、ミステリーにおいては、ネタばれを望んでいる人の方が多数だということもわかった。犯人が最後まで誰かわからないような話は読めないという意見も多い。人間というのは本当にバラエティに富んでいる。しかし、そういう批判には耐えられないという純真無垢な作者も、きっといるだろう。僕が天の邪鬼なのであって、そういう素直なタイプが普通かもしれない。ただ、そういう人は小説家には向かないような気がする。たぶん、小説家にはなれないだろう。これをもう少し突き詰めると、自分の作品を人から批判されて腹が立つ人は、もう書くのをやめた方が良い、ということだ。腹が立つこと自体が自信がない証拠だし、笑って聞き流せない思考力、想像力では、創作という行為においては明らかに能力不足だろう。

・人間を観察することが、小説を書くための基本的な下準備である。常日頃から、できるだけ多くの人を観察することを心がける。ドラマや小説の中の登場人物ではない。現実社会で生きている人たちを見て、「リアル」や「ナチュラル」を取り入れること。これらが、創作に不可欠な素材となる。

・人間というのは、自分が弱い部位を、相手に向かったときも攻める傾向がある。自分が言われたら腹が立つ言葉を、相手を攻撃するときに使う。その言葉にダメージを与える効果があると感じているからだ。したがって、悪口を言ったり、いじめたりする人間は、自分が悪口を言われたり、いじめられたりすることを極度におそれている。いじめる方も、いじめられて傷つく方もこの点で共通している。いじめられても気にしない人は、人をいじめない。悪口を言わない人間は、悪口を言われても腹が立たないのである。こういう人間の「傾向」というのも、「リアル」な世界を創り上げる基本になるものであり、すべてが現実の観察から導かれる。

・仕事には〆切がある。いつまでになにを書くのか、そのあとのシリーズの展開はどんなふうにするのか。近いものは3年くらい先まで、すべて予定を決め、遠いものは10年くらいさきまで、だいたいの方針考えておいた方がよい。予定を立ててもその通りに行かない、という人は多いけれど、だからといって、予定を立てなければ、そのまま予定どおり、なにもできないだけである。予定を現実に歩み寄らせて、「予定どおりだ」と満足することに価値があるのではない。たとえ予定どおりにいかなくても、現実を多少でも予定(つまり理想)に近づける努力をすることが、有意義な人生というものだと思う。もし、予定のとおりに現実を築くことができれば、それが「自由」というものではないか。予定を守るということは、第一には自分に対してであり、また、ビジネスであるからには、仕事関係(つまり出版社や読者)に対しても、約束を守ることが結局は自分の利益につながる。驚いたことに、この業界では、作家が〆切を守らないのが日常だ、といった風潮がある。それを許す体質も間違っているし、それに甘える精神も腐敗している。おそらく、「芸術というのは仕事ではない」という主張なのだろうけれど、そういうことを言うのは二流の芸術家に決まっている。もし、あなたが小説家を目指して頑張っているのならば、〆切を守る誠実な作家になってほしい。それには、まず自分で立てた予定を守ること。その習慣をつけることが大事だ。1度でも破れば、10回守り続けてきたことが無になる。信頼というのは、築くに難く、崩れるに易いもの。1回くらいは、と考えているとしたら、それは信頼の意味がわかっていない不誠実な人間である。どんな仕事をしても中途半端になるだろう。根本的に考えを改めなければ、今以上の状況は望めない。

・僕は常々、フィクションを読む人よりも、ノンフィクションを読む人の方が多いと感じていた。僕の周囲にいる人間はほとんど小説を読まないからだ。現に、書店に行っても、雑誌やビジネス書の前に立っている客が圧倒的に多い。小説のコーナーは閑散としている。ところが、僕の本は小説の方が圧倒的に売れる。エッセイを出しても10分の1くらいしか部数が出ない。小説家が書くエッセイは面白くないものばかりだという風潮があるのかもしれないけれど、出版社もとにかく小説を出したがる。このギャップが不思議だなと感じていた。その理由は、一人が読む冊数の違いにあったのだ。ノンフィクションを読む人は1ヶ月に2冊くらい読むかもしれない。それに比べてフィクションを読む人は1日1冊は読む。前者の人口が10倍多くても、本は後者の方が売れる道理だ(この数字は説明のための仮のもので実際のデータではない)。

・これだけ年心なマニアに支えられている小説であるけれど問題もある。この頃では人気作家の新刊が図書館で読める。ベストセラー作家の本になると、図書館は何冊も同時に仕入れる。また古書の流通が当たり前になったからよく本を読む人ほど、節約のために古書を買うことになり、出版社や作家の利益が損なわれている。その構図は、自分たちの望む環境を自分たちで崩すものだ。傍から見ていても、良い状況とはけっしていえない。こういった流通の問題が将来どうなっていくのかといえば簡単である。小説は音楽のようにネット配信になる。近い将来のことだろう。そうなると極端な話、出版社も印刷会社も取次も書店も必要ではなくなる。古書店も図書館も成り立たない時代がすぐに来る。安泰なのは作家と読者だけだ。作家から読者へコンテンツが直接配信されるといったことも可能であり、事実増えるだろうけれど、もちろんなんらかのマネージメントをする機構が現れるはずである。利潤を生むところには、人が集まるからだ。

・作家としてはどうすれば良いだろうか?簡単だ。たくさん売れること、ベストセラーになることをねらわず、地道に作品を発表する。これだけである。10万部売れる本を作ることは非常に難しい。しかし1万部売れる本を10冊出すことなら、それよりは容易だ。5000部売れる作品を20作書くことなら、さらにずっとやりやすい。結局、大きなものを狙わず、まじめに自分の仕事をすれば良い。そうしていれば、なにかのチャンスが巡ってくることもあるだろう。そして、作品の数が多いほど、そのチャンスは増えるのである。

・僕の場合、たとえば「スカイ・クロラ」の映画化がそうだった。売れないシリーズだったのに、押井守監督のアニメ作品になったおかげで、シリーズで100万部を突破した。本の印税のほかにも、さまざまな商品の原材料として収入につながる。映画化のおかげで1億円以上いただいた計算になるだろう。新たに書いたわけではない。なにも仕事をしていないのに収入になる、というのは著作権の素晴らしいところだ。「創作」の価値は社会でこれほど認められているのである。もちろん、狙ってできることではないが、宝くじよりははるかに確率は高い。確実なのは、こういったチャンスも、作品を書かなければ訪れない、ということだ。

・たくさん書こうにも、一つの出版社ではそんなに続けざまに本を出してくれないかもしれない。そんなときは、数ある出版社を広く利用し、他社とも仕事をしよう。お世話になっている出版社を裏切らないように一社だけとしか仕事をしないというのは危険である。他社で本を出すメリットは印税が同じなのだからほとんどない、というようなことを書いたけれど、もし一社としか仕事関係を結んでいなければ、作家の立場は非常に弱い。なにかトラブルがあったとき(たとえば編集者とケンカになったりした場合)に、別の出版社と仕事関係がある場合とない場合では、かなり違ってくる。作家にとっては、「どうしてもダメなら他社で書きます」という選択肢だけが唯一の交渉の切り札なのだ。

・娯楽のコンテンツを生産する仕事の中で、小説家は最も個人的な職種の一つといえる。音楽のように仲間を必要としないし、マンガのようにアシスタントもいらない。同じ文章でも、ノンフィクションのように文献調査や取材をする必要も少ない。元手はまったく関わらないし、いつでも書ける。特に日本語というのは日本人にとっては書くことが容易な言語だ。英語が母国語の人が英文を書くことに比べて格段に簡単なのである(英文を書くプロになるためには、並はずれた知識と才能が必要だ)。話し言葉と書き言葉が、現代の日本語はほとんど一致していることもあるし、国民のほとんどが読み書きできる、という文化も条件としてプラスである。絵を描くこと、曲を作ること、あるいは詩を書くこと、などに比べても、小説は敷居が低い。道具の使い方を覚える必要もないし、なによりも、非常に自由でルールがない。何をどう書いても良い。そういうものを小説というのである。

・僕がここでいいたいことは、作家を目指すとしたら、なんらかの「売りもの」が不可欠であるというこおだ。作家志望の人は、自分の「ウリ」が何かをしっかりと自覚していなければならない。それが即答できないようではデビューはおぼつかないだろう。もし、「ウリ」がないのなら、今からすぐにそれを作るべきである。

・プロの小説家になれば自分の作品が評価されることになる。実は最重要の評価指標とは、「どれだけ売れたか」であるけれど、個人による批評が文章で示されるケースも無数に存在している。たとえば、最近はネット書店に素人の書評や採点が表示されている。作家も読者も、人によっては気になる数値かもしれないが、売れる本と評価値はむしろ反比例していることをご存じだろうか。僕は自著に対してデータを集計したことがある。すると、売れている本ほど、読者の採点が低くなる傾向があることに気づいた。理屈は簡単である。採点が低いからよく売れるのではなく、よく売れるほど、その作品に合わない人へも本が行き渡るから、低い評価を受ける結果になる。逆に、ものすごくマイナーで部数の少ない本は、コアなファンだけが買うので評価が高い。そもそも、ファンというのは、「自分にだけわかる価値」を無意識に欲しがるものであり、「珍味」のように特別性を高く評価する傾向にある。だが、珍味に美味いものなし、というではないか。誰にとっても美味いものならば、もっと広く普及するから珍味にはならないのだ。ネット書店で、100万部突破のベストセラーに対する書評を読んでみると良い。「どうしてこんなものがベストセラーになるのか」と大勢が怒っているのが眺められ。アイドルだって、人気が出るほど悪口をいう人が増えるだろう。売れるほど酷評を受ける道理がここにある。このような「読者の声」が直接聞こえることは、メーカーである作家にとっては、とても有用な環境である。どんな消費者がいるのか、という調査が簡単にできるからだ。相手が見えることは何事につけても有利である。しかし、相手の意見をそのまま作品に取り入れる必要はない。ここは注意が必要だ。なぜなら、読者というのは素人であり、創作者ではない。意見というのは千差万別さまざまであって、すべてに対応していたらキリがないし、多数の意見に応じれば、どっちつかずの製品を作らされてしまうだろう。

・小説から教訓を見出そうとしたり、小説の中で新たな知識を得ようとする人もたまにいるが、これは本来の小説の機能ではない。そういったものは、小説以外から得た方が効率が高く、なによりも「正しい」ものが手に入りやすい。小説に書かれているのは、たとえば、登場人物が話したことであり、考えたことであり、認識しているだけのことなのである。登場人物が誤解をしている、間違っている、勘違いしている場合もあるから、真偽はまったくわからない。作者にも責任はない。小説はなにを書いても、わざと「嘘」を書いても責められないのだ。だから、そんな小説から、教訓や知識を学ぼうとするのは、(副次的なお特感はあるけれど)できればやめた方が良い、と僕は思う。学んだ気がする、得をした気がする、という錯覚に一瞬微笑む程度が適切だろう。本を閉じれば、酔いは急速にさめる。

・僕は分厚い小説のブームのときに、読者の多くの反応から「もっと本を薄くしなければ」と感じたので、自分の新シリーズでは、シンプル、ショート、スパイシィという3Sを目指して書き始めた。編集者からは「時代に逆行しているのでは」と言われたけれど、それは編集者が「遅れていた」だけのことである。ネットのおかげで、今では編集者よりも作家の方が読者に近い。その分、プログレッシブだ。否、それどころか、読者だって作家に比べれば遅れている。作家は常に時代をリードしなければならない。ニーズに応えるのではなく、ニーズを新たに作る、それが創作である。

・人は、結局は「人に感動する」ものである。それは、自然の中にあって、最も自分自身に近い存在だkらだ。人間の行為、その行為の結果がもたらしたものを通して、その人間の存在を感じる。はるか昔の人よりも、同時代に生きている人の方が、存在を感じやすい、というのも「近さ」のためだ。作品を通してその人の存在を感じ、それを感じた自分を対面に置き、反響させて感動を増幅する。芸術の起源はここにあるといっても良いし、僕が「小説には将来展望がある」と考える理由もここにある。そう断言できるのは、一人で創れるものだから、人件費がかからない、比較的時間も労力も少なく、効率が高い、というビジネス上の有利さ以前に、このジャンルの基礎部分に、非常に固い、崩れることのない構造が成立しているからである。

・僕がデビューした頃、講談社の担当者だったK氏は小説についていろいろなことを教えてくれた。その中で一番印象的だったのは、「決まりはありません」というものだった。「全部、作者が自由に決めて下さい」と言われた。文章に関するあらゆる約束ごとは、あくまでも平均的なものであって、厳守する必要はない、という意味だ。ときには、文法だって無視して良い。漢字を普通とは違う読み方にしても良い。なにをどうしようが、自分のルールさえしっかりとしていれば問題はない、ということだった。「そうか、それが小説というものか」と僕は納得した。簡単にいえば、やりたい放題なのだ。

・文章が上手くなるためには、とにかく文章を書くこと。そして、自分の書いた文章を何度も読み直してシェイプアップすることである。書いたすぐあとに直すのではなく、せめて1日、できれば数日置く。これは料理だったら「寝かせる」というところだが、文章はただ寝かせてコクが生まれるわけではない。ようするに、書いた本人が忘れるだけのこと。忘れることが非常に重要なのだ。すなわち、書いた人間ではない別人になって読み、より客観的に文章を捉えることになる。ときには、自分の書いた文章がわかりにくかったり、もっと酷いときは意味不明だったりするだろう。誤解を招くような表現だったりすることも、矛盾していることも、くどかったりすることも、発見しやすくなる。

・小説全般にいることかどうかわからないが、ミステリーなどでは、「ネタ」になる発想がいくつか必要で、それをあらかじめ準備しておく書き方が一般的なようである。僕はそうではないが、聞いた話ではだいたいそうらしい。ネタ帳のようなものを作り、ときどき思いついたアイデアを書き留めておく。それを執筆のときに使っていく、という手法である。これはパーツをあらかじめ用意し、それを利用してものを作る、というやり方だ。僕の場合も、それに近いことを試した経験はある。しかし、上手くいかなかった。ネタがあらかじめ存在すると、書いているときに、それらに拘束される。「これを使わなければならない」という観念に囚われてしまうのだ。使いたいネタがあったとしても、もっと緩やかに考え、それを必ず全部使おうと思わない方が良い。ネタに関しては、「もったいない」なんて気にしないことだ。無駄を出し、「贅沢」であるべきだと思う。書いているときには、その作品世界の空間が広がり、時間が流れている。その中における「自然さ」を尊重すべきである。その自然さが、読者に与える「リアルさ」になるだろう。ネタというのは、トリックばかりではない。たとえば、こんなキャラクタ、こんな言い回し、こんな比喩、こんな会話、などなど、ほんのちょっとしたことまで、小さなパーツとして小説の中にちりばめられている。執筆以外の時間にそれを思いついたら、すぐメモをしておかないと、いざ書くときに思い出せない、という不安を持つ人が多い。おそらく、忘れてしまうということが、ある種の恐怖なのだろう。しかし、僕はそうは考えていない。忘れるものは、忘れるだけの理由がある。自分では素晴らしいと感じても、忘れてしまうことがあって、すばらしさだけが印象として残るから、思い出せないことが腹立たしい。「もったいない」とまたも感じてしまう。だがここでも「創作は贅沢であるべき」だ。もったいないものをどれだけ捨てられるか、良いネタを大盤振る舞いで浪費できるか、がむしろ作品のレベルを高める。使いたいネタがしっくりこないと少しでも感じれば、潔く捨てよう。同様に、忘れてしまうようなものは、そもそも印象が薄い証拠である。忘れたままにする方が得策だ。こんな理由から、僕はメモを一切取らない。ネタ帳はない。事前に作品の構想を考えることはもちろんある。細かい表現についても、シーンについても、あれこれ思い浮かべることは頻繁にある。だが、それをその場でメモとしてアウトプットしてしまうと、発想はそこで終わってしまう。頭の中に入れたままにしておく方が育つ。もっと形を変えて、もっと的確なタイミングで思い浮かぶかもしれない。無理に「これを使おう」と自分に課さないことである。たとえば、会話に表れるしびれるようなフレーズとは、これをしゃべろうと待ちかまえていたものではない。流れの中でふと思いついて自然に出るから輝くのだ。執筆においても、あらかじめ考えておいたものをいつ使おうか、などと考えていては、自然な会話にはならないだろう。

・会話を活き活きと書くためには、そこに登場している人物たちそれぞれになりきること、これに尽きる。どんな履歴を持った人物なのか、今はどんな状況なのか、相手をどう思っているのか、何を考えて話しているのか、といったことを思い描くことは基本であるが、さらに大切なのは「流れ」だろう。現実の会話も、「流れ」に大いに従っている。くどくどと説明をするようなことはない。親しい間柄になればなるほど、どんどん省略される。それでも通じるからだ。小説では、読者に通じなければならないので、多少の「丁寧さ」が必要な例外があるものの、それでもとにかく「切れるだけ切って」ちょうど良いくらいだと僕は思う。それぞれの人物になりきると、当然ながら、会話が途切れたり、別の話題に急に飛んだり、口にしたもののすぐに後悔したり、あるときは嘘をついたり、いい間違えたりする。人物になりきらず、客観的な(たとえば監督や脚本家の)立場で書くと、そういったリアルさが出にくい。

・下手な会話シーンというのは、作者が一人で問答をしている結果でとても別の個人どうしが言葉を交わしているとは感じられない。まるで片方が悩み相談のカウンセラーか、インタビュアーか、太鼓持ちのようだ。実際の会話というのは、一つの話題のときも、それぞれは別々のことを考えている。人間は常に勝手に考えるという特性を持っているのだ。それを素直に表現するだけで、自然にキャラクターの個性がにじみ出る。読み手に「生きている」と感じさせることができるだろう。もちろん、会話だけではない。考えているからこそ、それが行動や仕草に出る。関係のないことを突然したり、勘違いをしたり、忘れたり、失敗したりする。普通の人が当然するこれらの無関係で無駄な行為が、生きている証拠でもある。ストーリーを説明するために動いている役者ではあるけれど、そう見せないことが小説家の技量といえるだろう。

・書き始めを印象的にしようと思い悩むとちっとも始められないので、それはまたあとで修正するとして、とにかく書き進めよう。ここがやや問題だなとか、ここが上手く書けないと感じたら、そこを飛ばして先へ進む。ワープロなのだから、いくらでもあとから補填ができる。気楽に文字数を増やそう。難しいのは終わり方である。小説のラストは、かなり難しいと思う。一番難しいのは最初にタイトルを決めることで、その次に難しいのが、この最後の一文だろう。こだわらなければ、別に気にしなくても良い。終わり方に決まりがあるわけではない。句点で終わらせなくても良い。なんだって「あり」だ。

・書いている途中では、自分が退屈しないことが大事で、退屈しそうになったら、面白いことを考えて、それを書く。こうしておけば、きっと読者も眠くならずに読んでくれるにちがいない。たとえば、どうしようもなく退屈だなと感じたら、「そのとき、背後から迫りくるものがあった」などと書いてみる。書いてから、「はて、なにが迫りくるのだろう?」と考えれば良い。まさに成り行きである。面白いストーリーというのは、このような流れの中で生み出されるもの。だからこそ臨場感がある。書いている本人が臨場感を抱く必要があるだろう。ただ、同時に、小説家は常に「読者どう読むのか」という視点を持たなければならない。舞台を作る人間は、客席の視点を常に意識している。文章に落とす行為が、その視点への伝達なのだ。

・一年中執筆をしているわけではない。たとえば僕の場合、1作を書いている期間は、長くても2、3週間だ(1日にせいぜい2時間程度しか書けない)。この執筆している期間には、僕は小説を読まないし、映画も観ない。なにもしない時間が必要だ、と感じるためだが、別にあれこれ考えているわけではない。ただ、ふと思いつくことはある。一番良いのは、散歩をしたり、ドライブをしたり、手を動かしてなにかを作ったり、といった比較的抑揚のない平坦な時間だと思われる。本を読む人は、本当に暇を惜しんで読書をする。どこでも読めるように、いつも本を持っている。文字通り「暇を潰す」行為であるけれど、創作期間中はそうではなく、できる限り「暇を潰さない」方が良いだろう。頭は、外から刺激があれば、それについてしか考えない。リラックスしていれば、ちゃんと自分から発想するものである。

・僕は執筆期間中でもパソコンから離れると、今どんな小説を書いているかを忘れてしまう。思い出すのに20秒くらいかかる。だから、作品について考えるということは見かけ上はない。むしろそれ以外のことを考える。ところが、執筆作業に戻ると、全然関係のなかった発想が、次々と結びつく。これに近いのが夢を見る行為だろう。夢は、寝る前に「これについて考えよう」とテーマを決めているわけではない。しかし、起きたときに夢を覚えていて、「ああ、これは使えるな」ということが多々ある。僕は、夢をとても丁寧に見るようにしている。起きるときも、忘れないように慎重にゆっくりと目を開ける。夢から見た発想は実に多い。起きているときにも、夢見心地になれれば素敵だ。ただし、酔っていてはダメである。頭はできるだけ冴えていないと。

・一作の執筆を終えると、他の芸術に触れたくなる。アウトプットしたため、飢えるのだろう。他者の目を通すなと書いたけれど、優れた才能に出会うことは、美味しいものを食べるのと同じで、人間の基本的な欲望といえる。ただ、お腹がいっぱいになると、自分で料理を作る気がしなくなる。ものを作るときには、少しハングリーな方がコンディションとしては良いという意味だ。こういった自分のコンディションをコントロールできるようになれば、プロとして非常に有利である。

・これは一般的ではないかもしれないが、僕が一番時間をかけて考えるのは、タイトルだ。作品のタイトルを考え始めてから決定するまでには、3ヶ月から半年くらいかかる。タイトルさえ決まれば、もう半分以上は書いたも同然と思えるほどだ。よく「どんなふうにしてタイトルを決めるのか」と問われる。しかし、「これです」というルールはない。とにかくひたすら「考える」。そして、納得がいくまで決めないことにしている。僕は、タイトルが決まらない状態で小説を書き始めることはない。あとで決めれば良い、というふうには考えない。本文ができてしまったあとに適切なタイトルをつけるなんて、それは無理な話だ。タイトルを決めれば、それに相応しい小説がかける。その反対はきわめて困難だ、と少なくとも僕は思う。

良かった本まとめ(2016年上半期)

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豊ちゃん(東京 築地場内)の食事はとてもオススメ!

2016年07月21日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内の1号館にある「豊ちゃん」へ行って来ました!


↑店構え

このお店は他の店と違って2店舗分の大きさがあるので、それだけ人気店ということでしょうか。
とんかつや洋食のお店ですが、特筆なのは、かつ丼のカツとご飯を分けて提供する「あたまライス」というメニューがあることです♪
メニューの一番上が「かつ丼」で、その次が「あたまライス」なので、この2つはかなりの人気メニューのようです♪


↑メニュー

やっぱり「かつ丼」がいいかなぁ?と思いつつ、せっかくなので思い切って「あたまライス」を注文しました♪
なお、7時以降に来店したのでこの「あたまライス」は値引きされ950円というのは嬉しいです♪

しばらくして、その「あたまライス」が運ばれます!


↑あたまライス

ボリュームあるカツが柔らかく卵とじで煮込まれ、少々塩分多めですが、アツアツで美味しい♪

ご飯も別にしっかりと食べることができ、これはアリかもしれませんね^_^)

十分煮込まれた出汁と卵と一緒に肉厚なカツをかみしめ、これは旨いです♪

想像以上に美味しくて、これで950円はリーズナブルだと思いますね♪

「豊ちゃん」の「あたまライス」はオススメです!!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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おかめ(東京 築地場内)のお寿司はオススメ!

2016年07月20日 01時00分00秒 | 外食
知人がオススメと行っていたので、東京の築地場内の「おかめ」へ行って来ました!


↑店構え


↑店構え

といっても、行ったのはずいぶん昔で、その内容はすっかり忘れてしまっていますが、美味しかった記憶はあります♪
店の前には、天然マグロにこだわっていると書かれていますね♪

「旬おまかせにぎり」3600円と「特上にぎり」2500円がありますが、おそらく「特上にぎり」を注文したのではないかと思います。
ネタには醤油が塗られているので、そのまま食べることができますね♪


↑お寿司


↑お寿司と味噌汁

ホタテが丸く握られているのが興味深いですね♪

あまりにもたくさん築地場内の寿司屋に行ったため、この「おかめ」の細かい内容はすっかり忘れてしまっていて申し訳ありませんが、とても美味しかった記憶はあります^_^)

オススメです!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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すし処 おかめ寿司 / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.5

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センリ軒(東京 築地場内)のヒレカツサンドはオススメ!

2016年07月19日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内には3店ほど喫茶店がありますが、その中でもセンリ軒のヒレカツサンドは人気NO1でオススメです♪


↑センリ軒

さっそく、店に入ってメニューを見ます。
店内はかなり狭く、また一人で来たので、隅の一人席に座ります♪
店内は昭和な感じがして、個人的には大好きです♪
だみ声のこれまた昭和なおばちゃんが、優しく注文を受けてくれます♪


↑メニュー


↑メニュー

やはり、ここは人気NO1のヒレカツサンドを注文し、飲み物はヘルシーにトマトジュースを注文しました♪

比較的すぐにヒレカツサンド700円とトマトジュースが運ばれます♪


↑ヒレカツサンドとトマトジュース


↑ヒレカツサンドの拡大

分厚いパンに、かなり肉厚のヒレカツが入っていて、これはボリュームがありますね♪
これは人気NO1でしょう!
ヒレカツが柔らかく、美味しい♪
これは素晴らしいですね♪
だみ声のおばちゃんが、ティッシュも折って渡してくれて、ホスピタリティも素晴らしいです♪

築地場内のセンリ軒は、美味しい肉厚なホットサンドを堪能でき、オススメです!!

なお、こちらから10%割引券をダウンロードできるので、ぜひご利用ください!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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中山道六十九次 街道あるき 日本橋~板橋 ③六地蔵~近藤勇

2016年07月18日 01時00分00秒 | イベント・外出
 阪急交通社が企画する「中山道六十九次 街道あるき」の第1回目の日本橋~板橋 ③六地蔵~近藤勇について紹介したいと思います。

巣鴨に到着し、真性寺へ行きます。
六地蔵の一つがあります。


↑六地蔵の一つ

六地蔵の一つは旧東海道の品川寺にありこのブログでも紹介しましたね♪

 江戸深川の地蔵坊「正元」(しょうげん)が24歳の時に不治の病にかかってしまい、地蔵菩薩に祈願したところ、無事治癒したことから、その感激のあまり京都の六地蔵に倣って、約7万人から浄財を集め、江戸市中街道沿いの6箇所に地蔵菩薩を12年かけて建立したものです。
その六つとは以下とのことです。
いずれも街道沿いにあり、旅人を見守っていたのだと思います。

第1番 品川寺 現存 旧東海道 東京都品川区南品川三丁目5-17
第2番 東禅寺 現存 奥州街道 東京都台東区東浅草二丁目12-13
第3番 太宗寺 現存 甲州街道 東京都新宿区新宿二丁目9-2
第4番 真性寺 現存 旧中山道 東京都豊島区巣鴨三丁目21-21
第5番 霊巌寺 現存 水戸街道 東京都江東区白河一丁目3-32
第6番 永代寺 現存せず 千葉街道 旧:東京都江東区富岡一丁目(深川公園内)


↑六地蔵の地図

どうして六かというと、以下の仏教の六道からのようです。

天道(てんどう、天上道、天界道とも)
人間道(にんげんどう)
修羅道(しゅらどう)
畜生道(ちくしょうどう)
餓鬼道(がきどう)
地獄道(じごくどう)

勉強になります♪

それから巣鴨商店街に入り、とげ抜き地蔵にいきます。
この辺りはすっかり晴天となり良かったです。
しかも、天候が良くなかったので、珍しくおばあちゃんの原宿である巣鴨商店街が空いていました^_^)


↑とげぬき地蔵


↑とげぬき地蔵の説明

とげぬき地蔵の由来は、毛利家の女中の一人が、誤って口にくわえた針(とげ)を飲み込み苦しんだが、地蔵尊の御影一枚を飲むと、その飲み込んだ針(とげ)が出て来たことから「とげぬき地蔵」と言われるようです。

それからせっかく商店街を歩いたので、「昔ながらの味 日本一のあんぱん」に惹かれて「あんぱん」216円を食べてみましたが、美味しい♪


↑KIFUKUDOのあんぱん

それからかなり老舗そうな「むさしや」の「元祖 地蔵尊 せんべい」のごませんべい12枚入り?400円も堪能しました♪
昔ながらの固いせんべいです^_^;)
この隣は目黒でも有名なウナギの「八つ目や にしむら」ですね。
巣鴨が創業のようです。


↑元祖 地蔵尊煎餅 むさしや 

それから、巣鴨商店街を歩いていると、巣鴨の種子屋の説明がありました。
中山道の旅人は、この辺りの農家で見慣れない野菜を見つけて、その種子を欲しがる人が多かったため、農家は副業として種子を販売するようになったとのことです。
この先の中山道沿いにも種子屋がありましたね♪
明治時代中期には種子問屋が建ち並んだようです。


↑巣鴨の種子屋の説明

そしてしばらく歩くと庚申塚(こうしんづか)がありました♪


↑庚申塚の入口


↑庚申塚の説明

庚申塚は庚申講を3年18回続けた記念に建立されることが多いようです。
庚申講とは、人間の体内にいるという三尸虫という虫が、60日に1度訪れる庚(かのえ)申(さる)の日の夜の寝ている間に、天帝にその人間の悪事を報告しに行くとされていることから、それを避けるためとして庚申の日の夜は夜通し眠らないで天帝や猿田彦や青面金剛を祀り、勤行をしたり宴会をしたりする風習のことです。
まあ個人的には宴会の口実だったのだと思います^_^;)
申は干支で猿に例えられるから、「見ざる、言わざる、聞かざる」の三猿がここでは彫られていましたね。
神道では猿田彦神とされ、この庚申塚も猿田彦大神と書かれていました。
この巣鴨の庚申塚は板橋宿の一つ手目の立場として旅人の往来が激しく、休息所として賑わっていたようです。

そういえば、旧東海道にも至る所にこの庚申塚はありましたね。

なお、庚申塚の建立が広く行われるようになったのは江戸時代初期(寛永期以降)とのことで、多数の庚申塚が建てられたようです。
しかし明治時代になると、政府は庚申信仰を迷信と位置付けて街道筋に置かれたものを中心にその撤去を進め、さらに高度経済成長期以降に行われた街道の拡張整備工事によって残存した庚申塔のほとんどが撤去や移転されることになったようです。

それから、JR板橋駅の近くに板橋処刑場(近藤勇墓所)がありました。
新選組で有名な近藤勇局長は板橋宿の入口にあった平尾一里塚近くの馬捨場で斬首され、胴体はここに埋められ、供養碑が建てられたとのことです。
近藤勇雄の首は京都まで運ばれたようです。
なお、新選組副長の土方歳三も併記されています。
この供養碑には新選組戦死者40名やその他病死者等64名の名前も刻まれているとのことです。
また、供養塔の建立者で新選組の永倉新八の墓もあります。
土方歳三の生家の資料館には行ったことがあるので感慨深いものがありましたね。


↑近藤勇墓所


↑近藤勇、土方歳三、永倉新八


↑供養塔の説明等

中山道の旅も、地理や歴史の勉強になりとても良かったですね♪

なお、旧東海道ウォーキング(日本橋(東京)~田子の浦(静岡県))まとめはこちらです。


お勧めなお話(2016年上半期)

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磯寿司(東京 築地場内)は、休市日でもオススメ!

2016年07月17日 01時00分00秒 | 外食
東京の築地場内に水曜に行くのは注意した方が良いです♪
というのは、ほとんどの水曜が休市日で、市場内のお店も休みのためです♪

ついつい築地初心者は、水曜に訪れてしまうんですよね^_^;)
私もついやってしまいました!

せっかく早起きして築地場内に行ったのに、いつもと違って築地場内が、がら~んと静まりかえっているのは愕然としてしまいます・・・

しかし、まっ、こういう市場を見るのも良いかと思い、中に入っていくと、何と2~3店舗だけ店が開いていました♪

その1つが磯寿司で、さっそく早朝7時ごろに店に入りました♪
諦めていただけに喜びは倍増です♪


↑磯寿司の店構え

 お店の方からは、やはり水曜が休市日とは知らなかっただろう?と言われ、正直にそうだと答えます^_^;)
もう1組の客も、知らなかったようで、大阪からはるばる来たとのことでした・・・

しかしながら、そんな休市日にオープンしていて、とても助かります♪
お店の方も、そういう客を狙って店を開けているようです。
ただ、店はいつもよりは早く閉めるとのことでした^_^)ナルホド!

さっそく、限定30食という2400円のコースを注文します♪
他の店が4000円前後ということを考えると安い♪

安いと言っても、穴子や、マグロも中トロや大トロ含めて三種あり、ウニ、イクラもあるのでかなり豪勢です♪

壁には1貫当たりの値段も書かれていましたね。


↑壁の1貫当たりの値段

握られた寿司は、笹の葉の上に置かれるのは嬉しいです♪

次々とテンポよく握られ美味しく頂きます♪


↑玉子


↑穴子


↑マグロ三種とイカ、シャケ


↑ホタテ、甘海老、アジ


↑イクラ、ウニ

ウニも最上級のものを用意しているとのことでしたね♪

「磯寿司」は休市日でも開店していて、リーズナブルに美味しいお寿司を堪能でき、オススメですね!

美味しかったものまとめ(2016年上半期)

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磯寿司寿司 / 築地市場駅築地駅東銀座駅

昼総合点★★★☆☆ 3.0

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